田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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デカい部屋

2008-11-23 01:19:57 | Weblog
私のリビングルームにようこそ!

という主旨である訳だが、国際フォーラムのAホールのステージはデカい。
デカいよ、リビングルームにしゃ。
本人はデカい音ってな事を言ってたかな。騒がしいっていうのか…
英語で。
多分だけど。(笑)



11月21日
  キャロル・キング


ったら、60才過ぎてるよねー。
ド迫力のロックおばさんでしたよ。
歌はデカい声で吠えるわ、ピアノは爆音でブッ叩くわ。
フルコンサートサイズのグランドピアノをブッ叩くと、すっげーよぉ!
田中眞紀子さんなんて、優雅なもんよぉ。

いきなり「BEAUTIFUL」でガツンと来る。
きゃああああっ!てなもんで…
主に60年代の曲で構成されていて、アルバム「TAPESTRY」の中から選んだ曲は、特に丁寧に歌っていたように思う。
結局そこなんだ、ということか、或いは日本人はそこなんだ。ということか。

不思議な感覚だったね。ノスタルジーでもあり、初めて見る‘本人の姿’が新鮮でもあり。
この人が‘きっかけ’ではないにしろ、私がピアノの弾き語りをすることになる‘大元’である訳で、音源でしか知らなかった音の‘姿’がこれか!
ピアノのブッ叩き方とかさ(笑)。あれがこれかぁ、とか思った。
感動とはちょっと違う、うん、やはり不思議としか形容のしようがない、妙な感覚だった。
もし弾き語りを初めた早い段階でこれを見ていたら、多分、田中眞紀子は相当、今と違う姿になっていた事には間違いない。超影響受けまくっていたに違いないもん。これを見たのが今で、さぁ、良かったのかどうだったのか。
視覚は大きいから、ね。

一部のラストは「WILL YOU LOVE ME TOMORROW」。
これも「TAPESTRY」中の名曲だから、作った時は20代だったんじゃないかと思うが、今の彼女がピアノ一本で歌うそれは、切なさ倍増である。
二部が始まりしばらくして、「みんなで一緒に歌って!」とあおって歌い出したのが「A NATURAL WOMAN」
ここで初めて私の涙腺が緩んだ。
そりゃ、あーた!
キャロルキングのピアノで歌うのよ、ナチュラルウーマンを!
このアタシがっ!
と言ってわかってくれるの、鈴木純子だけだなぁ、今や…
今度会ったら自慢しよ!

二部ラストが「I FILL THE EARTH MOVE」
アンコールが「SO FAR AWAY」
泣くもんかと頑張ったって、涙腺全開近し!無駄な抵抗はやめて、なすがままにトリップしていた。

のだが…

サポートの人が二人いたの。ジェフリーなんとかさんと、ジョーなんとかさん。
ジェフリーなんとかさんとキャロルキングはお互いサポートし合ってるんだみたいな事を言ってて、一部で彼の曲らしきカントリー調の歌を彼が歌って、キャロルキングがギター弾いたりして、それは結構良かったの。3コードでも、こんな素敵な曲になるんだー、とか、勉強にもなったの。
ジェフリーなんとかさんは、ギターもベースも弾いて、歌声も素晴らしいの。私は知らないけど、きっと有名な人なんだと思うの。
ジョーなんとかさんは、竹内紀さんをもーっとオチャメにした感じの、イカしたギターを弾いていたの。
3人のギターで「SMACKWATER JACK」をやって、それもとってもカッコよかったの。

でもね。


アンコール2曲目が「YOU'VE GOT A FRIEND」で、もうアタシゃ完全にイッちゃってたんだけとさ。
その途中で二人が出て来てさ。
あろうことか2番をジェフリーさんが歌い出しちゃったのよ。


ありゃね。
すごい体験だね、ある意味。
それまで完全に夢の中でフワフワしていたのに、バキッと音を立てて現実に引き戻されちゃってね。
涙も鼻水もピタッと止まってさ。
私だけじゃないね、絶対。まわりの鼻をすする音が消えたもんね。(笑)


だっからさー!
キャロルキングを、そんな風に上手に歌っちゃ駄目なんだってばぁあああっ!!


この日がどうやらジョーさんのお誕生日だったらしく、キャロルキングは曲の最後の方で即興的にハッピーバースディを折り込んで、ジョーさんはとっても嬉しそうだった。
「YOU'VE GOT A FRIEND」の歌詞の主旨が正にそこにあって、もう、しょーがねーなーって感じね。

でもアタシは、生キャロルの、
「こぉぉおーる まい ねーむ あうと らぁぁぁうど」
が聞きたかったんだよぉおおおっ!
一生に一度のチャンスだったのにぃいいっ!!


ダブルアンコールはロコモーション。
楽しそうにハンドマイクで歌ってました。




オリジナルを作り始める前に、歌のお勉強的に歌っていたキャロルキングの曲は、実に歌い心地が良いのだった。
メロディの力の前に、言葉の力があった。
英語の歌だから、その言葉は私の言語ではない。だから歌う時にそこにあるのは、言葉が表わす感情であり、理屈ではない。
その感情に、メロディが常にベストマッチしているのだ。
だからこそ、歌詞が、言葉が大事なのだと、多分その時、私の身に染み付いてしまったんだと思う。
音楽は無機質な音の連続ではなく、感情の塊なのだ。
私のキャロルキングとの出会いは遅く、その頃の音楽の主流はコンピューターミュージックに移行していたけど、機械に弱いこともあったけど、それら打ち込みの音楽に全く心を動かされなかったのは、キャロルキングの音楽の‘教え’のためだろう。
人間は感情の動物であり、歌詞は感情の塊であり、メロディは、音楽は、それを最高に引き立てるもの。
その私の絶対的音楽的ポリシーは、15年間全く動かない。
音楽の王道はリズムだという考えにも、歌詞など音楽に不要だという考えにも、ちゃんと接した。それはそれで勉強になった。
しかし、キャロルキングに出会い、オリジナルを始め、それをアピアで始めたこと。人間なんだから興奮したら走るのが当たり前、テンポのキープなんて意味ないよ、という考えの持ち主であるアピアパパとの出会い。伝わらなければ、上手くたって意味ないよ、というアピアママとの出会い。
私は`リズムが王道’の世界も`歌詞不要’の世界も選ばなかった。そちらの世界の人々も、私を選ばなかった。
そして今の私がいる。


ここのところ、私の中でもやもやしていた事の一つに、変われない事、というのがあった。
変わる事の価値があるという頑固な考えが私を支配して、それにがんじがらめになっていた。
キャロルキングは、全く変わっていなかった。歌もピアノも、初めて聴いた時と同じだ。想像していたよりハードなだけだった。またCDを聞き直したら、以前よりハードだって思うかもね。ライブだからって事もあるかもしれないけど。そして当分聞き直す気はないけれど。
4~50年歌っていて、ピアノを弾き続けて、全く変わってない。
あのピアノが上手いかっていうなら、決して上手いピアノじゃない。
上手いピアノなど、彼女には不要なのだ、きっと。


あなたがいて、私がいて、私達はお互いがいて生きているのよ。
そんな彼女の生き方、その事に対する熱い思いが、長い年月の間、微動だにしないのだ。
その思いが、あの声なのだ。


私に、歌というものの在り方を教えてくれたキャロルキングは、この日、変わらない事の大切さを教えてくれた。
それは古い歌や聞き込んだ歌が、そう思わせたのではない。
それらも結局手段でしかない。
彼女の`今’の姿が、それを伝えてくるのだ。


変わらない事も、勇気だ。