マックンのメモ日記

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法然上人800年大遠忌、親鸞聖人750年大遠忌に見る日本仏教史!

2011-06-16 20:32:22 | その他
日本の仏教史をみると、大和時代に日本に伝来しましたが、当時は仏教による国家鎮護が目的でした。奈良時代なっても国家鎮護に変わりはなく、宗教といってもそれ自体を学問としていたような時代でした。

平安時代になると平安仏教(山岳仏教)と言われるような、日本に初めて本格的な宗派が誕生した時代です。これらは今までとは違って、国家の意図に呪縛されていた従来の仏教への批判でもあって、国家と一体となった仏教から一定の距離を置く意味もあり、都から離れた山岳に寺院を作ったのです。そして自らを開祖とする新仏教宗派を開いたのが、天台宗の最澄であり、真言宗の空海でした。しかし平時代の終わりごろになると末法思想なるものが流行り、このような風潮の中、阿弥陀仏の西方極楽浄土への往生を目指す信仰(浄土教)が人々の間で大流行したのです。源信は、このような中で「往生要集」を著し日本念仏思想の基礎を築き、浄土教の始祖とも呼ばれています。

鎌倉時代になると大衆仏教が花を開き、現在まで続く有力な6宗派が誕生し、日本史上、仏教が最も繁栄した時代です。国家の宗教から大衆の宗教へと変わっていたなかで、末法思想、源信の浄土教の流れから誕生したのが、阿弥陀信仰、他力本願グループの浄土系です。「法然の浄土宗」、「親鸞の浄土真宗」、「一遍の時宗」です。浄土宗の法然は阿弥陀仏のみを信じて「南無阿弥陀仏」と唱えることにより、貴賎上下や男女の区別なく西方極楽浄土へ往生することができると説いたのです。そして浄土真宗の親鸞になると、阿弥陀仏の願力によって、信心のみで、いかなる者も救われると説き、戒律は軽視、妻帯を許したのです。さらに時宗の一遍になると、阿弥陀仏の絶対性は、「信」すらも不要、念仏のみでよいと主張するようになっていったのです。これをみれば、浄土真宗と時宗は浄土宗の亜流(発展系)ということも言えます。ちなみに浄土真宗は親鸞の死後に宗派として確立したのであって親鸞が自ら立ち上げたのではないのです。

禅宗グループには、臨済宗と曹洞宗などがあり、栄西が臨済宗を、曹洞宗を道元が開きました。禅宗とはもっぱら座禅を修行し、内観・自省によって心性の本源を悟ろうとする宗門。達磨(だるま)が中国に伝え、日本には鎌倉初期に栄西が臨済禅を、次いで道元が曹洞禅を、それぞれ入宋ののち伝えて盛んになりました。栄西の臨済禅は、看話禅という師弟の問答による修行禅であり、道元の曹洞禅は、「只管打坐」による「即身是仏」を説いています。ちなみに江戸時代に明の隠元が来朝して黄檗(おうばく)の一派を開き、現在この三派が並び行われています。

日蓮宗は日蓮が開宗したもので、釈迦仏に帰依し、「南無妙法蓮華経」を唱えて善行を積むことが救いになると説き、末法における国家・社会の救済を至上目的としていました。個人の救済だけでなく、社会や国家全体の救済を主張したところにも特色があり、現世における仏国土の建設を目指した。日蓮の他宗派批判や救国論は過激で、そのため他宗派や幕府の排斥にたびたび会っていますが、このように排斥された一方で、現世重視の思想は、後代まで町人から圧倒的支持を受け、その思想は現代まで引き継がれています。