あとだしなしよ

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哲学者とオオカミ

2011年01月10日 | 
Amazoncojp: 哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン マーク ローランズ Mark Rowlands 今泉 みね子 本という本を読みました。本物のオオカミと日常生活を共にした、アメリカ人の哲学者が書いた本です。
ここではわたしはサルを、わたしたちすべての中に多少ともはっきり存在する、ある傾向のメタファーとして使う。「サル」とは世界を道具の尺度で理解する傾向の具現化だ。サルとは、生きる事の本質を、公算性を評価し、可能性を計算し、結果を自分につごうよいように使うプロセスと見なす傾向の具現化だ。世界を資源、つまり自分の目的のために使うことのできる物の集合と見なすのだ。サルには友達はいない。友の代わりに、共謀者がいる。サルは他者を見やるのではなく、観察する。そして観察している間じゅう、利用する機会をねらう。猿にとって生きるということは、攻撃する機会を待つということだ。おまえはわたしのために何ができるか、おまえにそれをしてもらうにはいくらかかるか、という原則だ。サルは人生で一番大切なものも、コスト・利益分析の視点から見るのである。
多くの人間では、人生につていの話からオオカミ的なものはほとんど消去されてしまった。けれどもこのままこのオオカミを死滅させては、私たちにとって危険である。サルの策略は、最終的にはなんの成果も産まないだろう。サルの知恵はあなたを裏切り、サルの幸運は尽き果てるだろう。そうなってやっと人生にとって重要なのは、これらがあなたを見捨ててしまった後に残るものなのだ。一番大切なあなたというのは、策略をめぐらせるあなたではなく、策略がうまくいかなかったあとに、残るあなただ。もっとも大切なあなたというのは、自分の狡猾さに喜ぶのではなくて、狡猾さがあなたを見捨てた後に残るものだ。究極的にはサル的なものはあなたを必ず見捨てるだろう。あなたが自分自身に問うことのできるもっとも重要な疑問は、これが起こったときに、その後に残るのは誰なのか、という問題なのである。


とても面白かった。
ゆっくりゆっくりと読みました。


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