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王の物語~神殺しの物語~「風の谷のナウシカ」 (その1)

2010年06月08日 | 思考の遊び(準備)
【王の物語】【神殺しの物語】



墓所「お前は危険な闇だ。命は光だ!!」

ナウシカ「ちがう、いのちは、闇の中のまたたく光だ!!」

「風の谷のナウシカ」(作・宮崎駿、1983~1994年)については(掲題のテーマに合わせて)いずれ何か書こうと思っていたのですが、ちょっと最近話をしたりして機会を得たので書きます。(`・ω・´)

この物語のラスト、分けてもあの“墓所”との対話って非常に難解な場面だと思います。一体、ナウシカは人類をどうしたいのか?世界の終末から人々を救ってくれたのか?それとも破滅に導いたのか?…ここらへんが「風の谷のナウシカ」という「物語」の真髄とも言える部分で、また、ここは様々な解釈があり得る場所だと思っています。
多分、当の宮崎駿監督も、ここまで持って来ていた彼のメッセージは「ナウシカ」で昇華されてしまって、つまり完全に燃え尽きてしまって、ただアニメ人として「もののけ姫」で映画としてもう一度メッセージを送って。それ以後の彼の作品は“次のメッセージ探し”のような一面を持っているのだ…などと考えているんですけどね。
まあ、宮崎駿監督の「物語」はまたの機会としておいて、今は「風の谷のナウシカ」の僕なりの解釈を述べて行きたいと思います。

…と言っても海燕さんのSomethingOrangeで、ちょっと「ナウシカ」の話題をコメントさせてもらったんですが、これが書いててけっこう自分の言いたいことを端的に表しているんですよね。


「ナウシカ」の最後の対話は難しいですよね。僕はあの言葉がすごく好きなのですけど、1から10まで説明できる自信はありません。
また、そもそもその行為の一つ一つを詰めて行くと「理屈上」の矛盾と言うか…どうにも納得できぬ面を持っている事は承知していて、それは其々の心に留めて、其々の答えに拠って行くのがいいのでしょうね。

ただ、一つだけ。ナウシカは「人間とはなにか?」という話はしていないと、僕は思っています。

> 「虚無だ!! それは虚無だ!!」

> 「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」

このセリフ、言い方を変えると→墓所「お前は人類が滅びてもいいという虚無的な人間なのか?」→ナウシカ「え?人類が滅びても王蟲がいるじゃん?」→と意訳すればそんな感じだと僕は思っていますw
だからナウシカがあそこでしているのは、人間ではなく「生命とは何か?」という話だと思います。そしてナウシカは墓所の事も認めている。「絶望の時代に理想と使命感からお前が作られた事は疑わない」と言っている。…そこからですねw

そこから、その視点から、ナウシカは、一人の人間としての視点に戻ってきて、その上で「“今を生きる人間”として、墓所よ、お前は邪魔だ。もう眠れ」って言っているんです。

墓所「我を破壊すれば人類の滅びは確定するんだぞ!」→ナウシカ「関係ない。今、邪魔なんだ。今、眠れ」→と言ってもいい。

この戻ってくる視点の接続が感覚的な面で上手く行かないと、ナウシカはすごく矛盾に満ちた存在に観えるんじゃないかと思います。(そして僕はこういう矛盾をものともしない判断をするキャラクターを「王」と呼んだりしています)ここらへんは、まあ、自分のブログとかで機会を観て記事にまとめたいと思っています。

何て言うんですかね。この虚無の深淵と生命全部の在り様の景観に辿り着きながら“一人の人間”としての自分に還ってきて“答え”を出す所が、正にナウシカの生き方という気がするんですよ。この文章をもう少し細かく補足して行く感じで話をすすめて行こうと思います。

■「祭壇」という元型(アーキタイプ)

ナウシカと墓所の対話の話をする前に、いくつか押さえておきたいポイントがあります。一つは、彼らの対話のシーンは「物語」のある種の定形としてよくあるシーンで、僕は「祭壇」という呼び方をしています。「祭壇」とは何かというと、ある「物語」…まあ、大抵、戦って戦って戦い続けるタイプの物語が多いのですが、そういう「物語」の主人公が最後に辿り着き、そこで対面した“何か”と対話するシーンですね。
そこで彼らはある種の哲学的な議論~主人公は大抵、難しい事を考えられないので、シンプルな答えのみを返すのですが~を交わします。多くは敵対勢力の“悪の理論”と、主人公の“善の理論”の激突が行われてきましたよね。そこでの対話が、何か“神様”にその物語の在り様を告げるというか、逆に神託を受けるかのような、“神との対話”という印象を持ったので「祭壇」と呼んでいるワケです。

この定形については今、僕は調査中です。マンガ・アニメ界隈的に明確に「祭壇」が見て取れるのは「サイボーグ009」のヨミ編(1966年)の“黒い幽霊”との対面があると思っているんですが、他に初期の富野由悠季監督の「海のトリトン」、「無敵超人ザンボット3」の最終回なども記憶に強いです。…でも、より「祭壇」という意味を強く感じさせる。“神との対話”を感じさせる作品は竹宮恵子先生の「地球へ…」だったりします。(これらの多くは巨大コンピュータが“神”を模した役割を果たしていて、そこも注目しています。ちょっと興味深い)



【神殺しの物語「地球へ…」】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/f6e0f80fbd6d98c6bc70e05980681b2d

ジョミーは死に、キースは死に、トオニイは絶望の中で宇宙の彼方へ消え、ミュウの元老たちは炎に焼かれ、フィシスは地球人と運命を共にする…。登場人物の誰一人として救われていない物語です。でも、だからこそあらゆる可能性を抱えたまま人類は飛散するんです。

そして、そのためにこそ、コンピュータ・テラはいるんですね。ミュウの未来を予言した人類の叡智の結集にして亡霊。…描写を観ていれば分かるんですが、地球とコンピュータ・テラはもうほとんど一心同体です。…というかコンピュータ・テラをキースが「殺す」と、同時に何の伏線もなく地球の大崩壊が起こっている…これってつまり、地球って放っておいたらとっくに崩壊する惑星だったって事じゃないかと思います。それをコンピュータ・テラが延命装置のように働いて崩壊を押さえ込み続けた…それはつまり“彼”は地球が美しくあって欲しいという人類の想いの象徴でさえあったという事です。

「地球へ…」と「風の谷のナウシカ」とはかなり似ている面と、違う面がありますね。どちらも大々名作ですが。まあ、その比較は置いておくとして、こういった最後のシーンを僕は「祭壇」と呼んでいるんですが、これって何らかの(近代の物語の?)元型(アーキタイプ)~人の深層イメージに訴えかけるもの~じゃないかと今、考えたりしています。
単純にストーリー機能の話をすれば「テーマを話す場所」なんて言い方もできるんですが。実は…で、これまで「積み」上げて来たものをひっくり返されたりする展開もあるので、なかなか一筋縄ではいかないシーンで、かつ“神託”のイメージがついてくるのは何らかの意味があるんじゃなかと思いますけどね。

とまれ「ナウシカ」の“墓所との対話”シーンも、この「祭壇」に当たると思います。そして、この「祭壇」では“人類が滅ぶべき物語”をふっかけてくるのは、全てではないですが、ある種定番化していて、これに対しての主人公の返しも…まあ、色々パターンはありますが「人類はそんな滅びない!そんなに愚かじゃない!~具体的な方法は分からないけど!!俺はそういう未来を信じる!!」…みたいな返しをして終わって行くのも、また定番なんですけどね。
こういった「祭壇」でナウシカが何を語ったのか?が、今回の話で、そしてナウシカの出した答えはいわゆる“定番の答え”を超えるものでした。そこらへんの話をして行きたいと思っているワケです。


(↓)続きます。

【王の物語~神殺しの物語~「風の谷のナウシカ」 (その2)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/581120ff4503df8af9db6ad97a356e83

(↓)この記事の「祭壇」に関する追記です。

【「祭壇」という原型(アーキタイプ)に関する追記】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/632ed729550ceacd9cb808b542b01648




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4 コメント

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祭壇 (modstoon)
2010-06-08 13:02:33
「祭壇」というネーミングは良いですね

神託を受けるような表現は『2001~』のスターゲートコリドーがパッと浮かびます
このタイプなら聖書、モーセのシナイ山まではすぐに遡れますね
あるいは仏教の解脱へ至るプロセスも重なりますね、聖人物語には必ず在りそうです

私はそこで“対話”が重要視されたタイミングに興味がわきます
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Unknown (Unknown)
2010-06-11 22:44:08
「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」

は、墓所の「虚無だ」という意見に対する、
「虚無の中から価値ある物が生まれることもある。具体的には王蟲のいたわりと友愛が生まれている」
といったような意味合いの反論であって、虚無が絶対的に否定されるべきものではないという主張なのではないかと思っています。
そのほうが対話の内容がすっきりしますし。
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Re:Unknownさん (LD)
2010-06-12 00:09:44
僕も、Unknownさんと同じ意見です。

すみません。たぶん→「え?人類が滅びても王蟲がいるじゃん?」→という意訳が過ぎたという話ですよね?w
この反論って逆に墓所からすると人間の話をしているのに、王蟲の話で返す所にある種のズレがあって、そこを墓所が“人間観”で語っているのに対して、ナウシカが“生命観”で返している事を端的に指摘したくて、ああいう言い回しになりました(汗)

詰めて話せばUnknownさんと同じ意見です。また(その2)の方で虚無が語る事と、僧正様が語る事が非常に似ている事にナウシカは気づき、しかし虚無は違うと突き放すシーンなどを自分なりに注釈を入れています。
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Unknown (Unknown)
2015-09-21 13:09:41
当時Comic Boxでパヤオさんが語った内容を解釈すると
「淘汰するにまかせて、自分で進化適応させろ」
・・・って事のようですな。

その過程で何千何億と死ぬだろうけど、
その中から進化して適応する個体が出てくる事に
期待せよ・・・と
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