今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

脱英雄譚2.0?とか思いつきでタイトルして適当に書き走らせてみる。

2011年06月03日 | 思考の遊び(準備)
【脱英雄譚】

神尾そら@まどほむ(^ω^)
「結局どのキャラも間違った部分を持っている人たちだったんだなと」「みんな普通の人間だよね」

http://twitter.com/#!/chekisora/status/76106675949551616

神尾そら@まどほむ(^ω^)
でも「みんな正しくない」というのが、なんか今風だなと思うんだよね。「敵にも都合がある」的な作品のひとつの帰着点だと思う。

http://twitter.com/#!/chekisora/status/76106675949551616

LD
「どっちも正しい」ではなく「自分に正すべき事がある」となるのは重要なシフトな気がします。かつてあった善悪逆転劇とは似て非なる。 RT @chekisora: でも「みんな正しくない」というのが、なんか今風だなと思うんだよね。「敵にも都合がある」的な作品のひとつの帰着点だと思う。

http://twitter.com/#!/LDmanken/status/76121865667612672

え~っと(汗)ツイッターを眺めていて、神尾そらさんの呟きに何か閃くものを感じまして……ちょっと下書きというか考えをまとめるアンカーとして書き走らせておこうかなと考えました。神尾そらさん自身は、多分、『まどかマギカ』の話の流れてつぶやいているのだと思います。まあ、僕も『まどかマギカ』を元にはするんですが、ちょっと大きく脱線して喋ります。TLがどう人に影響を与えるか分からない所がツイッターの『面白い』ところで、恐い所ですね。(`・ω・´)



僕がおたくの『物語』界隈を眺めていると、ちょっと目を止めた作品に対して「敵と思えるような相手に対して、そいつが何を言っているのか?何を求めているのか?よく観て考えないといけないんじゃないか?」…と言った事を感じるようになりまして、そこに『先のもの』が観れそうな予感があるんですよね。いや、それは有り体に言えば「善と悪が手を結ぶ」みたいな表現になるかもしれないんですけど、そうではなくって、本当に相手が手を組める相手かどうか、ちゃんと見極めそして“交渉”をするというか…。
「相手が何を言っているのか、よく観て考える」と言うと、相手が“正しい”から、それを考え理解に努める~って受け止め方になりがちな気もするんですが、そうではなく、そもそも、どっちが正しいか?とか間違っているか?とかじゃなく、本当に相手は何を求めているの?何を為そうとしているの?という事をしっかし見極めないといけないんじゃないの?という話なんです。

自分の為す事が“悪”であると認識してそれを為そうという者は、為す自らを肯定するという(肯定=それを悪では無いと判断する)観点において、いないと言える。→「ああ、じゃあ皆、それぞれ自分の正しさを信じてい行動しているんだ。皆、自分が“善”だと思っているんだね」→じゃなくって。善悪じゃなくって。本当に相手は、具体的に何をしようとしているの?それは自分の求めるものと何処がぶつかるの?を見極める必要があるんじゃないの?という話ですね。

『まどかマギカ』のキュゥべえ、『めだかボックス』の安心院なじみ、あたりをそういうターゲットに見立てていたりします。『まどかマギカ』は、まどかが、何でキュゥべえ、引いては彼の背後にいる宇宙存在をぶっ潰そうと考えなかったか?は彼女のキャラ読みの領分だと思いますが、しかし、おそらくそれは無駄なんですよね。
何でかというと、キュゥべえも、安心院さんも、基本的に戦っても勝てない敵として設定している節があるからです。安心院さんに到っては「戦わない」宣言をしていますしね。…なんで、そういう敵が出てくるのか?というと、上記したような事を「そんなしち面倒臭い、頭が痒くなるよーな事考えてないで、さっさとスーパーパワーで“敵”をぶっ飛ばしてスカっとしようず!」みたいな単純な“英雄譚”を避けるため……に思ったりしているワケですよ。

ちょっと補足すると非戦反戦の話をしているワケでもないです。少なくとも戦を持ち込む者を“悪”と見做し、戦をしない者が“善”と位置づけ、善の心を悪人に分からせようと、善の我らが説得する……という話ではない。そうではなく、具体的に相手が何を求めているのか?何を為すものか?考えて“交渉”をする。…ダメならダメで“武力交渉”すればいいのですが『物語』としては、そっちに行っちゃうと、単純な雌雄決着話に紛れてしまうので、そこには至らないでしょうけど。

…まあ、こんな事言ってますが『めだかボックス』はまだ終っていないので、安心院さんが最終的にどう扱われるか(僕の見立てに沿うか?)は分からない事なんですけどね(汗)まあ、現時点ではそんな事を考えていますよ、くらいの話です。すごい大きな流れのように語っていますが、今、見い出しているのこの二本しか思い起こせませんし。…『バトルスピリッツブレイヴ』は、ここを目指しているようには思えますけど。(まあ、どうなるんでしょうね)

しかし、こういった“交渉”の考え方は、昔、このブログで記事にして、僕が思考テーマにしている「“天使”に勝っちゃったらダメ問題」の有効な回答に成り得るんですよね。「天使に勝っちゃったらダメ」な話は(↓)下の一連の記事の…『悪の終焉編』で書いています。

【絶対悪ってなに?(´・ω・`)悪の化身編】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/26fcde56a318ee8ac05975c93cde11b1

【絶対悪ってなに?(´・ω・`)善悪逆転編】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a58f2370c3f40af6e878fcdc2c97b64a

【絶対悪ってなに?(´・ω・`)悪の終焉編】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/8aa3fcc617eed515159fc4903fc82b67
今の話題に合わせた言い方をすると、つまりですね。「善悪が逆転」する事はどういう事かというと、自分たち(と人間)が“悪”という事になる話ですよね。そして純粋なヒーロー(正義の味方)の話をすればする程、“悪”は必ず倒される話を積み上げてきているワケですよね。…であるならば、自分ら(と人間)が“悪”である事を否定できないなら、今度、倒されるのは自分ら(と人間)の番で、これは必ずそうならなければならない。何故なら、ず~っと悪が必ず倒される話をしてきたから…。この論法に無理はありますか?という話でね。…そして、じゃあ、自分ら(人間)を倒す、別の“正義の味方”とは一体何か?というと……それがつまり“神”か“天使”となるワケですw

つまり「善悪逆転」の文脈上、“究極の敵”とは何者か?というとそれは“天使”だ!という事です。


本質的に言うと“天使”って勝っちゃったらダメな存在なんですよね。

勝ったらダメなんですよw勝ってしまったら、それは“天使”じゃなくって“何か凄く強かった悪者”(過去形が重要)って事になってしまうwここで“善と悪”の戦いをする者が倒すべきなのは天使ではなくって、自分ら(と人間)が“悪”だという指摘であって、力で天使をねじ伏せても、この問いかけから逃れた事にはならないんです。

(絶対悪ってなに?(´・ω・`)悪の終焉編(2)より)

元々、この一連の『絶対悪ってなに?(´・ω・`)』の記事は、僕の友人が「究極の悪役(ラスボス)」のようなもの?をいろいろ考えている時に、その議論に合わせて悪を倒す類型の物語~英雄譚が、その物語力学から、より“強大な悪”を求めてどこにたどり着いたかの“史観”を語るつもりで書きました。その友人とは最近会って話しましたら「キュゥべえは(究極の悪役の)答えの一つだった」と言った話をしていました。僕もそこは思っていてキュゥべえは、かなり特異で『面白い』悪役だったと思っています。

まおゆう魔王勇者3 聖鍵(せいけん)遠征軍
toi8
エンターブレイン

また、今の話として“先の物語”『まおゆう』を上げてもおきたいですね。あの物語の要所要所は“交渉”のスリルによって編まれて行っている事は読んだ人なら分かると思います。冒頭の「我のものとなれ~」から、クルリタイ、メイド姉vs王弟元帥、女騎士vs大司教も“交渉”と言えば“交渉”ですよね。

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「先の物語」という意味】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/74eed63271d173e9d4dd2c8facb30615

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/9463c36296d822054b9ae5a6abd241d7



え~(汗)上の図は『まおゆう』の先の物語性、脱英雄譚性を説明しようとして作成したモデルです。詳しくは記事を読んでもらえたらと思いますが…。これを書いている時は、英雄譚あるいは善悪二元論の臨界あたりまでは観えていて、そのように書いているわけですけど、実際の『世界への接続』についてのイメージはかなり曖昧だった…なんか、現代劇(?)とか、ノンフィクション(?)とか、歴史への接続(?)とか書いていますね(汗)
これ、今なら、二つ程自信を持って書き込める。卵の殻だったとも言えるような英雄譚の視点から世界へ接続するのであれば、それは“観察”と“交渉”になるんですよね。それが世界と繋がるための手始めでしょう。

あと『まどかマギカ』をここでは脱線の流れから英雄譚の類型的に語っているワケですが……まあ、そういう解釈は成り立つと思いますが、同時に「魔女を魔法で倒す」というような英雄譚の主体であろうと予想される直接的な戦闘は、『まどかマギカ』において主体から外れていて、然るに英雄譚的ではないとも言えると思います。
まあ、これは分かる話で、上の図をもう一度観てもらって。世界との接続を果たし、それが進んで行くと、元の出自が英雄譚でもその原型を止めなくなって行くのは必然なんですよね。これもどこかで見切りを入れないと整理しづらくなりますが、なかなか難しい所でもあります。
まあ、こういう取り留め~の無い事を、10年20年と考えて積み上げ続けて行くのが好きな人なんですが、ちょっとまた、何回目かの一区切りが、近々僕の中で訪れそうな……気がしないでもない?(←どっちなんだ)


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