工作台の休日

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1000戦を超えたF1グランプリと・・・

2019年04月29日 | 自動車、モータースポーツ
 F1グランプリ(GP)は先日の中国GPで1000戦を迎え、昨日決勝が行われたアゼルバイジャンGPで1001戦目を終えました。
 1950(昭和25)年に、ドライバーに対する世界選手権として始まったF1GPが英国・シルバーストーンサーキットで開催され、英国王ジョージ6世(当時)(映画「英国王のスピーチ」でも描かれた国王ですね)らロイヤルファミリーも来場されたと伝えられています。以来70年、多くの国とサーキットを舞台にレースが開催されています。日本も1964年のホンダの参戦、1976年のF1初開催といった出来事をはじめ、サーキット、メーカー、ドライバーなどさまざまな形でかかわりを持っています。
 では、日本人として初めてF1を観戦したのは誰か?ということになりますが、これまでもさまざまな形で紹介されておりますが、天皇陛下が記録として残っている最初のF1観戦をされた日本人の一人、と言われています。
 昭和28(1953)年、英国のエリザベス2世の戴冠に合わせ、当時皇太子だった天皇陛下は北米を経由して欧州を訪問されています。英国女王の戴冠式に参列された後、欧州各国を訪問され、ドイツに到着されました。ちょうど公式行事が無い8月2日に随員から「近くで自動車競争があるからご覧になられては」と促され、ドイツGPが行われるニュルブルクリンクを訪問された、と言われています。
 私がこの話を初めて知ったのは、今はなくなってしまった雑誌「F1倶楽部」(双葉社)vol.7(平成6年)の「ニッポンのF1」という特集記事にあった「殿下、F1でございます」という記事でした。本稿もその記事の引用となりますが、ご容赦ください。
 このときに皇太子殿下はこのレースを観戦されただけでなく、表彰式では優勝者のジュゼッペ・ファリーナに賞品を渡し、一緒にカメラに収まっています。急遽決まった観戦で、しかも表彰式にも参加された、ということで、現代のように全てがスケジュール通り進行する表彰式とはだいぶ様相が異なるところも興味深いです。今日、いくつかのメディアでも紹介されている、表彰式で19歳の皇太子殿下と優勝したファリーナが並んでいる写真は、F1倶楽部誌が取材の過程で朝日新聞社に問い合わせたところ「発掘」されたもので「キャプションもなく倉庫で眠っていた写真で、やっと日の目を見た」というものだったそうです。長らく、写真でしかこの時の様子を知るものはなかったのですが、最近では当時のニュースフィルムと思しき映像もインターネットで見ることができます。
 このレース、実に3時間の長丁場(当時のF1には今のような「2時間ルール」はありませんでした)だったのですが、宮内庁の記録によれば皇太子殿下はレース後に「用意された車でコースを1周され、『自動車競争は初めてであり、非常に楽しかった』と述べられた」そうです。また、随員を務められた吉川重国氏の著書もF1倶楽部誌で紹介され、それによればサーキットで皇太子殿下は拍手で迎えられ、レース後に場内を1周された際も観客はほとんど立ち去らなかったとあります。また、車でのコース1周は30分かかった(ちなみに決勝の最速ラップは9分56秒)そうで、1周23キロのニュルブルクリンク旧コースですから「ひどい山坂、急カーブがたくさんあった」とあります。当時の写真を見るとニュルブルクリンクのコースは現代の管理されたサーキットというよりはまさに「山坂道」という感じですから、ちょっとした山道のドライブのような感覚だったのではないでしょうか。

 さて、このレースですが、F1初期のレジェンドでもあるファリーナ、ファンジオ、アスカーリらが出走し、後にタイトルを獲得するホーソーン、当時はまだイギリスの若手だったモス、アジア初のF1ドライバーとして名を残したタイのB・ビラ王子も出走しています。F1の歴史に以前から関心を持っている私にとっては、天皇陛下は若き日になんとも贅沢なメンバーのレースをご覧になったのだなあと思うのです。
 また、このレースですが、出走台数が史上最多の34台となり、今も破られていない記録です。1950年代に世界選手権に組み込まれていたインディ500の33台よりも多かったのです。これには事情がありまして、1952年、53年シーズンにはF2規定でF1を開催するという変則的なルールが適用され、現代と違ってスポット参戦が自由だった時代ですので、ドイツGPでは地元で作られた多数のF2マシンが参戦したというものです。中には東ドイツから参戦したマシン、ドライバーもありました。また、この時代のF1の特徴でもありますが、優勝したファリーナは46歳、4位のボネットは49歳(!)と今では考えられないくらい高年齢のドライバーが活躍していました。

 その後、天皇陛下がF1を観戦されたという記録は残っておりません。私の手元にあります「クルマよこんにちは」(中村良夫著・三樹書房)によれば、天皇陛下は皇太子時代にホンダの研究所内のテストコースでホンダのF1マシン走行をご覧になり、ドライバーのリッチー・ギンサーと握手をされた、とあります。1960年代の第一期参戦の時のことでしょう。
 皇族方とF1の関連ということですと、昭和51(1976)年と翌52(1977)年に富士スピードウェイで開催されたF1GPで、主催者が高松宮殿下に大会名誉総裁を依頼されたのと、昭和62(1987)年に鈴鹿で開催された日本GPに三笠宮宜仁殿下(のちの桂宮様)が特別来賓として観戦されている記録があります。

 天皇陛下が自動車好きという話は聞いたことがありますし、近年、運転免許を返納されるまで御所の中でホンダ・インテグラのハンドルを握られていたそうです。あの日、ニュルブルクリンクでご覧になったレースから、長い年月が経ち、マシンもサーキットもだいぶ変わっておりますが、日本もF1の一員として地位を築いており、グランプリは今も続いております。
 

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