かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

江戸検 受験予定者らしく 公使館跡巡り その2の2 オランダ・略年表

2010-04-21 | 都内散策・江戸検定
現在のオランダ大使館




裏手 桜田通からのオランダ大使館


表門へ オランダ大使公邸






オランダ大使館(駐日オランダ王国大使館)
東京都港区芝公園3-6-3


略年表 幕末の日蘭交流と主なできごと

嘉永5年(1852)       最後の商館長ドンケル・クルティウス着任(注1)
嘉永6年6月(1853)     ペリー来航(浦賀・久里浜)・開国要求
嘉永7年1月(1854)     ペリー再来航(浦賀)
嘉永7年3月3日(1854)  日米和親条約の締結 (11月 安政に改元)
                  長崎に海軍伝習所を設ける
安政2年12月(1856.1)  日蘭和親条約の締結(長崎にて)
安政3年(1856)        蕃書調所 設立
安政5年6月19日(1858) 日米修好通商条約の締結
安政5年7月10日(1858) 日蘭修好通商条約の締結(注2)
                   福沢諭吉による蘭学塾、江戸に設立
安政6年(1859)       長崎海軍伝習所閉鎖
                 出島オランダ商館閉鎖、領事館となる
                 風説書の廃止
安政7年1月(1860.2)   オランダの初代駐日総領事デ・ウィット着任
                  (総領事館は、なお出島にあった)
                  咸臨丸の太平洋横断
文久2年(1862)       蕃書調所を洋学調所と改称
                 幕府、留学生をオランダに派遣
文久3年5月(1863.7)   オランダ総領事館、長崎から江戸に移る(注3)
文久3年(1863)       洋書調所を開成所と改称
慶応元年(1865)      西周、津田真道らオランダから帰国(12月)
慶応3年(1867)       徳川慶喜、大政奉還

(注1) アメリカ使節の明年来航・開国要求を報告(ペリー来航予告情報)。
安政2年(1855) オランダ駐日特命全権領事官になる。

(注2) 安政5年(1858.4) クルティウス、修好通商条約の交渉のため江戸に入る。
宿所として指定された愛宕下・真福寺(真言宗)に滞在。
(その後、ロシア使節プチャーチン、フランス公使グローも滞在)
・幕府は市中の旅宿である「長崎屋」は適当でないと判断した。
・クルティウスが長崎にもどってから日蘭通商条約の締結。
・オランダは当初、外交使節を江戸に置かず、長崎出島を本拠地とした。
・総領事が江戸に出府したさいは、高輪・伊皿子の長応寺(日蓮宗)を利用していた。

(注3) ポルスブルック、在日オランダ総領事・外交事務官になる。(本拠地・横浜)
・江戸での公館として、長応寺が引き続き利用された。
・ポルスブルックは、スイス・ベルギー・デンマークなどのヨーロッパ諸国と幕府の条約締結に
 積極的に関与した。
・長応寺は、これらヨーロッパ使節と幕府の外交交渉の舞台ともなった。
 

参考・抜粋
『江戸の外国公使館』(港区立郷土資料館)の年表
HP『年表|江戸時代の日蘭交流』(国立国会図書館)
HP『駐日オランダ王国大使館』内、日蘭交流の歴史
『見る・読む・調べる 江戸時代年表』(小学館)