【情報圧縮論】【脱英雄譚】
【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その4)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/9bc39bf4df3c7027d268e14e470b3036
(↑)この記事での方さんと僕のレスを(その5)の記事の引用用に再掲載しておきます。
■方さんのコメント
このエントリの論調で、まおゆうを敢えて言葉で表せば、
[「"英雄譚の克服"を成し遂げた英雄」を描いた英雄譚]
ということになるのでしょうか。こう書くと言葉遊びみたいですね。
古い英雄譚から抜けだしてより新しい、より世界の在り様に即した英雄譚に接続する過程を描いた物語、とか、そんな感じなのか。
英雄譚→相対化→現代劇
と発展させるのでなく、
英雄譚→相対化→新英雄譚
と発展させるのが、つまり「先の物語」ということだ、という主張だと解釈したのですが、それでいいんでしょうか。
「光と闇の愚劣な物語」という言い回しが嫌いだというのは、わかる気がします。結局まおゆうも英雄譚という形態に着地する以上は「愚劣」を内包することになってしまうわけですが、愚劣さとは力強さでもあるわけで。伝える強さのためにある程度の愚劣を許容するというか、妥協点を見つけて前よりは聡明にやる、みたいな落しどころが現実的なんじゃないかなと(割り切りすぎてるとそれはそれで酷いw)。
■LDのレス
>[「"英雄譚の克服"を成し遂げた英雄」を描いた英雄譚]
素晴らしい(感)これは僕がまとめの言葉にしようと用意していた言葉とほぼ同じです。一応、脱・英雄譚という説を用いているので“脱する”という言葉を基軸にしたんですが…
“英雄譚を脱しようとする英雄譚”を脱っした群像劇
…という言葉を準備していました。…方さんの方がセンスがいいですね(汗)これに「あるいは“英雄譚を脱しようとする英雄譚”を脱した英雄譚…と解する人もいるかもしれない」と添える予定でした。“群像劇”なんて言葉でしめるのは、言葉の遊びとしては面白味がないのですがw(汗)僕としては『魔王x勇者』は(旧来の?)英雄譚を脱したと思うので、脱した意味で、別の言葉を添えたかったんですよね。同時にあくまで、これも一つ位の英雄譚の形であると考える事もできるとは思っていて、それはスパイラルな『引力』というものなんでしょうけど…。
ただし、勇者=英雄、メイド姉たち=新英雄、とするならば“新英雄譚”と添えるのもアリに思えます。
…その場合、より正確に述べるならば「“英雄譚を脱しようとする英雄譚”の継承によって脱・英雄譚を果たした新英雄譚」…と、ややこしい!ですねw……なるかと思います。
話がさらにややこしくなるので伏せていましたが、僕は実は勇者は英雄(ヒーロー)ではなく『スーパーヒーロー』にカテゴライズしていて、それが本来の英雄(ヒーロー)の物語に落ち着く話なんですよね。これは勇者=神話英雄の時代が終りを告げ、メイド姉たち=歴史英雄の時代が到来した…という言い方ができるかもしれません。
> 英雄譚→相対化→新英雄譚
> と発展させるのが、つまり「先の物語」ということだ、という主張だと解釈したのですが、それでいいんでしょうか。
…“先”って目の前の先も、ず~っと先も、同じ“先”なんですよねw……ちょっと方さんの言葉を借りて、僕が群像劇ともとれる英雄譚とも取れると解したその結末を『新英雄譚』と言わせてもらいますと、この『新英雄譚』という結末のあり方は、僕の視界にある“先”をはみ出しているものでした。だから“先”は“先”かもしれないけど、もうこの物差しで測るのは適当でない……というのが率直な感想です。
いや、こういうと『先の物語』じゃないと言っているみたいですが、そんな事はなくって(汗)ただ、方さんの言うところの→現代劇の接続、その描き方の時点で『先の物語』は果たしているよ、と僕は考えているって事です。
その“先”(?)の『新英雄譚』あるいは『祭壇』が二度現われる事は…“先”なのか?というか……後から来た『物語たち』が「英雄譚を脱する英雄譚」である事に困る(?)なら…ああ、この『物語』は二回突破したんだ…“先の先”へ行ったんだ…というか?まあ、自分でも言っている事、よく分かりませないが?(´・ω・`;)そんな感覚を持っています。
とりあえずその部分は単にこの『物語』の『形』として捉えて「情報圧縮論からみた構造」の語りに置いた感じです。
……んんん、なんかこのレスで残りの言いたいことまとめちゃった気もしますが(汗)後日、まとめの記事書きます。
【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その4)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/9bc39bf4df3c7027d268e14e470b3036
(↑)この記事での方さんと僕のレスを(その5)の記事の引用用に再掲載しておきます。
■方さんのコメント
このエントリの論調で、まおゆうを敢えて言葉で表せば、
[「"英雄譚の克服"を成し遂げた英雄」を描いた英雄譚]
ということになるのでしょうか。こう書くと言葉遊びみたいですね。
古い英雄譚から抜けだしてより新しい、より世界の在り様に即した英雄譚に接続する過程を描いた物語、とか、そんな感じなのか。
英雄譚→相対化→現代劇
と発展させるのでなく、
英雄譚→相対化→新英雄譚
と発展させるのが、つまり「先の物語」ということだ、という主張だと解釈したのですが、それでいいんでしょうか。
「光と闇の愚劣な物語」という言い回しが嫌いだというのは、わかる気がします。結局まおゆうも英雄譚という形態に着地する以上は「愚劣」を内包することになってしまうわけですが、愚劣さとは力強さでもあるわけで。伝える強さのためにある程度の愚劣を許容するというか、妥協点を見つけて前よりは聡明にやる、みたいな落しどころが現実的なんじゃないかなと(割り切りすぎてるとそれはそれで酷いw)。
■LDのレス
>[「"英雄譚の克服"を成し遂げた英雄」を描いた英雄譚]
素晴らしい(感)これは僕がまとめの言葉にしようと用意していた言葉とほぼ同じです。一応、脱・英雄譚という説を用いているので“脱する”という言葉を基軸にしたんですが…
“英雄譚を脱しようとする英雄譚”を脱っした群像劇
…という言葉を準備していました。…方さんの方がセンスがいいですね(汗)これに「あるいは“英雄譚を脱しようとする英雄譚”を脱した英雄譚…と解する人もいるかもしれない」と添える予定でした。“群像劇”なんて言葉でしめるのは、言葉の遊びとしては面白味がないのですがw(汗)僕としては『魔王x勇者』は(旧来の?)英雄譚を脱したと思うので、脱した意味で、別の言葉を添えたかったんですよね。同時にあくまで、これも一つ位の英雄譚の形であると考える事もできるとは思っていて、それはスパイラルな『引力』というものなんでしょうけど…。
ただし、勇者=英雄、メイド姉たち=新英雄、とするならば“新英雄譚”と添えるのもアリに思えます。
…その場合、より正確に述べるならば「“英雄譚を脱しようとする英雄譚”の継承によって脱・英雄譚を果たした新英雄譚」…と、ややこしい!ですねw……なるかと思います。
話がさらにややこしくなるので伏せていましたが、僕は実は勇者は英雄(ヒーロー)ではなく『スーパーヒーロー』にカテゴライズしていて、それが本来の英雄(ヒーロー)の物語に落ち着く話なんですよね。これは勇者=神話英雄の時代が終りを告げ、メイド姉たち=歴史英雄の時代が到来した…という言い方ができるかもしれません。
> 英雄譚→相対化→新英雄譚
> と発展させるのが、つまり「先の物語」ということだ、という主張だと解釈したのですが、それでいいんでしょうか。
…“先”って目の前の先も、ず~っと先も、同じ“先”なんですよねw……ちょっと方さんの言葉を借りて、僕が群像劇ともとれる英雄譚とも取れると解したその結末を『新英雄譚』と言わせてもらいますと、この『新英雄譚』という結末のあり方は、僕の視界にある“先”をはみ出しているものでした。だから“先”は“先”かもしれないけど、もうこの物差しで測るのは適当でない……というのが率直な感想です。
いや、こういうと『先の物語』じゃないと言っているみたいですが、そんな事はなくって(汗)ただ、方さんの言うところの→現代劇の接続、その描き方の時点で『先の物語』は果たしているよ、と僕は考えているって事です。
その“先”(?)の『新英雄譚』あるいは『祭壇』が二度現われる事は…“先”なのか?というか……後から来た『物語たち』が「英雄譚を脱する英雄譚」である事に困る(?)なら…ああ、この『物語』は二回突破したんだ…“先の先”へ行ったんだ…というか?まあ、自分でも言っている事、よく分かりませないが?(´・ω・`;)そんな感覚を持っています。
とりあえずその部分は単にこの『物語』の『形』として捉えて「情報圧縮論からみた構造」の語りに置いた感じです。
……んんん、なんかこのレスで残りの言いたいことまとめちゃった気もしますが(汗)後日、まとめの記事書きます。
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