マックンのメモ日記

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マヤの水の神殿を発見 “激動の時代”の爪跡か!

2015-02-25 23:17:24 | 芸術(音楽など)・文化・歴史
ベリーズの静かな森にたたずむ深い泉に、古代マヤの人々に“干ばつカルト”が広がっていたことを示す遺跡が眠っていました。マヤの人々は、文明国家が滅びないようにと雨の神に供物と祈りを捧げたようです。

今回、考古学者のグループがベリーズのカラ・ブランカで発見したのは、水の神殿の遺跡です。小さな広場があり、朽ちた小屋と小さな2つの建造物の名残がみられ、中心となる建造物は、人々がマヤの雨の神や地下界の悪魔に供物を捧げたとみられる深い泉の淵にひっそりと建っています。

遺跡からは、古代マヤ文明の崩壊期に干ばつに見舞われた人々の信仰が見てとれます。ピラミッドを築いたマヤ文明は、長きにわたり中央アメリカの広範囲で繁栄しましたが、西暦800年以降、ほとんどの都市国家が崩壊したのです。

カラ・ブランカの白い岩壁の下で、祈りを捧げに訪れた人々は壺や瓶、器などを神殿の泉深くに沈めた。供物には近辺で作られたものと遠くから運ばれたものがあり、この遺跡に広く一帯から人々がやって来て雨乞いをしたことを示しています。

「祈りを捧げる人々がここへ来て身を清め、神に供物を捧げていました」今回の発見をした研究チームのリーダーでイリノイ大学の考古学者、リサ・ルチェロ氏は言います。ルチェロ氏は、セノーテと呼ばれる天然の泉の深さを4年かけて測定し、セノーテの底に長い間発見されずにあった陶器や石の道具を発見しました。「ここは、神聖な意味をもつ特別な場所だったのです」。

しかし、人々が常に足繁くこの神殿を訪れていたわけではなかったようです。とりわけマヤ文明初期の供物が少なかったことは、裏を返せば、泉に住むとされた雨の神チャクの怒りが鎮まるように、ある時点から人々が強く望むようになったことを示しているのかもしれません。ルチェロ氏とカリフォルニア州モアパーク・カレッジの考古学者アンドリュー・キンケラ氏は、広範囲の干ばつが古代マヤを襲った後に神殿への供物が増えたと指摘しています。

しかし供物もむなしく、雨の神チャクと地下界の悪魔は古代マヤ文明を滅亡させました。雨を降らせてから、干ばつをもたらして。ペンシルバニア州立大学の人類学者ダグラス・ケネット氏の研究チームは、洞窟にできた石筍(せきじゅん)を分析し、大量の降雨によりマヤの人口が急激に増え、西暦660年まで続いたことが推定されると報告しています。雨が降らなくなると、古代の王国は滅びたのです。