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魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「先の物語」という意味(その1)

2010年04月27日 | 思考の遊び(準備)
【脱英雄譚】

【今何処:魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~読むと圧倒される伝説】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/19374f7358fe16bfa8a4c8da769e0416

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」目次】
http://maouyusya2828.web.fc2.com/menu.html

http://maouyusya2828.web.fc2.com/

(※既読者向けです)

いや、凄い物語でした。圧倒されました。総てのスレに名シーンと名セリフが溢れていて読み進める度に涙する程の感動がありました。まずはこの物語と、その作者であるママレードサンドさんに感謝です。

それから、この物語は単線の鑑賞にも(ある程度の「物語読み」としての感覚があれば)充分に耐えるものだと思いますが、同時に、これまでマンガ~アニメ~ゲームの“おたく界隈”で追われてきた“英雄譚”に対する「先の物語」を描いているという意味でも興味深く、感じ入るものがありました。そこには僕が物語に対して、ずっと追ってきた事に対する様々な角度の回答がいくつも散りばめられて描かれていました。僕なりのこの物語の紹介としてその一つ一つを追って行きたいと思います。

■戦いの果てにあるもの

勇者「だって、おれ。壊したり殺したりするばっかりで何にも作ってないじゃんね」

勇者「他人に見せられるような作品なんて一個も作ってないじゃんね」

勇者「だからさ」

勇者「だからもう、やめろよっ俺には微塵も云えた義理はないけどっ。壊したり殺したり、それで何かが達成出来たり偉いと思ったりするのさっ!!」


(「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」4スレ目より)


…(他にもいろいろありますが)このセリフとか抜き出している時点で、僕はポロポロ泣けてしまうんですけど(泣)でも、ここだけ抜き出しても今読んだ人は、どっかで聞いたような、セリフだと思ってしまうんじゃないでしょうか?だから、その背景を説明しなくてはならないですね。この物語~「魔王x勇者」に僕がどうして圧倒されたか?という話をする為に、まず、それまでの(日本のおたく界隈の中で)“英雄譚”~“ヒーロー”というものがどのように描かれてきたのかを書いて行こうと思います。

そもそも、この勇者が辿り着いた境地。これ自体は何ら革新的なものではありません。正義のため、世界を救うため、戦って、戦って、戦い抜いたその先には結局何にも残らなかった…という物語は遙か昔からあります。
いや、日本の歴史的に見れば、敗戦の時、それまでは日清、日露から太平洋戦争の緒戦まで、勝った勝った、まだ領土が増えたと浮かれていたけど、それが“正しい事!”と思っていたけど、敗けてみたら、終わってみたら、ただただ虚しいだけだった…という“物語”からはじまっているかもしれないです。……おたく的に言えばアニメ・ブームの火付け役となった「宇宙戦艦ヤマト」(1974年制作)の時点でも、それは言及されている。

正体不明の殺戮者・ガミラス帝国本星を滅ぼした時、主人公のセリフは「俺たちがしなくてはならないのは戦う事ではない。愛し合うことだったんだ!」でした………………正に“俺には微塵も云えた義理はない話”に思いますが(´・ω・`)ショボーン まあ、ともかく“物語”の世界ではずっと昔からそれは観えていた。戦いの果てに自らの行為を断罪する話は、こちらの記事などで書いたりしていますが…(↓)

【絶対悪ってなに?(´・ω・`)善悪逆転編(1)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a58f2370c3f40af6e878fcdc2c97b64a
法螺貝の声「ポセイドンの像を動かしたのもトリトン、お前だ!!我らポセイドン族を総て殺したのもトリトン、お前だ!!像を倒さぬ限り世界が破壊されるようにしたのもトリトン、お前だ!!」
トリトン「(狼狽えながら)ちがう!!みんなポセイドンが悪いんだ!!」

それこそ、富野由悠季監督なんかは「海のトリトン」(1972年制作)や「伝説巨神イデオン」(1980年制作)で、自分たちの身を守るために戦い続ける事、それすらも“悪”ではないのか?~自分がそう信じているだけで、その正義を保証するものはどこにも無い~という断罪の仕方をしているワケです。しかし、“彼ら”は「では、どうするのか?」という答えを結局持ち得ず、対処療法的に戦いを続けたんですよね。

「ヤマト」は第一作でその境地に辿り着いた後も、相変わらず戦いに戦いを重ねて、数多の星間国家を滅亡させて行くわけです。…つか、ヤマトさん、暗黒銀河一個吹っ飛ばしています…銀河っすよ?銀河(´・ω・`)真田さんは「新しい銀河の誕生だ…」とか言って、ドヤ顔でした…(´・ω・`)
富野監督のロボットアニメも相変わらず毎回何の反省もなく戦い続ける作品ばかりだったワケです。(…って、言い放っちゃうだけだと良くないかも。富野監督自身が発した“断罪”については、自身の作品…「ザンボット3」や「ガンダム」なんかで返してはいますね)要するに“彼ら”は“知ってはいた”。しかし“知っている”だけだったんです。ぶっちゃけて言うと「でも、仕方がないよね?」というロジックで、のうのうと戦い、「ヒーロー」に成り続けたんです。
…いや、やたら(自分の大好きな)古典作品を貶しているように観えるかもしれませんが(汗)これは、ある一面のものの見方であってそこだけでは作品の価値は決まらない。また、その時代、その時流で発せられる価値のある“言葉”というものも自ずと違ってくるものでしょう。
しかし、「魔王x勇者」の物語はそういう物語ではなかったのもまた事実です。この物語は懸命にその「答え」を捜した。数多の「ヒーロー」たちが“停滞”したその場所から前に進む事を選んだ物語。「先の物語」なんです。

「魔王x勇者」の勇者のセリフが僕の胸を打つのは、彼が“知っている事”を披露しているからじゃないんです。彼の視線には、正に“別の答え”がはっきりと宿っているからなんです。「俺は今、別の答えを観ているんだ!知っているんだ!それを皆に伝えたいんだ!」という叫びだから胸を打つんです。「その答えにたどり着く道を、どうか、壊さないでくれ!」という懇願の叫びだから泣けるんです。

■別の答えというもの
戦いの果てに「ヒーロー」が出した答え……という物語において、たとえば「るろううに剣心」(1994~1999年、作・和月伸宏)という作品は一つの示唆になるかもしれません。
幕末において様々な剣客と渡り合い、維新回天の影の英雄となった男・緋村剣心という「ヒーロー」は、その後、剣から刃を抜き(逆刃刀)“不殺”の誓いを立てて「自分の手の届く範囲の者たちだけでも救いたい」という宣言をするんですよね。前項を読んだ人なら、なぜ、剣心が戦いの果てにこういう“答え”に辿り着いたのか?は大体分かるんじゃないかと思います。

本当は完全に剣を捨てるのが正しいのかもしれないのですけどね。しかし、この男はやっぱり人間は救いたいんですよ。(エンタメの都合としても戦いが欲される)だから「自分の手の届く範囲の者たちだけでも救いたい」と宣言をするんですね。この言い回しはけっこう重要で、逆説的に言えば「世界(この場合日本)を救わない」と宣言しているようなものです。
そして、それは“不殺”の誓いと大きく関わっている。それは何かというと「殺す覚悟もないのに、世界なんか救えるわけがない」からなんですけどね。「るろうに剣心」は、明治時代の歴史的人物を作中登場させている事もあって、ややリアル指向の部分があり、それ故、その限界値(人を殺さないで救えるもの)は強く示されています。世界を救う…この場合、日本を救う行為とはどういう事か?は剣心の戦友である維新元勲たちの行動によって対比されているワケです。

いや、結果としては、マンガ的絶対武力保持者である緋村剣心は、戦いの果てに世界(日本)を戦火から救う事に成功するんですけどね。つまる所、彼の手の届く範囲とは世界を救う事にまで達し得る、紛れもない「ヒーロー」だったと言う事なんですが、その後、物語は「では、お前の手の届く者たちなら救えるのか?実はそれさえも、まともに出来はしないのではないか?」という展開をして行き、あくまで物語は“救う事の限界”を突き詰めて行く作品となってい来ます。

近い時期の、もう一つの“不殺”作品として「トライガン」がありますが、あちらは主人公を人外の超人「ヒーロー」にする事によって“不殺”を貫きつつも“世界を救う”という物語を実現しています。この比較は「面白く」て。言ってしまえば、殺したり戦争をしたりするのは絶対の悪であり、「ヒーロー」は悪に手を染めてはならない、かつ、世界を救わなくてはならない…とロジックを組むならば、必然的にその「ヒーロー」の超人度は高めに設定せざるを得なってくる。しかし、これの極まってくるとそのキャラは“デウス・エクス・マキナもどき”になって行くわけで、これが果たして“世界を救う”というテーマを体現し得るものか?という問い掛けも強くなる……

…え~(汗)何がいいたいのかと言うと、それくらい「世界を救う物語」というのは難しいという事ですね。「むかしむかし~ある所に勇者がいて彼は旅立って魔王をぶっとばしました。それからは世界中の人々がしあわせに暮らしましたとさ~」って言うおとぎ話に対して「本当にそうなの?」という疑問を持ったら…という意味ですが。
現実の世界を救う難しさを説きたいのではなくって、おとぎ話の世界においてすら世界を救うのは難しいというか、逆におとぎ話の世界だからこそ難しい面もある。この「るろうに剣心」の選択は、その事を端的に表現しています。

つまる所、彼は正しく在るために“世界を救う”事を諦めたんです。(繰り返しますが、その見方だけで作品の価値は決まらない)明治の元勲たちが日本という国を救うために東アジアを戦場にしていったアンチ・テーゼとしてその選択はあるんですけどね。より大きなものを救おうとするとそうなる…と。だからそうしないと。

実はこの選択は、この時期移行、多くはハーレムメーカー系の物語なんかで追求されていった「主人公」像なんですよね。全てではないですが、世界なんか知った事ではなく、とにかく自分の目に観える者、手に届く人を救おうとそれだけに奔走を続けるタイプのキャラがよく見られるようになったと思います。…が、それは本筋ではないのでまたの機会として…。

とまれ、それは「世界を救う物語」の別の答えではない…と思うんですね。世界を救う事を(意識的に)考え無くなっただけであって。

……じゃあ、どうするのか?……続きます。(↓)

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「先の物語」という意味(その2)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/463b4de3919163ad00aa98250584512b


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7 コメント

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Unknown (たけひと)
2010-04-27 18:55:33
初めてコメントします。
“不殺”といえば上記2作品とほぼ同時期にライトノベルに「魔術士オーフェン」という作品がありました。
主人公は物語のラストである選択をし「世界を救う」のですが、
最近あかされた後日談ではその後社会は混乱し原因の主人公は魔王と呼ばれるようになります。
主人公は指名手配から逃れる意図もあり難民とともに新大陸目指して出航。
20年かけて開拓をすすめて現在も外交で2つの大陸のパワーバランスを維持することに苦心しています。
また自分が居ないと成り立たない社会なら自分が世界を支配しているのと同じではないかと人と超人の間で悩んだりもしています。
LDさんの言う「先の物語」というのはこういうものなのかなと思いました。

これからもLDさんの記事を楽しみにしております。
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Re:たけひと (LD)
2010-04-28 08:17:42
こんにちは。え、「魔術師オーフェン」ってそんな話だったんですか(汗)読んだことはないんですが、全然違う雰囲気に思っていました…。(機会があれば読んでみます)

しかし、“魔王”と“勇者”ってあきらかに紙一重の存在なんですよねえ…。“絶対悪”って言葉があるんですが、魔王さんが徹頭徹尾悪(?)であれば話は早いのかもしれませんが、たとえば魔王がなぜ魔王になったのか?何時から魔王になったのか?などと考えて行くと、一つの世界、一つの社会を説明して行く事になり、そこを克明に描くほど一つの個体を悪一色、善一色では染きれなくなってくる。それは正義の味方だって善一色というわけにはいかない。悪い事もある、でも、良い事もある。それはなかなか分けきれないというのが世界の在様というもので。

今回の「先の物語」については、そういう勧善懲悪という物語のたどる経緯のようなものを追った話のつもりだったりはします。
これからもよろしくお願いします。
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Unknown (hatikaduki)
2010-04-28 23:37:24
ちなみに「魔術師」ではなく「魔術士」です。作品にとっては割と肝の部分ですね。FT作品がタイトルに冠してるキーワードっすから。
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Unknown (LD)
2010-04-29 19:05:32
Re:hatikadukiさん

> ちなみに「魔術師」ではなく「魔術士」です。

すみません。間違いました…orz

Re:たけひとさん

すみません。呼び捨てになっていました…orz
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新東京絵図 (紙谷龍生)
2010-04-30 11:41:13
鞍馬天狗ものの『新東京絵図』(大仏次郎)は、終戦直後の東京を維新直後の江戸→東京に置き換えて作られた物語ですが、「その後」の革命家である鞍馬天狗の心情などが描かれています。
……小説ですけど。図書館とかにあると思います。
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Re:紙谷龍生 (LD)
2010-05-03 06:27:41
鞍馬天狗ものの『新東京絵図』(大仏次郎)…ですね。
最近、図書館にはなかなか出かけないのですけど、機会があれば読んでみようと思います。
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余談 (井汲 景太)
2010-05-03 22:06:06
> ヤマトさん、暗黒銀河一個吹っ飛ばしています…銀河っすよ?銀河

たった惑星1個の爆発で、(タイムラグもなしに)銀河1個丸々ふっとんじゃう…というメチャクチャな話でした(笑)。「ヤマト」脚本陣は科学的素養にはかなり欠けていた人たち(笑)でしたが、その中でも一際豪快な無茶苦茶さだったと思います。

………と思っていたら、つい先日キディ・ガーランドで「惑星爆弾で銀河滅亡」というネタが繰り返されててひっくり返りそうになりました(笑)。こっちはわかってて(半ばギャグとして)わざとやってたんでしょーけど。
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