田中眞紀子(シンガー・ソング・ライター)

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ライブ考察

2008-04-28 05:02:43 | Weblog
下手すりゃ朝までかと思っていたが、帰ってきた。
26日はとにかく寝倒したので、疲れているが眠れそうにない。
変に興奮しているし。

25日のカワカミさんのライブは、やれることはやったし、結構満足している。
随分準備時間を取ったわりには、ミスが多かったが…(笑)
今回は二人だったので、グルーブとか、そういう事は私はあまり考えておらず、対バンがカワカミさんが師と仰ぐ火取ゆきであったので、一人で歌って勝負して頂きたく(笑)、コーラスもせずピアノに専念した。
で、わかったこと。
以前に河内伴理のサポートで、息があがるほど追い詰められたような感覚に陥ったことがあるが、それほどではないにしろ、少々追い詰められるような感じがこの日もあったのだ。つまり、何らかの形で声を出す(MCでもコーラスでも)は、いかに身体をリラックスさせるかという事だ。
伴ちゃんのせいではなかったらしいの。ごめんね伴ちゃん!

今回、私としてやりたかったのは、ピアノでいかに情景を描けるか、いかに絵画的に、或いは映像的に奏でられるか。
3曲目の「春が飛ぶ」の中に`渦巻き模様の春が飛ぶ’というフレーズがあり、楽曲的にこの曲ではできなかったので、2曲目の「春の残酷」で渦巻き模様を描いてみたりした。下手くそではあったが(笑)。
カワカミユニットが始まった時、ドサッと渡された曲達でカワカミさんの使うコードの難解さにかなり苦労したのだが、それでも何を弾いているのか解析して、なるべくその音感をピアノでも出したいと更に苦労したのだが、ギターとピアノでは同じ音を使っても響きだの存在感だのがまるで違うので、苦労したわりには満足した結果が得られず、消耗感は否めなかった。
今回ドサッと渡された新曲群では、ピアノ主体でギターが乗る感じ、或いはカワカミさんの難解なテンションノートに対し真っ当なコードを私が付ける事で、すっきりした、その上で広がりのある音感が出せたようである。それが、これぞピアノのの伴奏の王道を行くような「春が飛ぶ」と4曲めの「グラビア」。
先日のコメント欄にも書いたが、「グラビア」はここのところの彼の楽曲としてはピカ一と思われる。指定されたコードを弾くだけで充分なのである。楽して幸せになれる曲だな、私には!(笑)
一方、弾く方も相当緊張したのが5曲目「踉めきの骨」。アレンジしたのは私ですので、しかたがありません。(笑)ここで欲しかったのが`空間’である。奥行きの深い空間。で、自分が緊張する羽目に。。。
ラストの「ちゃあちゃんが死んだ日」がかなりの重量感なので、どうしても欲しい空間であった。この「ちゃあちゃん~」での情景は、カワカミさんご指定の荒れ狂う日本海。出せていたかどうか… 頑張ったけどね。爪の先が2本ちょびっと裂けていたし、血豆も1個出来てたよ。(笑)
なお1曲目の「インスタント」、いかんよ、私の性格の悪いのに火を着けちゃ!大好きなんである、こういうの!!(笑)


火取ゆきのソロは、来るものがあった。
この人は立つだけで空洞を作ってしまう。
以前にも書いた気がするが、まだアピアが今のバーフロアの方でライブをやっていた時、裏を走る山の手線の電車の音がライブの最中に聞こえて来るのはしょっちゅうで、それは普通は`雑音’なのであるが、火取ゆきがその音をバックにチューニングをしたりすると、もう、物凄い映像になるのである。
それを久しぶりに見た。
新曲の緊張も空洞感に拍車をかけていた。


さて、先ほど終えて来た、1年ぶりの佐渡山さんのライブ。
17時間リハしたカワカミさんとは正反対の、当日のみの2時間リハ。しかもリハが終わってから曲を変えたりとか、まぁ仕方ないんだけど。
これまたかなり頑張ったのである。
佐渡山さんのギターをガン見し、歌詞をチラ見し、別に書かれたコードをおっかけ、そう言っちゃなんだが、ほとんど鍵盤を見ていないのだ。
エラいぢゃあないかっ、アタシ!
その上、美しい女性シンガーの伴奏を急に任されるし。あれがこの2日のライブの中で一番緊張したわい!やっぱり、知らない人のピアノを弾くって、しんどい。

リハで、何か歌えという事になり、ひめゆり関係の歌を2曲とも聴いて貰った。
リハ後に歌詞を見せて駄目出しをして貰う。
重い`駄目’が帰ってくる。やまとんちゅうの感覚だと言われる。
結局「セルリアンブルーの海」を歌う。
`少女の恋’とは、ひめゆりの少女と兵士の事と取られてもいいけど、実は女子校の女の子同士の`恋’なんだよと説明したら、むしろ納得してくれたのだ。
女子校出の私としては、そこに絶対の確信が(笑)あるのである。
`憧れ’を越えてしまったような、それでいて`恋’ともつかない、成就することのない微妙な切ない幼い`想い’。
ひめゆりの資料を見ると、学年ごとに髪型が決まっていたのだ。1年生がおかっぱ、2年生はおさげ二つ、3年生は結い上げて、みたいな。すこしづつ髪を伸ばして女らしくなってゆき、良いお嫁さんになれるようにというところなのだろうが、そんな風に女らしくなっている上級生を下級生が憧れたりするのは、`絶対’(笑)あったはずだ。この歌の出発点の一つが、その確信なのである。
別に弁解するわけじゃないが、女子校時代、どっちかっていうと私は、そんな同級生たちを`けっ!’てな感じて眺めていた一群にいたのであるが、そういう気持ちを素直に表している同級生達を、心のどこかでその正直を羨ましいと感じていたのかもしれないと、今は思ったりする。

ちなみに。
他校の実態は知らないが、大体同じようなもんじゃないかと思うが、女子校なんだから男はいないとわかっているのに`男がいない’と不満がるやつらと、そうやって疑似恋愛に走るタイプと、自分が小学校の男の子みたいになっちゃう連中と、3パターンに分かれるんじゃないですかね、女子校の女子。
共学の子より中性的なタイプが多いと思われるね。
で、大学とか入ると、驚愕するほど変貌するのよ、免疫ないから!(笑)
まぁ、昔の話かもしれませんが…



そりゃあ、うちなーと同じ感覚になるのは無理だ。
でも、感じるものがあったのだから、表現する者としては表現するべきだと思うだけだ。
できれば現地の人の納得するものでありたい。
それが`言葉’ならば、どんなに深くまでも言葉を探るしかないだろう。