工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

王族、貴族とグランプリと、オリンピック

2024年07月28日 | 日記

 このところブログをほったらかしで失礼しました。模型でちょっと大きめのものをやっていて、締め切りが近いものですからどうしてもパソコンの方に向かう時間がなかったり、仕事が忙しいまま(これは来春まで変わらない)だったりというのもあり、久々の投稿です。

 パリ五輪が開幕し、たくさんのお客さんの中で選手たちが健闘されているのを観ると、やっぱりお客さんを入れてこそ盛り上がるよなあという感じで、東京大会になまじ中途半端に関わってしまったものですから「忘れたいけど思い出せないのだ(Ⓒバカボンパパ)」という感慨を持ってしまうのです。

 さて、先日「フェラーリ」という映画を観た話を書きましたが、そこにもポルターゴ侯爵ら貴族出身のドライバーが出ていました。自動車が一般にいきわたる前の時代では、自動車を持つことができ、さらにそれを「レース」という道楽に使える層となりますとだいぶ限られます。古代~中世において騎士が馬具、武具を自費でひと揃えしたのと同じで、自動車レースもお金がかかるわけです。F1でもポルターゴ侯爵、フォン・トリップス伯爵(ドイツ)などが出走していましたし、90年代にもシチリア貴族の血を引くというラバッジというドライバーがミナルディにいました。ピットウォールでドライバーに情報を伝えるラバッジのサインボードには「CONTE」(伯爵)と表記されていたと聞きます。また、王族では以前ご紹介したタイのビラ王子もいました。

 さて、こうしたやんごとなき方々の中にはF1に飽き足らずほかのスポーツにも挑戦、中には五輪に出場した方もいました。ポルターゴ侯爵は1956年(先日の映画の舞台になった前の年のことですが)の冬季五輪にボブスレー2人乗りのスペイン代表として出場、4位に入る健闘ぶりでした。また、ビラ王子はレーシングドライバーを止めた後にセーリングの選手として1964年の東京大会を含め、何度か五輪に出場しています。

 で、一つ気になったことがありました。今ほどではなかったにせよ、レーシングドライバーはメーカーと契約すれば報酬も得ますし、自費でマシンを揃えるプライベーターであってもレースでそれなりの報酬を得ているわけですから、そういう人たちがアマチュアスポーツの祭典だった頃の五輪に出場して問題なかったのか、という疑問です。F1を含め自動車レースが現代のように大量のお金と人が動くスポーツになる前だったということもありますが、プロスポーツであり、特に入賞すればお金を得ることには変わりはありません。やはり、王族、貴族はそれが「職業」であり一般とは切り離された「別の世界」の人々ということだったのでしょうか。IOCは今も王族だったり、爵位を持つ人たちで占められていますからね。私自身はここで君主制や貴族制度をどうこう言うつもりはありませんが、F1をはじめ西洋発祥のスポーツでよく語られる「ヨーロッパ文化の森」とやらも、霧がかかっているというか、だいぶかすんで見えてしまうことがあるのです。

 かつての五輪と言えばアマチュア以外に参加は認められず、社会主義国や西側の国ではイタリアもそうですが、公務員の立場で鍛錬を積み、試合に出場する「ステートアマ」だったり、社業はほどほどで企業にアスリートとして所属する「企業アマ」を本当の意味でアマチュアと呼べるのか、といったことが指摘されたこともありました。ポルターゴ侯爵については現役のF1ドライバーですし、ビラ王子も引退していたとはいえ、元プロスポーツ選手という立場です。1912年のストックホルム大会でジム・ソープというアメリカの陸上選手が金メダルを獲得するも、学生時代に夏休みに野球のマイナーリーグでプレーしていたことが理由で、メダルをはく奪といったこともありましたし(アメリカ先住民の血を引くソープに対する人種差別の面もあるようですが)、1970年代くらいまでアマチュアに対する縛りというのはかなり厳格だったように記憶しています。余談ですが日本でもバラエティ番組に無断で出演したら即引退、みたいな縛りがあったと聞きます。メディア出演のマネージメントを芸能事務所に依頼する選手がいる現在とは大きな違いです。

 このブログにしては少々小難しい話を書いてしまいました。鉄道への妨害行為があったり、大雨の中で開幕など、100年ぶりのパリ五輪も波乱のスタートとなりましたが、あとは無事に大会が運営され、選手たちの活躍が見られることを期待しています。国や人種は問わず、すごい人たちの博覧会であることには、今も昔も変わらないわけですから。

 

 


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