地方自治体の首長と集団的自衛権 |
2014/9/23
小林 節
集団的自衛権を解禁するとした7月1日の閣議決定に対してさまざまな人士が批判の声を上げたが、中でも、長崎市長と松阪市長の発言は注目された。 反響の多くは共感の声であったが、中には、現職の国会議員からのもので、「地方自治を分担している者が、国政事項である安全保障について語るなら、国会議員になってから言え」という趣旨のものがあった。また、松阪市長が、県の市長会でこの問題を議論しようと提案したところ、「それは政治的問題で、市長会の議題にはなじまない」として退けられてしまったとのことである。 まず、市という自治体は、日本国の国家権力機構の一部分として、国と役割分担して、(国民でもある)地域住民の福利(つまり幸福)の増進をつかさどる組織である。 市では、市長部局(市役所)と市議会が、協力・けん制し合いながら、条例と予算を制定・執行しつつ、市民(国民)の幸福を増進すべく、日々、問題を解決している。 国民(市民)の幸福の条件は、歴史的に明らかになっている。つまり、自由と豊かさと平和である。この3条件がそろって初めて、人々はためらいなく幸福追求を行うことができる。 もちろん、外交、安全保障、通貨管理、司法等、国の専管事項や、国に一次的な決定権がある事項は多い。しかし、国民の一部が市民であり国の領土の一部が市の領域であるように、国と市は、同じ土地の上で同じ人々を対象に、協力・けん制し合いながら、同時にひとつの「政治」にかかわっている関係にある。米軍普天間基地の名護市辺野古への移設問題を見れば明らかである。また、長崎市は、かつての大日本帝国の国策としての大東亜戦争の結果として原爆を投下されたのである。現行の有事法制化でも、国が戦争を遂行している間の市民保護(住民生活支援)は市の役割である。 これまで70年近く、憲法上の制約があるとして禁止されてきた集団的自衛権の行使(海外派兵)を政府の解釈変更により解禁するということは、イギリスの先例に見るように、今後は、日本人が海外で戦死する可能性と日本国内で報復テロが勃発する可能性を受容することに他ならない。 だから、これは全ての国民にとって重大な関心事であり、特に、地域住民の幸福増進に直接的な責任を負っている市長にとっては、当然の政治的関心事である。 (慶大名誉教授・弁護士) |