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今週の一番『アゲイン』~今村金一郎は振り返らない

2011年06月26日 | マンガ
【6月第1週:この彼女はフィクションです。 第16話 この彼女はフィクション作家です。】
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【漫研】
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今村「また、あのつまんねー、退屈な三年間を繰り返すのかと思ったけど・・・・いや~~~この世界なめてたわ。俺がボーッとして気づかない間に、面白ぇーこと起きてんじゃん」

『アゲイン』(作・久保ミツロウ)が『面白い』ですね。ある意味、古いタイプの“人生やり直しモノ”であるにも関わらず、キャラクターの絡みの面白さでグイグイと引き込んでくれています。
『アゲイン』は友達も無し、部活も無し、何も無しで高校3年間の生活を終えた男、今村金一郎は、卒業式の日に3年前にタイムスリップしてしまう。事態を正確に把握せぬまま、今村は3年前に気になっていた人物、応援団の宇佐美良子に声をかけ、応援団に入部してしまう。応援団が宇佐美団長一人で廃部になってしまう未来を知っている今村は、その未来を何とかしようと考え始める…といった『物語』。

いや、僕はこの主人公の今村金一郎という男を掴みかねていて、それでこの物語に引きこまれているという所があります。今村くんの持つ、諦観、厭世観は、正直不思議なレベルなんですが、これ、実は普通なんでしょうか?彼の高校三年間の生活は友達無し、部活も無し、そして卒業後の進学も就職も決まっていないという、最悪とは言わないですけど、相当悪いとは言える状態です。
でも、彼はその人生をやり直そうとは思わないんですよね。僕なんかは、ワケもわからず時間遡った世界に放りこまれたら、それしかする事ないんじゃないの?とすら思ってしまうのですが…。んんん…ああ、でも高校卒業前の自分が、3年前の自分に戻ったら微妙かなあ?特に不満足は無かったような気もする……いや、でも今村くんは3年間友達もいなかったんでしょ?

「どうせ俺が何やっても、あの高校生活がかわりゃしないよ…」と卑屈になっているのなら分かる。実際に、今村くんの言葉を聞くと卑屈なセリフがばんばん出てきます。でも態度が卑屈でいじけた人間の態度じゃないんですよね。「3年間無視され続けてきた俺に恐いもの何か無いよ?」とばかりに、ばんばん、気になってはいたけどよく知りもしない女応援団長の為に身体を張る。
「どうせ俺なんか~」と卑屈でいじけた精神状態になっている自分を想像すると、今度は「何か矢面に立つような事をすれば、悪い人生を引き込む~故に何もしない」という行動を想像します。その諦観ムードは分かる。
ところが今村くんは、自分の人生がいい方に変わるとも思ってない代わりに、“もっと悪くなる”とも思っていないようで、今、チアリーダー部を敵に回そうとしていますが、それ、「クラスメートに無視され続けた」なんて状況よりもっと悪い状況を引き込むかも知れない事分かってないの?と言いたくなる。要するに今村くんは自分という存在に相当無関心な所がある。

だが、それがいい…というか、元々、“覚悟”した人間が好きな僕は、そこに“覚悟”があるかのように錯覚(?)してしまっている所があります。

この人、なんか駄目だった自分の人生に胸張ってるんですよね。いや、胸張ってるってワケでは無いでしょうけど、徹底して「俺の人生こんなもん」って思っているらしくて、それが卑屈でいじけた精神状態から出ている諦観じゃないように見えてしまう。卑屈なはずなのに、それくらい妙に堂々としています。
なんか振り返ってないんですよね。人生を巻き戻しされたと知った時は「なんでそんな(意味のない)事させるんだよ?」とふてくされムードだったのが、新情報が入ると「いや~“繰り返し”なめてたわ。まだ全然楽しい事あんじゃんw」といきなり生き生きし始めるのが上の引用したセリフです。…これって前だけ観ている人の動作って事ない?w
…そこをカッコいいと楽しみながらも、妙に腑に落ちない。極端な事を言えば、釈迦やキリストが、自分の人生繰り返す状況に陥ったら、淡々と自分の人生の在り方など関知せずに、他事に干渉してあるがままの結果を受け入れると思うんですけど、え?そんな話かっていうと……違うよね?と。

基本的には、やっぱりこの話は「もっと人生変わるよ!」って話に思えるワケです。実際、今村くんの人生変わろうとしているもの。……それで、ちょっと違う角度で考えてみたのですが“やり直しモノ”には問題点があって……それは「やり直せる状況」があって、「やり直そう!」という意識を持つと、それはチート(ずる)になってしまうという事です。
“やり直しモノ”として有力な『代紋TAKE2』(原作・木内一雅、作画・渡辺潤)のあのラストとか思い出してもらうと分かると思うんですが、この“やり直し”の話を詰めて行くと、かなり直感に近い形で、人としての拒絶反応が見て取れるようになる所があります。最近、ちょっと流行ったりしている“繰り返しループモノ”にしても、チートする覚悟さえ決めたその時間渡航者が、何度も何度も同じ事を繰り返すはめになるのって、運命の強制力とか、歴史の復元力とか、物語内では説明されますが、『物語力学』として言ってしまうと「そんなチートが上手く行くのは許されない」という物語上の拒絶反応なんですよね。

「人生をやり直してサクセスを手にしようぜ!」と話を始めると、「ちょっと待て、人生とは一度きりだから素晴らしく、だからこそ生命は美しいんだ」とカウンターが出てくる……という。昔はわりとあっけらかんとサクセスしていても、近代になればなるほど、その糾弾の力は強くなる…というのは分かるかと思います。
でもねえ…“人生やり直しモノ”の本質的なテーマって、つまり「キミがちょっと行動を踏み出せばそれだけで人生変わるよ!」ってもので、踏み出さなかったビフォアーと、踏み出したアフターを、明確に比較するために在るのだと思うんですよ。
本来、「誰だってやり直したい事はあるよね?」という願望と、「踏み出せば人生変わるよ!」という希望の、どちらも相当素朴な人の気持ちを追ったものが、「たとえ不幸のまま死すとも、それが絶対無比の己が生命の在り様!それを愛でよ!」…と、アノクタラサンミャクサンボダイというか、えらい大きな、覚悟に至る哲学に圧迫されているって状態でもあるんですよね(汗)

では、どうやってこの圧迫をかわして“素朴なテーマ”を顕現させるか?……という角度で『アゲイン』を観て行くとちょっと分かってくる所があります。この『物語』は、明らかに今村くんの人生を変えたがっているのに、今村くんの人生を変える事から物語の動機が出発していない。また、今村くんが変えようとしている~最初は変えようとさえしていない対象でしたが~女応援団長は、以前の今村くんにとって深い関係を持った相手~たとえば恋人~だったりしないワケで、「そもそもよく知りもしない、情報がない人」です。情報がないからチートのしようがないんですよね。

そうやって観て行くと、今村金一郎くんが、チートを行使できるパスを手に入れたのに、何故かそこに思い至らない、そうしようとも思わない人物で、にも関わらすよく知りもしない女の子の為に役に立とうと行動を起こせる事、よく知りもしない女の子が高校三年間で、もっとも“気になる事”となるように、三年間の生活が退屈で全く満たされないレベルだった事~などが分かってくる。
言ってしまえば今村くんは『物語』の持つ要請~都合~に(僕から観れば)相当無理な形で応えている主人公像という事になるのだと思います。本来なら、歪で、薄っぺらいキャラクターになってもおかしくはないと思うんですけど……にも関わらず今村くんは圧倒的に面白い。久保先生の「ただそこに居るだけで楽しい」圧倒的なキャラクターの造形力で「こんな奴、けっこういるかも?…いや、むしろカッコいいかも?」と思わせてくれるレベルにまでビルドアップしている。



ちょっと後回しにしていたのですが、今村くんといっしょに時間跳躍した藤枝暁ちゃんも、そうやって考えると観えてくる所がある。…この娘もかなり分からない子なのですよね。この子、未来に自分の彼氏になる男の子には「キモイ」と言われていきなり自分の“やり直し”は失敗していて、それでいてそこを挽回しようとしている様子はなくって、かといって今村に逆恨みするワケでもなく、(敵視しているっぽいんだけど、妙に協力的に)今村の回りの情報集めている所とか。今村がもともとは駄目人生だった事を知っていて、そこを念押しに来るところとか。(いや、どうも今村を好きになったっぽいのですが)それでいて、元々は今村の事はよく知らない、互いに情報を持っていない所とか。
でも、やっぱり圧倒的に面白い子です。同じように「まあ、それくらい切り替えが早い子はいるよね?」と思えるし、今村以上に何も考えていない子だけど、妙にねちっこい子なのに、妙に明るくって、この子可愛いよね!と思えてしまうw

あと、最初に今村くんを覚悟ある人と錯覚してしまう…という話をしましたが、「一度しかない人生こそ美しい」という覚悟ある重いテーマを跳ね除けて、素朴なテーマを顕そうとした時、その重さがのしかかる理由を避けて通った結果、その外格において“覚悟”が(有るかのように)顕れてしまうという現象はちょっと『面白い』気がしました。まあ、何の因果もない事かもしれませんがw

また、チートにあたる要素を外して行った結果、チートができない分岐に既に入っていて、その結果、ただの“学園部活立て直しモノ”みたいになって、『アゲイン』と謳ったテーマに立ち返れないんじゃ…と考えたり。まあ、今から気にする事じゃないんですけどね。
あるいは明確な情報によるチートはないけど、人生経験の差による精神的な優位はずっと行使されていて、これはどうなのか?(拒絶反応は起きないのか?)と言った観方もありますが……まあ、ともかく『アゲイン』は、物語が展開して行き、キャラクターが動くだけで面白いので、まずそこを愉楽しんで行こうと思っています。


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3 コメント

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Unknown (hatikaduki)
2011-06-28 00:01:05
顔が怖いと言うのが端的にそれですよね>覚悟があるように錯覚

実際のとこ今村くんにあるのは主体性だと思います。西森博之の描くヒーロー性にも近いでしょうか。主体性さえあるなら、1周目だろうが2周目だろうが関係ありゃしませんし、戦う手段が世間知とかでもヒーローとしての価値は減じません。
かわってるのは、普通ならループしたことによってだんだんと主人公が主体性に目覚めていくような流れになるだろうに、今村くんは最初から腹が据わっているところ。2周目だけど、2周目半くらいな感じ。
今村くんは、すでに3年間にわたる[自分ただひとり:世界全部]という経験を経ているものだから、自分てものに対する定義がコチコチに固まりきっていて、並大抵の事では小揺るぎもしません。自分が定まっているから、あとはひたすら動くだけ、なんだと思います。
揺らがないと言うのは「ヒーロー」の特徴のひとつですよね。世界から阻害されきっているあたりは仮面ライダー的だと言えましょう。『化物語』風に言うと「人間強度」のゲージがMAX。
あくまで今のところはですけど。学生が主人公の少年マンガでしかも長編であるならいずれそれまでの自己を打ち壊して成長することを要求されるでしょうし。あるいはそのとき1周目の世界における「世界の象徴」として藤枝さんがたちあがって来るのかもしれないですね。
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Re:hatikadukiさん (LD)
2011-07-01 04:17:19
> 揺らがないと言うのは「ヒーロー」の特徴のひとつですよね。世界から阻害されきっているあたりは仮面ライダー的だと言えましょう。『化物語』風に言うと「人間強度」のゲージがMAX。

『化物語』の人間強度はいいですね。いや、僕の感覚でいうと『化物語』に人間強度は、本当の揺るがない人間を指しているんじゃなくって……なんというか強がりとか開き直りに(あるいは負け惜しみ?)に類する言葉として捉えています。
その感覚と、今村くんの今の挙動はある程度合うかな?と。(それでも跳ね過ぎな面はあるかな?)僕としては今村くんは本当に揺るがない人間とは違うんじゃなかろうか?と思っているんですね。どこかで揺らいだりするんじゃないかな?と。
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Unknown (hatikaduki)
2011-07-02 00:19:06
そうですね。いずれ揺らぐんでしょうね。
今のところは今村くんがヒーローとして振舞う助けになってますが、「人間強度」のロマンは基本的には中二病とか若気の至りとかとしての側面の方が強いです。
そのへん、「若い、若いよ!今村くんww」という態度をとってみるのも、この作品の、あるいは久保ミツロウという作者の作品の鑑賞の仕方としてそれはそれで正しいかもしれんですね。少年マンガとして読むなら、素直に今村くんの活躍に心躍らせてるほうがよいでしょうけど。
仮に今後今村くんが揺らぐ時がきた場合、現在すでに「チーム今村」が出来上がりつつあることが支えになるんだろうなーとも思います。
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