森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2008年1月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ||
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | ||
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | ||
27 | 28 | 29 | 30 | 31 | ||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
朝日社説「希望社会へ…」-国の言い分を検証すべき。
朝日社説(1・21、ウェブ魚拓)は「希望社会への提言」で社会保障を扱い、将来図をどのように描くのか、その一端を示している。
提言の核心は、福祉サービスを地方政府に委ねるという点である。分かりやすくいえば、国の責任から地方の責任に移すということだ。ただし、ここでいう福祉サービスとは、以下のように医療や介護もふくむものであるらしい。
工夫のひとつが2番目の提案だ。医療や介護は思い切って地域政府にまかせ、住民が必要とするサービスの内容は住民が決める仕組みにしよう。 |
容易に推測されるのは、社説の立場が中央政府の財政状況の逼迫を前提にしていること、別の言葉でいえば、「小さな政府」がイメージされているといえる。なるほど社説は、やみくもに「小さな政府」にするのではなく、「中福祉・中負担」で連帯型の福祉国家をめざそう 、とは一応いうのだが。
社会保障への毎年の公的支出は、25年度までの20年間に40兆円以上も増えると大まかに試算されている。そのうち20兆円を医療が、10兆円を介護が占める。高齢者が急速に増えるからだ。 |
こう社説がふれるように、社会が高齢化するなかで、将来もふえつづける社会保障という化け物を、このまま国家が負担することは不可能、だから国庫負担を減らさなければならない。その結果、負担を国民に求め、給付内容も後退させてきたのが、この間の図式だろう。
しかし、こんな事実がある。あのフリードマンらの提唱によって新自由主義政策をとってきたことでは先輩格である米国の実情だ。案外知られてないように思えるが、米国の国家財政のうち、社会保障費が実に半分を上回って占めていることだ(下図参照。クリックすると拡大します)。国家の守備範囲を徹底して狭め、防衛や治安など一部に限定し、社会保障を含めて多くは市場に委ねていこうというのが、多くの人が思い描く「小さな政府」ではなかったか。
この事実を前にすると、たちまち立ちすくむ。映画「SiCko」によって、とくに低所得者層にとってはほとんど医療という世界から遠ざけられている残酷な実態が明らかにされたが、件の医療後進国・米国に、日本の国家負担が大きく及ばないことをどのように理解すればよいのか。むろん米国は、図をみれば明らかなとおり軍事費もかなりの部分を占めている。
日本はすでに「小さな政府」というわけだ。
この事実には裏側がある。痛みをともなうといいながら、小泉元首相は、歴代政府のなかでもいちばん借金をつくってきたという事実だ。小泉純一郎の5年間で、国債の発行残高は169兆円も増えたのである。なぜそうなったのか。
国民には負担を強いて、課税を強める一方で、税制上は、企業や財界、大資産家のために優遇してきたこともまた事実なのだから、この企業・大資産家減税と、小泉「構造改革」によるリストラの増加や社会保障改悪が相次いでボデーブローとなって、国民の所得は伸びなかったこと、この2つの側面で税収が増えなかった。したがって、財政悪化の要因は、公共事業の浪費とあわせて、とくにこの5年間の税収減だといえる。
このような事実と経過をふまえてみると、政府説明を鵜呑みにしたような朝日の構想の前提が崩れてしまうように思える。
社会保障が国家財政をダメにしたわけではないのだ。たとえば、朝日のこんなものいいは、滑稽にすら思える。
極力抑えるため、社会保障の中にもある無駄を徹底して排除し、効率化させていく。これは改革の大原則だ。 |
もっと大きなムダ、理屈にあわないことがあるではないか。
米国にも遠く及ばないような日本の社会保障への責任のとり方でよいのか、ということこそ問うべきだ。財政のあり方は、当ブログでなんども繰り返しているように、どこから財源を確保するのか、どこに税を配分するのか、この2つで立ち居地が決まる。
朝日の主張は、この意味で重要な視点を欠いている。国の言い分を検証するくらいのことは少なくともやってもらいたい。(「世相を拾う」08011)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
PS;米国と日本の国家財政の概要を下に図示しました。
メディケアは、高齢者及び障害者に対する公的扶助、メディケイドは低所得者に対する公的扶助。これ以外は、医療サービスを受けるには、公的な保険がないため私的保険に加入するほかないと考えてよいでしょう。
「サンデープロジェクト」;欠落する論点-道路特定財源
議論をある一点に特化させ、単純化してしまうのは、メディアの常なのかもしれないが、出演していた榊原英資がまっとうに批判していたように、余りに部分に拘りすぎる議論に鼻白む。
こんな榊原の発言であった。的を射ている。政権交代や解散総選挙などの言葉がすでに飛び交い、いやがおうでも自民、民主の「対決」をあおりたがるメディアのなかで、自民も、民主も、暫定税率を下げろ、下げないと、政局として扱いツッパリあっている感じが否めない。その分、世論をミスリードしかねない。
政府・与党の見直し案は、ガソリン税の暫定税率を08年度から10年間延長し、道路整備をすすめるというものだ。特定財源だから、10年間で59兆円を道路だけに使おうという計画になる。
そこで、①自動的に道路をつくりつづける特定財源というしかけでよいのか。一般財源化し、他の目的、福祉、社会保障や教育にもつかうべきではないか、②道路建設にむだはないのか。あれば見直す-などの論点が思い浮かぶ。必要な道路整備や交通網は整備されなければならないが、貧困がひろがり、日本社会の悲惨な現実がどこにでもある。最近もまた、行政の見守るなかでホームレスが死に至るという、象徴的な出来事を私たちは見せつけられた。いまや政府の介入によって国民生活と家計の改善させることは待ったなしという思いがする。
だから、そもそも不要不急の道路建設はただちにやめ、財源を特定することなく、国民生活に直結するような福祉、教育に回すことは火急の課題ではないか。一般財源にもどすべきだ。そして、おおもとの議論、これまでの新自由主義路線を継承するのか、それとも家計を温め、国内需要を喚起し経済を活性化させるかどうか、この2つの選択肢のどちらにかじとりをするのか、という根本の議論が求められているだろう。
民主党は、野党第一党としてこの議論をリードしなければならないのではないか。少なくとも今日までの議論では、これがない。鳩山幹事長の発言も迫力がないし、市田共産党書記局長の発言が明快なだけに、曖昧で心に響いてくるものは皆目なかった。税をどこからとって、その財源をどこに使うのか。この点に、それぞれの政党がどこに拠ってたっているのか端的に示される。暫定税率はもちろん廃止すべきだが、ことはガソリンの値段だけの問題ではない。その先を、というより上にあげた根本のところでどんな態度をとるのか、民主党は、国民に示すべきである。(「世相を拾う」08010)
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
PS;町村官房長官が、「ガソリンの値段を下げたら、日本は『環境問題に不熱心な国』という烙印(らくいん)を押される。国際的な評価は取り返しがつかないものになる」と発言したといいます。
「ガソリン価格下げたら、環境不熱心な国の烙印」官房長官
しかし、環境問題で日本が不熱心なことにたいしては、すでに評価は下っています。地球温暖化をめぐる国際会議で、日本は、カナダと並んで最後まで米国と同一歩調をとり、問題解決にむけた国際的な協調のなかで見事に浮き上がりました。「化石賞」受賞という事実はそれを象徴するものでしょう。
環境問題とのかかわりでいえば、一歩踏み込んで、二酸化炭素の排出量を考慮し環境税をつくることが必要だといえます。
【関連エントリー】
朝日社説;「『ガソリン』だけ…」-民主党の政局主義過飽和
どうなる? ガソリン税という前に。道路特定財源とは
患者・国民と医師の関係は双方向か。
振り返ってみると、社会保障というものに、権力を握る支配層は、まさにアメとムチの役割を果たすように強いてきたというぬぐいがたい事実が存在します。今ももちろんそれは変わりはありません。もっとも、私は、一方で社会保障の内実を少しでも前に動かそうとする庶民の意思が同時に厳然としてあったことを無視しようとはけっして思いません。
ただ、こんなふうにも考える。社会保障が改悪され、後退させられようとするとき、国民の間の「利害関係」を逆手にとって、常に分断が持ち込まれ、国民相互の軋轢や「対立」を利用して、事がすすめられてきたという事実に眼をそむけることはできないし、あらためて今そのことを思い起こしているのです。
また、ことは、勤務医たちのはねあがりに受け止められる可能性がまったくないとはいえない。医師という存在が他者とはまったく異なる世界に生きている人種であるがごとく、しつらえられている現実。しかし、かれらの要求は、はたして彼ら自身の、今とはちがうある種の理想郷を視野にいれたものでしょうか。私は、そうは思いません。日本の医療のあり方を患者、国民本位のものにするために、そしてそうするには彼ら勤務医の労働環境が改善されるだけでなく、他の従事者のそれもあわせて改善を迫る、そうしなければ現状を打開する道は断たれるという、他に選びようのない選択だと思うのです。それが実るためには、私たち患者側の国民もともに手を携えることが要る。関係を双方向にしていかなければなりません。そして医療のあり方を、社会保障のあり方を世に問うていくことが必要不可欠だと強く思わざるをえません。
コメントも頂戴して、私が考えたのは以下のようなことでした。みなさんは、どのようにお考えでしょうか。(「世相を拾う」08009)
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
PS;後半は、coleoの日記;;浮游空間で公開している患者と医師の「双方向にならない関係」を書きあらためました。
【関連記事】
世界の片隅でニュースを読む;ドクターズユニオン結成へ~立ち上がった勤務医と医師不足問題
【関連エントリー】
社会保障と「分断」-勤務医の「反乱」再論
朝日社説;「『ガソリン』だけ…」-民主党の政局主義過飽和
国民生活をどう立て直すのか、もう待ったなしの感が強い。給与が上がらないばかりか、小泉前首相が痛みをともなうと平然といってのけすすめられた構造改革によって、社会保障の負担増が追いうちをかけた。だから、家計が冷え込み、国内消費に活気はない。さすがに、心底からの表明とは思えないにしても、年頭に御手洗富士夫氏はこうのべるほかはなかった。その意味では、賃金抑制政策と不安定雇用の拡大路線があらためられなければならない。
豊かな国民生活は確固たる経済成長を通じてもたらされる。しかし、わが国の経済規模は過去10年来伸びておらず、一人あたり国民所得の国際的な順位は大きく落ち込んでいる。 いま国民が感じている閉塞感は、成長が足踏みしていることによる面も大きく、いわゆる格差問題への対応も、全体の規模拡大がなければ限られたパイの奪い合いに陥りかねない。 今後10年以内に主要国中で最高水準の所得を実現することを目指し、あらゆる政策手段を結集すべきである。 |
そこで、いまひとつ求められるのは、国家が家計立て直しに介入することである。
こんどの国会は予算関連課題が中心になる。道路特定財源のガソリン税などの税率を引き上げている暫定税率の扱いが話題になっている。話題になりすぎて意図的なようにも思えるくらいだ。暫定税率は廃止すべきだと考えるが、ここに議論が集中しすぎている。民主党がガソリン値下げ隊を発足させたなどの報道に接すると、またもパフォーマンスかと勘ぐりたくなる。
民主・ガソリン値下げ隊、若手60人で発足
重要なのは、暫定税率の廃止か否かに議論が収斂されて、予算がはたして国民の家計を温めるものかどうかのいちばんの重要な議論から目をそらしてしまうことだ。
自民党政治をあらためたいという思いが強い。自民党政治をあらためるという理解は、当ブログで強調してきたように、財界・大企業優先からいかに脱却するか、そして米軍への思いやり予算からいかに脱しうるか、という議論で表される。いまここで、これに賛成、反対いずれかと迫るのではない。しかし、国民の家計を温めよという点では広く一致できるのではないか。
だから、どうすればそれが可能か、この根本の議論に時間も、力も割くべきだ。今、急がれるべきは、国民の生活、家計をいかに改善し、国内需要を高めて経済の成長をかちとることだと考えるからである。
朝日新聞が、通常国会―「ガソリン」だけじゃない(*1)と題した社説を掲げている。私は、左からみて、この社説の標題に大いに賛成する。ガソリン値下げがはたして問題なのか。設けられた経過をふまえても暫定税率は廃止すべきだし、多くの国民が下がるに越したことはないだろう。
しかし、そうではなく、そもそも揮発油税は特定財源のままでよいのか、そしておおもとの、家計を温める予算とはどんなものか、の議論を横におくべきではない。
先の臨時国会でも、小沢氏の言動にひきずられ民主党のとった対応は自民党との対決などと豪もいえるものではなかった。朝日社説でかくも皮肉られるほど、民主党のとった対応は珍奇なものであった。
民主党に期待を寄せる人は、こんどの国会でも、同じようにはしごをはずされる可能性が少なくない。(「世相を拾う」08008)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
【関連エントリー】
通常国会の論点-家計を温め内需を拡大する。
どうなる? ガソリン税という前に。道路特定財源とは
財界総理の年頭所感に反論する。
*1;ウェブ魚拓 http://s04.megalodon.jp/2008-0118-1515-02/www.asahi.com/paper/editorial.html
PS;小沢氏の「国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。私は反対の意思表示をすでにしている」という発言といい、今回のガソリン値下げ隊といい、同党の政局主義が色濃く反映していると思います。過飽和状態とよんでいいのでは。
小沢一郎氏へ。大事な法案だし、意思表示はない。
国民にとっても民主党にとっても大事な法案ではない。私は反対の意思表示をすでにしている。 「大事な法案ではない。意思表示した」退席問題で小沢氏 |
前段はけっして正しいとは思えません。
大事な法案でないでしょうか。そもそもあなたが、憲法違反といって反対したのは、9条をもつ憲法に抵触する重大な問題だからではなかったでしょうか。安全保障という国家にとって重要な課題にかかわる問題なのに、こんな言葉をさらりといってのけるところが小沢さん、あなたなのかもしれませんが、相当の違和感を私は感じます。
政党ならば、国会のなかで徹底した論戦をやるだけでなく、国民にむかっても問題点を発信し、必要ならば、国民に運動をよびかけるくらいのことは最低必要なのではないか。民主党が旗を振って、国民によびかけ、新テロ法廃案をめざす闘争をよびかける夢をみました。その先頭にあなたがいることを期待しました。野党なのですし、第一党にはそんなイニシャチブが求められると思うのです。その点で民主党に自民党と同じ議員政党の匂いを強く感じざるをえません。
さて、後段です。一面で正しく、一面では正しくありません。
一面で正しいといったのは、一度はあなた自身が同法案に反対の意思を表明したことがあるからです。
しかし、正しくないのは、退席をし議決に加わわらなかったという事実がある。法案は再可決され成立した。小沢さん、あなたに反対の意思があるのなら、堂々と反対票を投じるべきでした。それが意思表示でしょう。現実は、あなたの党が政府案を継続審議にしようとよびかけ、そして今度はあなたの党の対案を継続審議にすることに自民、公明も賛成するという「大どんでん返し」でした。およそあなたの党にたいする庶民の期待とかけはなれて、事実上の与党・民主党の相互思いやりの精神が存分に発揮されたといわなければなりません。
総合してみると、あなたは、結局、自党の対案が大事だという認識なのでしょうか。それは、まさに恒久法をめざすというところに核心があるということです。
それにしても、庶民の感覚との齟齬がかなり大きい人なのですね、小沢さん、あなたは。
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
『世界』2月号「医療崩壊をくい止める」の感想
coleoの日記;浮游空間 『世界』2月号-医療崩壊を特集
『対談のテーマである崩壊をくい止めるにはどうしたらよいのか。 出月氏は、病院の財政がなぜ成り立たないのかを考えると、いちばんの根本は診療報酬の決め方が悪いからだという。その上で、医療や教育は大事な社会的共通資本だという宇沢氏の理解に即していえば、そこにどれだけお金がかかってもいいという考えにわれわれが立てるかという問題になる。むろん現実の財政問題もふくめて条件整備が前提となるが、医療と教育に多くの人が従事しうる体制をどう国民が保障するのか、ということがなかでも焦点となる。もちろんそれは新自由主義的な改革とは真っ向から対立する。 宇沢氏のいう大勢の子供たちが医療と教育という分野を職業として選ぶような雰囲気を一つの大きな流れにしていくための国民的な議論は、横に置いてよいものではない。現状を直視すれば、火急の課題ということになる。 |
■ブログ村ランキングもお願い⇒
恒久法への道残る-国会閉会が示すもの
臨時国会が閉会した今、なおさらその思いを強くします。曲折はあるでしょう。が、事態をそう甘くみてはならないことを国会の状況は教えているようです。
政治状況は、庶民の予想を超えて、かなりの変化をはらみながら日々、移り変わるといってもよいかもしれません。安倍辞任、福田・小沢密室会談、小沢辞任表明、小沢復活、民主党新テロ法対案提出、こうみてくるだけで閉会した国会会期が、日本政治がぎゅっと凝縮した期間だったことがうかがえます。一方で、自民党はこれまでとってきた路線、政策的対応を変更せざるをえないことが、この期間に度々生まれました。
要は、これまでの自民党政治を躊躇なく自民党がすすめられない今の状況にあること、をこれは示したわけです。だから、これまでの路線復活へ軌道修正するには、協力者を求める必要がある。その動きが露呈したのが、たとえば大連立構想であり、臨時国会の最大の課題とされた新テロ法をめぐる最終盤の与党と民主党の動きだったと思えます。
とくに新テロ法成立直前の動きは重要です。民主党は、与党案の継続審議を持ち出し、院内の野党共闘に水をさしました。その動きの背景には、恒久法という、改憲にむけて通過せざるをえないハードルを越えるためのしかけを残しておく必要があったからです。
だからこそ、15日の衆院本会議では、自民、公明をふくめて民主、国民新党の四党が賛成し、民主党の対案を継続審議にした。共産、社民は反対しました。
与党は参院では反対しているのですから、安全保障をめぐる重要な国政課題で衆参で態度をかえるという理屈のとおらない態度に出てまでも民主党を思いやるのはなぜでしょうか。
すでに当ブログでは、民主党の対案が、成立した新テロ法には当然盛り込まれていない、自衛隊の常時、迅速な海外派兵を可能にするための恒久的立法をめざしていることに言及しました。この点こそ、自民党が対案を継続審議にした理由です。
対案は、「憲法の下での自衛権の発動に関する基本原則」などといって、個別自衛権、集団的自衛権を区別することなしに海外派兵を容認する方向であって、これが集団的自衛権行使に結びつくことは明白ではないでしょうか。
なお、「復興支援」を理由にアフガニスタン本土への自衛隊派遣が前提とされているものの、国連決議によれば海上阻止活動にも参加することを検討するというのですから、自民党が手をさしのべるのもうなづけます。
民主党がほとんど自民党と同じ態度をとるか、あるいは自民党以上に護憲派からすれば改憲側に国民を導こうとする誘い水をまく役割を果たしている。この点を指摘すると、民主党のなかには護憲派がいることを強調される向きもけっこうある。事実を一つひとつ追ってみて、民主党が現実の政治においてどんな役割を果たしているか、明らかにしないといけない。そう強く思います。
大連立構想が鎮火したとはいえないいまの状況で、集団的自衛権行使、そして9条改憲という問題は、いよいよ政治的焦点になる、その可能性を強く感じた国会の幕切れでした。
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
社会保障と「分断」-勤務医の「反乱」再論
最近の医療をとりまく環境の変化と、それを扱うメディアがしだいに多くなってきたのを反映しているのでしょう。
日本の国家財政が現実に多額の借金を抱えるなかで、社会保障の財源をどう確保していくのか、これは重要なテーマの一つだと思います。それとともに重要なのは、社会保障が扱われる際の分断です。臨調行革以降の20年近くは、日本の社会保障費は平たくいえばターゲットにされ、抑制されてきました。その際、抑制するための手法として度々とられてきたのが、国民を分断し制度改悪をおこなうということではなかったでしょうか。
枯れ木に水をやるようなものといっては老人の医療費を削減。社会的入院などと強調しては入院医療費を敵視し、入院しづらくするなど、ありとあらゆる手をとってきたのが政府・厚生省(現厚労省)ではなかったでしょうか。
医療ばかりではもちろんありません。たとえば生活保護の受給を減らすために、常にもちだされるのは一部の不正受給者でした。
社会保障は、いくつもの制度から成り立っています。医療保険を例にとると、社会保険、国民健康保険、健保組合保険、共済組合保険などのように。そして、保険料もそれぞれ異なり、給付内容も異なる。一つの保険制度が変わっても、他に加入する人には関係がない。あるいは生活保護は受給者には直接、制度改変にともない影響が及ぶとしても、受給しない人にはある意味で何の意味ももたないとなりかねない。
だから、社会保障にかかわる問題は本来、すべての階層が同じ立場で手をつながないと改善はのぞめないのでしょうが、そもそも手をつなぎにくい一面をもっていることとあわせて、それを利用して制度的後退などがおこなわれてきたことを理解しておくことが必要だと私は思います。
勤務医たちの「反乱」を今回、とりあげました。同趣旨のはてなエントリーにたいして、「反乱」なのか、「革命」を彼らはめざしているのでは、というコメントを頂戴しました。
なるほど、彼らの行動は「革命的行動」に値するものだといえるでしょう。ただ、どんな経過を今後たどるのか、不透明です。だが、明らかに一石を投じた、といえる。
彼らは、自らの周りをふくめた労働環境の改善だけでなく、日本の医療(制度)の根本的な改善をめざしている。文字どおり、彼らの行動が革命となるには、医療にかかわる人びとだけでなく、国民の支持が不可欠なのではないでしょうか。
いただいたコメントをふりかえってみて、あらためて強くそのことを感じます。以下、このエントリーに関係するコメントの一部を再掲します。
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
勤務医の「反乱」をどうみる。
日本医師会は、今日まで日本の医療政策に深くかかわってきました。別の角度からいえば、それだけ自民党のすすめる厚生行政を側面から支えてきたといってもよいでしょう。しかし、構造改革の嵐のなかで、日本の医療費が抑制されてくると、少なくとも患者に必要な医療を提供しようという医師の使命、良心と鋭く対立します。いま、医療という分野で、さまざまな問題が噴出し、ときに医療崩壊という言葉で表現される事態に日本は直面しているといえるでしょう。
病院に勤務する医師たちが新たな組織をつくり、医師の労働環境改善と日本の医療制度をよりよいものにするために運動をすすめることが伝えられています。日本の医療がながらく医師の使命感にのっかって、医師のいわば自己犠牲によって支えられてきたという側面にも眼を向ける必要があるように私は思います。
今回の動きを、自分の使命感と現場の過酷な労働環境、日本の医療体制とのぎりぎりの緊張にさらされる現場の医師たちのメッセージとしてとらえてみることが要るのではないでしょうか。
当ブログでは、一連の医療問題について考えてきましたが、今回、この問題について、
「coleoの日記;浮游空間」に、以下の簡単なメモを残しました。
あわせてご覧いただければ幸いです。
勤務医の「反乱」
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
通常国会の論点-家計を温め内需を拡大する。
当ブログでも取り上げたように、御手洗氏が「10年内に世界最高の所得水準を実現する」と打ち上げた(*1)。与党からも、たとえば伊吹自民党幹事長や太田公明党代表のように、所得引き上げを主張する声が相次いだ。これをそのまま受け取るわけにはいかないけれど、それだけ国内の需要の低迷と、その背景にある国民、とくに労働者の所得の低下、伸び悩みがあることを、これらの発言は意味している。
そこで考えるのは、構造改革のもとでの働く者の生活と、ずっと以前のいわゆる高度経済成長期のそれである。
池田勇人の所得倍増計画に端的に示されるように、敗戦国として出発した日本は、西欧諸国へのキャッチアップが当面の課題だった。経済成長をなしとげたのには、良質で安い労働力、余剰農業労働力の活用、国民の高い貯蓄率を投資の源泉とする、つまり財政投融資の規模などの要因があると指摘されている。
その時代にはこんな光景があったのだろう。夕餉の風景だ。腹をすかした子どもたちは、首をながくして父親の帰りを待ち、父親が帰り着くと、夕餉がはじまる。父親と母親と僕・私と兄弟姉妹がいつもほぼ決まった時刻に、いつもの決まった位置に陣取り、夕餉のテーブルにつく。そして、とりとめはないが、それぞれが一日を語る会話がはじまる。おそらく、常に平均値を軸にものごとを考える日本人は、こんな構図を日本の家族どと受け止めてきたのではないか。裏返しに言えば、これを平均的家族の姿ととらえ、自らを中流だととらえてきたのではなかったか。
高度経済成長とともに一億総中流ということが喧伝された。この時代、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3種類の家電製品は、三種の神器と呼ばれたことに象徴されるように、急速に家庭に普及していった。だ~、一方では、これらの普及が、少なくとも家事労働のあり方を変え、女性の社会進出を促進したともいえるかもしれない。
しかし、80年代に入ると、オイルショックをへて日本でも新自由主義的政策が志向されるようになると、働く者の労働環境も大きく変容することになる。
この時代以後は、賃金がいっこうに上がらないばかりか、リストラさえ想定せざるをえない、長時間労働が蔓延する一方で、雇用形態がいよいよ複雑になった。正規雇用から非正規雇用への置き換えが広まった。働く者は、不安定な身分に日々、不安を感じざるをえなくなった。高度経済成長期の雇用を日本型終身雇用という言葉で表現しうるとすれば、この時期はまさに不安定・非正規雇用が謳歌する時代と特徴づけることが出来る。バブル崩壊後はいよいよこの方向が加速されていく。
だから、そうすると、家族の団欒も消失してしまう。正規雇用のまま働きつづけられたとしても長時間労働であったり、非正規になってしまうと不規則的な勤務にならざるをえないだろう。そして母親もパート労働に従事するとなると、団欒どころではないだろう。子どもたちは、競争社会のなかで塾通いということにもなる。そうすると、かつての家族全員がそろう夕餉はすでにそこにはない。
弱肉強食という新自由主義の思想が貫かれ、「勝ち組・負け組」に表される二極分化がすすんでいった。しかも、それは圧倒的な負け組とごく一部の勝ち組という、いびつな形で進行したのだった。メディアが報じる街角のインタビューでは、きまって10人中7人、8人が「自分は負け組」ときまって認めるくらいで、国民の実感が実に厳しいものであることを語っている。
あらためて私がここで考えるのは、いまの国民のこの実感は、かつての高度成長期をへた国民の意識、それが妥当であったかどうかは横に措くとして、つまり一億総中流という意識との大きな隔たりである。
今日、厳然として存在する絶対的貧困。ワーキングプアといわれる階層。多くが、ほとんど変わりのないか、むしろ低下している年間給与に甘んじている現実。その上に、社会保障の切り捨てのなかで、いわば将来の不安に備えるためにということで自己防衛的で、高かった日本の貯蓄だったのだが、それも減少の過程にある。
給与があがらないのに増税がおこなわれ、税社会保障も制度的に切り下げされるとすれば、再分配は機能しない。高度成長期と今日との違いがここにも現れていて、いま、所得再分配は壊れている。別の言葉でいえば、高い所得の者から低い者への所得の還流、上から下への富の分配がないということである。一部の大企業と大資産家が税制度上も優遇されていて、いよいよ富の二極化は極まっている。
このような今日の状況があればこその、冒頭にのべた与党からのいっせいの所得アップの合唱なのである。この間の賃金抑制政策と不安定雇用の拡大路線の破綻をしめしているともいえるだろう。
私は、こんな構図のなかで通常国会が開会されると把握する。御手洗氏や与党幹部の発言は賃上げを容認したり、雇用改善を意味するものではむろんない。
だから18日からの通常国会では、政府予算案を大きくあらためられるような議論が求められている。その際は、国民の家計をいかに温めるか、ここに視点をおいて点検しないといけないだろう。家計を豊かにして内需によって経済成長を図ることが急務だと考えるのだ。
一方で、賃金抑制をはねかえす労働組合の春闘の取り組みをあわせて期待したいのである。
■よろしければ、応援のクリックを ⇒
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
*1;財界総理の年頭所感に反論する。
【関連エントリー】
春闘で温まるか。
「サンデーモーニング」の良識-新テロ法は米国のため。
きょうの番組では、新テロ法成立をとりあげていた。失笑ものの小沢退場が、同法をめぐる自民、民主の「攻防」の不毛さと同時に国民の意識との亀裂をそのまま象徴している。
成立前の世論調査では、給油活動の継続にも、再可決にも反対が多かった。つまり、与党がとった行動は少なくともこれらの調査に示された世論に反している。番組では、この点にもふれながら、アフガニスタン人医師のレシャード・カレッド氏(NGO「カレーズの会」理事長、写真右)を登場させ、語らせた。氏の発する言葉はアフガンのものだろう。それは、米国やそれに追随する日本が繰り返し吹聴してきたテロをなくすためという口実にたいして具体的に反論するものだった。このアフガンがテロの最前線なのだという議論について、カレッド氏はこのように語った。
当のアフガンでは誰もそうは思っていない、アメリカを喜ばせるだけだ、と。
すでに当地で06年だけをとっても民間人死者が3000人を上回るという数字が示すように、アメリカの介入そのものがアフガンの事態を深刻にしている。平和を脅かしている。カレッド氏のいうとおり、新テロ特措法と給油活動の再開は、テロをなくすためでも、日本の国益にかなうものでもなく、まさに米国のためのものだ。いま一度、少し時間をさかのぼって、小沢・シーファー会談と安倍辞任劇を思い起こしてみてほしい。そうすれば、給油活動がいよいよ米国のためのものであって、日本の米国追随の姿勢が明らかにみてとれるだろう。
出演者の伊勢賢治氏は、アフガンの今いちばんの懸念がコラテラル・ダメージ(collateral damage、二次的被害)にあることを強調していた。アフガンでも、イラクでも、現実に自爆テロや繰り返される戦闘行為による死傷者のうち、民間人はけっして少なくはない。伊勢氏はまた、アフガン戦争が内政的には、反米感情をさらに増幅させる点、そして米国と共同歩調をとる日本にたいする反日感情、という2つの新たな問題を指摘していた。
ようするに多数の民族からなるアフガンで、タリバンの支持基盤となるパシュトゥーン人が最大勢力を占めるなかで、戦争の激化とともに反米感情がさらに深まるだけでなく、日本にたいして中立的な立場と認識していたこれまでのイメージとは違って、給油再開で米国に追随したことで、こんどは反日感情が強まるだろうという見方である。
米国が介入すればするほど反米感情と反米の動きが表面化する。そして、それに日本が深く追随すればするほど、また日本への敵対的感情も強まるとすれば、何という皮肉か。
番組は、新テロ法成立について街角でインタビューしていた。国際的な役割を果たさないといけないだろうから、成立はやむをえないのでは、あるいは、(給油活動を再開しなくても)だれも困らないし、何もいわないのだから再開しなくてもいい、それだけの金があるのだったら、もっと生活を何とかしてほしい、という賛成と反対という2つの立場の声を拾っていた。この日本国民の声も聞いたうえで、あらためて強く思うのは、アフガニスタンにとってテロ特措法がどのような役割をはたすか、ということである。
それは、先のカレッド氏が語っているし、以前にとりあげた中村哲氏の発言に尽くされているように思う。アフガンが望まないことは止める。ましてや米国のためなどでは毛頭ないだろう。番組はこの点で米国のための新法成立の本質をとらえており良識を示した。
アフガンですでに紆余曲折はありながらもカルザイ政権が「平和と和解のプロセス」、つまり反政府武装勢力の国際的なテロリストを除いた部分とは、政治的交渉によって和平を達成する探求を始めているが、その立場を尊重することが日本に求められている態度ではないのか。
その意味で、中村哲氏のいう名誉ある孤立が必要なのである。
戦闘行為でテロはなくせないのだ。(「世相を拾う」08007)
■ブログ村ランキング、こちらもお願い⇒
【関連エントリー】
中村哲「名誉ある孤立を」に耳を傾けよ。
ブックマークに milou's note Bis を追加しました。
ブックマークに milou's note Bis を追加しました。
ぜひお立ち寄りください。
下のタイトルをクリックすると、移動します。
この間、もう一つ加えたのは、世界の片隅でニュースを読む です。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、該博ぶりと鋭い論評に驚かされます。
小沢退場で終わった国会の茶番劇。
そして、成立する瞬間、議場には民主党・小沢代表の姿はありませんでした。
野党第一党の党首としての彼の不在は、それだけで重大な責任がともなうものであることは否めません。
それだけでなく私があらためて思うのは、参院選後の新たな日本の政治状況の中で、国会の内外で繰り返された茶番劇です。
小沢退場は、その意味で茶番劇の象徴的な表現なのかもしれません。
茶番劇は、おそらく選挙直後からはじまったとみてよいでしょう。まず、シーファー米大使との会談で小沢氏は給油活動反対を強調しました。対決姿勢を強調してきた同氏としては当然の態度でしょうが、しかし、もう民主党の中での矛盾は見え隠れしていました。国連のお墨付きがあれば海外派兵も辞さない旨の発言はそれを示したものでしょう。
その後の大連立劇はご承知のとおり。福田氏と小沢氏は新テロ特措法の取扱いと恒久法で、ほぼ一致していたと推測することができます。
間に小沢辞任劇、そして復活という波乱もありましたが、一貫しているのは、右往左往しながらも、民主党の自民党政治を根底のところで支えようとする意思だと私は思います。
だから、新テロ特措法にかぎっていえば、最終盤にきても継続審議をもちだすという挙にでるのです。他の野党の反対に当然あって、それを引っ込め、参院で民主党は反対の態度をとったのですが、自民党側は、民主党の対案について衆院で継続審議にしようということでまとまっていたそうですから、この事実は、二党の関係がいかなるものかを如実に示すものでもあります。
参院選後の国会は、自民党の政治にノーをつきつけたのが国民の審判だったはずですが、このように国民の意思とはしだいに異なる方向にすすみました。
だからこそ、この国会の一部始終を国民はしっかりと焼き付けておくことが必要な気がしてなりません。自民、民主の連立は、事実上、動いているとみてよいでしょう。曲折がありつつも、連立や再編の可能性をはらみながら、同時にそれはいよいよ国民の意思とは乖離する方向ですすんでいくと私は推測するのです。
まもなく通常国会が開会されます。国民の生活を大きく左右する08年度予算をふくめて、この両党と国民の対立はいっそう深刻になる。大企業・財界優遇、米国追随の一方で国民に犠牲をおしつけるという構図で端的に表現される自民党政治を転換することがいよいよ求められています。(「世相を拾う」08006)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
朝日社説「再可決…は無策」と大連立推進の立場
「再可決へ-「3分の2」決着の無策」という標題のとおり、朝日社説(1月11日)は国会の審議のありように言及しています。たとえば、
再可決とは、政治の対立がどうにもならなくなった場合に憲法が用意した非常手段である。これを使うには、合意づくりへの立法府の最大限の努力と有権者の理解が欠かせない。参院の意思を覆すには、政治的な妥当性がなければならないのだ。 |
のように。
なるほど憲法は、衆院が可決した法案を参院が否決した場合、衆院での再議決の規定をもってはいますが、その際、二院制の趣旨、民意にてらして運用されなければならないのではないでしょうか。
給油活動を継続できずに停止した事態に至って、世論はどのようなところにあるのか、つまり国民は給油再開に賛成なのか、反対なのか、これは無視できないところではないでしょうか。新聞各社の調査によれば、少なくとも再開せよという意見が少数だということは結果に表されています(参照)。
朝日社説に欠けていると私が思うのはこの点で、引用した一節でも、また他の部分でも言及しているわけではありません。
要は、なぜか朝日社説の視点は、政党のさや当てという部分に集中しているのです。
なぜか。朝日が大連立推進の立場に立っているからです。
政党のさや当てといったのは、自民党と民主党のそれですが、つぎのように朝日の主張がどこに立っているのかは明確でしょう。
政府・与党が再可決の腹を固めたのは、昨年11月に福田首相と民主党の小沢代表との会談で浮上した「大連立」が決裂してからのことだ。 2人だけの会談では、自衛隊の海外派遣のための恒久法制定まで含めて妥協ができそうだった。それが大連立話が頓挫したとたん、与党は「もはや再可決しかない」、民主党は「対決路線」と突き進んでしまった。 アフガニスタンの現状を見据えて、日本としてどんな協力をすべきなのか。骨太の議論を戦わせ、民意を踏まえつつ与野党が修正案を練り上げていく。「衆参ねじれ」の時代に求められるのはそんな知恵と工夫だったはずだ。 |
大連立の立場に立つかぎり、世論のありように目がむくはずはありえません。「自衛隊の海外派遣のための恒久法制定まで含めて妥協ができそうだった」と朝日が口惜しそうにいうとおり、国民の意思とは関係なく、事が運ぶしかけこそが大連立ということではないでしょうか。
参院選は自民党にノーをつきつけ、その結果、衆院で3分の2を占める与党と、野党が過半数を占める参院という、日本の政治史上も特殊な状況がつくられました。国民がこれを選択したのです。
従来の自民党政治をつづけていく上での自民党の矛盾、選挙に勝つための対決姿勢と従来の主張とがしだいに乖離してしまうという民主党の自己矛盾。自民、民主両党がこの2つの矛盾を解消しようとした結果が大連立の動きでした。
再可決という「選択」の要因は、自民党と民主党の無策にあるのではありません。
大連立がひとまず不発に終わった今、米国との約束を果たすためには、この道しかない。自民党にとってはもちろん、民主党にとってもそうでしょう。だからこそ、民主党は継続審議をもちだした。結果的には、他の野党の批判をうけ、これを引っ込めましたが、民主党にとっては参院委員会で否決に加わったという汚点がずっとついて回るからです。
だから、事態を冷静にみると、国民が賛成していない新テロ特措法を強引にすすめようとしているのは、自公与党と、与党案には賛成しなかったが、すでに恒久法づくりで基本線が一致している民主党-与党、民主党と国民との間の亀裂が大きく広がっているという事実でしょう。
朝日社説が語るのは、この事実に目をつぶり、大連立推進勢力としてすっかり収まったと自ら表明しているということではないでしょうか。(「世相を拾う」08005)
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
投機マネーの撹乱で幕開けた08年。
「新マネー潮流」の内容紹介をみると、
いま世界には150兆ドルとも言われる天文学的マネーがあふれている。その流れは、米・サブプライムローン破綻をきっかけに大きく変わりつつある。混乱した金融市場を嫌い原油や穀物市場に流れ込んだマネーは、ガソリンや食料品の高騰といった形でわたし達の生活を直撃している。また、アメリカ経済の減速が世界経済に及ぼす影響も懸念されている。2008年、わたし達の暮らしや景気を左右する"マネーの潮流"はどう変わろうとするのか。それを、(1)オイルマネーと政府系ファンド、(2)アメリカ経済の今後、(3)中国"バブル"の行方、の3つのキーワードをもとに、日本との関係で読み解き、2008年を占っていく。 |
とあるから、世界市場を混乱に貶めている投機マネーの暴走をえぐり、世界と日本の経済のゆくえをスクープしたものと推測される。
なるほど2008年の幕開けは、ニューヨークの原油先物市場が史上最高値を記録し、その影響もうけて株価が暴落するという大混乱であった。この5年間で3倍以上にも高騰しているといわれる原油市場の加熱ぶり。原油の需給逼迫などの構造的問題のほかに、イラク戦争の泥沼化など中東産油国をめぐる情勢悪化などが背景にある。
こんな原油市場の複雑さを利用して膨大な投機資金が流れ込んで、価格をつりあげているのが混乱の最大の要因だろう。
加えて、アメリカの低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)の破たんが先進国の金融市場を揺るがし、金融市場からあふれ出した投機資金が、原油市場だけでなく穀物市場にも流入、その結果、食料品の値上げをもたらし生活を直撃しているのである。というのも、サブプライムローンをもとにした金融商品を最先端商品としてまつりあげ、欧米、日本の金融市場に拡散していたからだ。巨額の投機資金が生活の基盤ともいえる食料やエネルギーをも左右する事態をよしとしていいのか。
コメントを頂戴した<放浪者>さんの主張の一つはこの点にあると私は思う(コメント全文)。
庶民は不景気感が強く、大量生産や大量販売の現場で海外と同じ低賃金雇用されることを我慢し、共働きや副業を増やすことでなんとか人並みの生活をしようと日常生活のエネルギーや時間を奪われたつつ必死で働き、慎ましい生活を我慢して送り続けています。 庶民は、非正規雇用の低賃金で優良企業を支え、企業は、従業員、労働者と苦楽をともにしない見ず知らずの投資家に好配当を与え遊ばせている状態になっています。 |
この<放浪者>さんの把握は正確である。
コメントをいただいたエントリーは、格差・貧困と財界のエゴイズムというもので、公開して1年にもなろうとするものだが、この中で、努力すれば報われるという言説のいかがわしさについてふれながら、以下のようにのべた。
財界・支配層が、中・低(所得)層の困難にもかかわらず、そこにまるで傷に塩をすり込むかのようにいっそうの負担を押しつけ、上層を優遇しようとすることは、財界・支配層の権益を確保し競争にうちかっていくための、社会構造の再編の表れといっても過言ではありません。あるいは階級構造の再編といってよいかもしれません。 あらためていいたいのは、「努力すれば報われる」という言葉のうらには、上層の「努力」による成果は、現実には「報われない人」びとの努力によって支えられ、もたらされたものであることです。 |
端的にいえば、庶民に貧困をおしつけ、あるいは負担を強いる一方で、巨額の利益を得るという構図で富を集中させてきたのが財界なのである。
報道によれば、経団連会長・御手洗富士夫氏の続投が決まったそうである。
前会長をひきつぎ、御手洗氏は、いっそうの大企業・財界優先の政治を政府・与党に迫ってきたといえる。しかし、ここにきて、控えめな気がしないでもないが、メディアがいっせいに冷えた家計を問題にしはじめた。
政治の課題として、これまでの大企業・財界優遇から、いかに国民生活を支えてゆくか、家計を温め個人消費をふやし、日本経済に活気を取り戻す方向に切り替えるのか、を中心にすえるべきではないのか。
今年の幕開けが、投機マネーによる混乱であっただけに、なおさらそう実感する。
■よろしければクリックを ⇒
■ブログ村ランキングもお願い⇒
« 前ページ | 次ページ » |