かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

江戸検 受験予定者らしく 公使館跡巡り・その2 高輪・長応寺跡

2010-04-20 | 都内散策・江戸検定

あるはずの「オランダ公使館跡・長応寺跡」の案内看板が、ない!?
どうしても見つからない。

江戸幕府、開国後のオランダ公使館は長応寺にあったと、どの本にも書かれている。
江戸歴史散歩の芝・三田・高輪地区について書かれた、どのブログにも紹介されている。
長応寺は、よんどころない事情で、明治期に北海道に移転した。
だから、お寺の跡形もない。そういうこともあるだろう。
長応寺のあった場所は、所有者が変わりながらだろうが、今はマンション群になっている。それも時代の流れだ。

けれども・・・
港区内、どこの地図板をみても高輪・泉岳寺の右手、やや上(東と北のあいだ)に
「長応寺跡 (オランダ公使館跡)」と、★印つきで載っている。
なのに、それでおしまい、ってあり?
由来を記した案内看板はあるの? ないの?

これは現地に一番近い、石柱だかコンクリだかの地図標識



道歩く人、八百屋のおじさん、交番のお巡りさん、区支所の職員さん。
皆、きまって、さー、?
該当するHPを探した。
『史跡東京港区』の「オランダ公館跡」。遠景だが、確かに案内板だ!
プリントを持って、三回目の伊皿子訪問。
交番にはお礼方々、2度目の訪問。前回はわからなかった。
前とは別のお巡りさんだったが、気にかけてくれていた。
プリントした小さな画像をみてもらう。隣の建物の白い柱をみて…あそこだな…
場所は特定した。秀和まわりではない。
お礼をいって、現地へ向かう。何度も歩いている場所。
プリントの画像と見比べ…ここだ…。だが案内板はない。
もうこんなこと、やめよう。
と思ったが、最後に隣のマンション管理室を訪ねる。さー、と首をかしげる。
すこし間があって…、思い出したようだ。
そういえば、確かに案内板あったよ。数年前までは。
お礼をいって、外に出た。
そのころ相前後して建設工事が始まり、そこには大きな高級マンションができた。

案内板があったはずの場所。カメラには撮った。けれど、載せるのはやめた。


芝の西応寺へ移動




石碑 最初のオランダ公使宿館跡


幼稚園の園内にある。
園児たちが遊んでいる時間帯だったので、先生に挨拶をしてから撮影。

西応寺(浄土宗)
東京都港区芝2-25-6

安政5年(1858)7月10日 日蘭修好通商条約の締結。
安政6年(1859)9月1日   オランダ公使宿館を西応寺に設置。
             初代公使クルティウスらが駐在。
慶応3年(1867)12月25日 西応寺、薩摩邸襲撃事件のとき兵火で全焼。
             再建した建物も先の戦災で全焼。

上記、略歴に追加
安政5年(1858)7月8日 イギリス使節エルギン卿一行、江戸に上陸。西応寺に滞在
安政5年(1858)7月18日 日英修好通商条約、西応寺で締結。