中老僧 一乗阿闍梨日門上人によって永仁3年(1295)に開山された、とあるが、身近にある本やweb、Google検索では、ほぼ日門上人のことは載っていない。深追いする理由もないのでやらないが、唯一つ、大陸布教をめざした六老僧・日持上人が奥州、蝦夷、樺太、大陸(中国)行脚への途次、大仙寺(現・孝勝寺)の日門上人のところへ立ち寄っているという記述(伝承)があったのが、後になってから気になった。
日門聖人 墓碑
光明山 孝勝寺は日蓮宗の本山(由緒寺院)である。門前の石塔には「奥陽身延本山 孝勝寺」と刻字されている。日蓮宗最北の本山ということだ。伊達家一門格の寺院でもあった。
徳川期・伊達時代、二代藩主伊達忠宗の正室、徳川家康養女・振子姫の篤信により七堂が完備した。三代綱宗の時、母・振子の法名「孝勝院殿」にちなんで、寺号・孝勝寺とした。綱宗室・三沢初子(政岡の局)も法華信仰篤く、子・亀千代(のち四代綱村)を守護した。綱村は好学の人で、飯高檀林の首座・六牙院日潮上人を招いて住持とした。日潮上人は光明山孝勝寺の中興、後の身延山三十六世である。そしてなにより、『本化別頭仏祖統記(紀)』(ほんげべつずぶっそとうき)の著作者である。日蓮宗史の基本史料とのこと。(見たこともないけれど)
そして時代は現代(今)。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災。太平洋沿岸、三陸沿岸地域では多くの人々が亡くなり、多数の被災者を出した。今現在、被災された人たちの生活再建・復興の努力が続いている。これは亡くなられた人たちへの追悼・供養とも一体である。
同年の11月5日、ダライ・ラマ14世が来日。石巻市の西光寺での犠牲者慰霊の法要に出席され、その後、仙台市内の孝勝寺を訪れた。「今、逆境をのりきるために必要なこと」と題して講演を行ったそうです。
東北地方・宮城・仙台において中心となる日蓮宗寺院、光明山 孝勝寺は「こころの復興」に大きな役割りを担っている、と思われる。
日門聖人 墓碑
光明山 孝勝寺は日蓮宗の本山(由緒寺院)である。門前の石塔には「奥陽身延本山 孝勝寺」と刻字されている。日蓮宗最北の本山ということだ。伊達家一門格の寺院でもあった。
徳川期・伊達時代、二代藩主伊達忠宗の正室、徳川家康養女・振子姫の篤信により七堂が完備した。三代綱宗の時、母・振子の法名「孝勝院殿」にちなんで、寺号・孝勝寺とした。綱宗室・三沢初子(政岡の局)も法華信仰篤く、子・亀千代(のち四代綱村)を守護した。綱村は好学の人で、飯高檀林の首座・六牙院日潮上人を招いて住持とした。日潮上人は光明山孝勝寺の中興、後の身延山三十六世である。そしてなにより、『本化別頭仏祖統記(紀)』(ほんげべつずぶっそとうき)の著作者である。日蓮宗史の基本史料とのこと。(見たこともないけれど)
そして時代は現代(今)。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災。太平洋沿岸、三陸沿岸地域では多くの人々が亡くなり、多数の被災者を出した。今現在、被災された人たちの生活再建・復興の努力が続いている。これは亡くなられた人たちへの追悼・供養とも一体である。
同年の11月5日、ダライ・ラマ14世が来日。石巻市の西光寺での犠牲者慰霊の法要に出席され、その後、仙台市内の孝勝寺を訪れた。「今、逆境をのりきるために必要なこと」と題して講演を行ったそうです。
東北地方・宮城・仙台において中心となる日蓮宗寺院、光明山 孝勝寺は「こころの復興」に大きな役割りを担っている、と思われる。