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絶対悪ってなに?(´・ω・`)善悪逆転編(2)

2009年07月06日 | 思考の遊び(準備)
【絶対悪ってなに?(´・ω・`)善悪逆転編(1)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a58f2370c3f40af6e878fcdc2c97b64a

続きです。ます(↑)上の(1)から読んで下さい。


■デビルマン(永井豪の描いた「悪」)



デビルマン「俺は身体は悪魔になったが、人間の心は失わなかった!貴様らは人間の身体を持ちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!これが!これが!おれが身を捨てて守ろうとした人間の正体か!」

「デビルマン」(1972年連載開始)は「トリトン」や「イデオン」と比しても説明不要な作品かと思いますが……かつて地上を支配していたデーモン族が復活し、再び人類にとって代わって地上を制覇する事を目論む。そも秘密を知った不動明と親友の飛鳥了は、人間を守るためにデーモンと合体する事によってデーモンの超能力を手に入れデビルマンとなって戦おうとするという物語ですね。不動明はデビルマンとなれるのですが、飛鳥了はデビルマンになる事は失敗して普通の人のままです。そしてデーモン族との戦いの果てに衝撃のラストが待っているわけです…。この中で主人公…つまり“正義の味方”だったはずの存在は、最終的に人間を救うに値しない物と見なして滅びるにまかせ、ただ、大魔王サタンとの決着のみにその魂を燃焼させます。

…僕は永井豪先生の話をするときによく持ち出す「鉄人28号」の話があるんですが…。横山光輝先生の「鉄人28号」のキャッチフレーズは「良いも悪いもリモコン次第」ですよね。…これが永井豪先生の手にかかって「マジンガーZ」になると「神にも悪魔にもなれる!」なんですよねw…同じように「サイボーグ009」と「デビルマン」も“悪”を倒す方法として、その“悪”の能力を受け継いだヒーローという(これはまあ、元々ヒーロー・パターンの一つではあるんですが)という非常に近い構造を持った作品と言えるんですが、片や「009」のラストが“あれ”なのに対して、「デビルマン」のラストは“これ”なんですよねw…基本的にはやっぱり同じ話なんですけどねえ…人間の心の中にこそ“悪”は宿っていると…。でも、009…石ノ森先生的に言えば、弟子よ……そこまでは言ってねえぇ!(汗)とwまあ、こんな具合に先人の描いたものを、とにかくやり過ぎてしまうのが永井先生の作風!(故にオマージュとか言うレベルはとっくに通り過ぎている)と言える面もあるかなと思っているんですよね。

何が言いたいのかというと、今“善悪の逆転”を主題にした話をしているのですが、実は豪ちゃんって天才過ぎて、そういうの、突き抜けちゃっているんですよね(´・ω・`;)この頃は既に…。たとえば「デビルマン」を取り上げようとすると、カタストロフそのものは「ハレンチ学園」(1968年連載開始)であったんじゃね?…と言う意見もありますし、誰がどっちが悪役か分からない(善悪が判然としない)ヒーローの登場は「ガクエン退屈男」(1970年連載開始)、善悪逆転劇についても「魔王ダンテ」(1971年連載開始)、で果たしているとも言えます。



早乙女門土「学園を解放するなんざほんの言い訳さ。戦う理由がなければ戦いにくいからだよ。ほんとうは戦いたいから戦うんだ!!殺したいから殺したんだ!!」(「ガクエン退屈男」より)



宇津木涼「どうした殺せないのか。俺が殺せないのか―――たかが悪魔一匹殺すことができんのか!醜い俺をこの世から消すことができんのか!貴様らが俺を消せないなら……俺が貴様らを消してやる!!」(「魔王ダンテ」より)

それは既に、善悪なんて概念を超えてエロス&バイオレンス&アナーキーなwwカオスともいうべき永井豪独自の世界を構成しつつあり「デビルマン」は、その“到達点”というよりは、その世界をメジャーにのしあげる通過点としての「人に解かる物語」という意味が強い面がある………とも言えます。(←僕自身はそうは思っていない)少なくとも「ガクエン退屈男」から「バイオレンスジャック」の流れを見れば、単純な善と悪との戦いなんてものを描いていないのは明かでしょう。(モチーフとしてはあったかもしれないけど、先に進み過ぎていて既にカオスに突入している)

…だから東映さんが「豪ちゃんのその世界はとっても素晴らしいと思うんだけど……ちょっと!ほんのちょっと、沢山の人々に分かってもらうために、“正義の味方”としてのヒーローの物語に立返ってみようよ?w」と持ってきた企画が「デビルマン」なんですよね。(よくやった!東映!)結果として未完の傑作「魔王ダンテ」は「デビルマン」と「マジンガーZ」の元型、引いてはその後の永井豪ロボット・ヒーローたちの原点になって行くワケです。その意味(一般ウケというと表現難しいですが…それでも全然一般ウケという感じじゃない所が凄いのだけどw)で「デビルマン」は永井豪という一人の作家の個性から言えば、既に先へ!先へ!と進んでいた所を一歩立ち止まって、ちょっと立返って描いた部分があると思う。
しかし、それを圧してなお「デビルマン」の価値が大きい理由の一つは、やっぱり完結している事ですねw「ガクエン退屈男」も「魔王ダンテ」もさあ、これから戦いだ!という所で切れてしまっているのが、その戦いの果ての世界を描き切った事。これは永井豪先生にとってもすごく大きな意味を持っていたはず。それから、もう一度引用しますが、(↓)このセリフに込められた、善悪が逆転する様を描いた事なんですよね。やっぱり。

デビルマン「俺は身体は悪魔になったが、人間の心は失わなかった!貴様らは人間の身体を持ちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!これが!これが!おれが身を捨てて守ろうとした人間の正体か!」

この悲痛な叫びこそが善悪逆転の瞬間だと思うんですよね。善と悪の立場が入れ替わる話は、既に「魔王ダンテ」がやっています(むしろ言葉上はこちらの方が合致しているとさえ言る)。しかし、それはこの悲鳴に比べれば…「実は自分にとっては人間たちこそ本当の敵だった!彼らはかつて自分を滅ぼした神の、その端子だったのです!」…という、真の設定が開陳されるタネ明かし/どんでん返しに近い。無論、それでも大きな衝撃はあります。しかし、衝撃の事実ではあっても、この不動明の悲鳴とは違うものだと思う。

自分の身を怪物に変えてでも“正しく生きよう”とした人間(ヒーロー)の悲鳴だからこそ!身を引き裂かれんばかりの哀しみが伝播したのであり、それこそが「デビルマン」がこの時代に選ばれた、この時代の“何か”とリンクした瞬間だったのだと。そう思うんですね。



すっかり長くなってしまいましたが…(汗)富野由悠季がその後のアニメとマンガに与えた影響の大きさ、永井豪がその後のマンガとアニメに与えた影響の大きさ、これを疑問視する意見は皆無でしょう。正にアニメとマンガ、それぞれの“中興を成した人物”と言ってもいいんじゃないでしょうか?その両者が“1972年”という同じ年に、同じ「善悪逆転」のテーマの物語を、発表しているというシンクロニシティは偶然ではないと僕は思っています。
そもそも両作品とも、完全な“突然変異”で生まれた作品ではなく「サイボーグ009」や「ウルトラセブン」など“善”とは何か?“悪”とは何か?を突き詰めて考える作品が先にあり、その流れの中で出てきたものである事は、今回、順を追わせてもらった通りです。…そういう時代として人々に求められた物の合致と、日を追うごとに多岐に増大していったマンガやアニメなどの物語に対する一つの臨界点がここだったのではないかと、そう思うんですよね。

…さて、“悪”と“悪役”の話。あと1本書こうと思っています。(今度は、こんな長くならないかな?)



(その他)

【絶対悪ってなに?(´・ω・`)悪の化身編】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/26fcde56a318ee8ac05975c93cde11b1

【絶対悪ってなに?(´・ω・`)悪の終焉編】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/8aa3fcc617eed515159fc4903fc82b67


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5 コメント

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良いですね (MODSTOON)
2009-07-06 16:18:41
とっても面白いです、このシリーズ

2回目の富野編も良かったです、イデオン
あれはワンサイクル毎繰り返される再生と死滅
そうした自然観を基礎にした作品だと考えています
間近に冬を迎えた花々は何を想うか?──── そういう発想

今回は永井豪で“先人の描いたものを、とにかくやり過ぎてしまう”にひざを叩きました

『デビルマン』については、個人的には“愛についての物語”と考えていまして、『ハレンチ~』から『デビル~』までについては「第1期・愛の時代」と括っておる次第です

なにしろ後一回といわず、ここは間を空けても待ちますので続けて語って下さること希望いたします
Re:MODSTOONさん (LD)
2009-07-07 23:55:31
こんばんは。ありがとうございます。

> ワンサイクル毎繰り返される再生と死滅

僕はスパイラルをイメージしています。(多分、MODSTOONさんもそんなに違わない感じだと思うんですけど)…スパイラルであってくれ…という願いと言った方がいいのかもw

> “愛についての物語”

「バイオレンスジャック」も愛の物語ですよねwここで述べたようにデビルマン的なものは、既に「ガクエン退屈男」や「魔王ダンテ」でもあるのに、実際に永井先生を捕まえたのは「デビルマン」なんですよね。…そして前者と後者の違いは“愛の化身”サタンがいるかいないか…というような事は思っていますw
全く (modstoon)
2009-07-08 09:33:21
以て同意します

そうした事にこそ今以上に注目が集まって欲しいのです
Unknown (YES)
2009-07-13 06:44:02
ウルトラセブン、イデオン、デビルマン、チョイス最高です。
悪、となると
僕はここに加えてキカイダーの話をつい長くしてしまいます
Re:YESさん (LD)
2009-07-14 04:27:51
>僕はここに加えてキカイダーの話をつい長くしてしまいます

こんにちは。石ノ森先生の話的には「キカイダー」は外せないですね。(特撮史的にも)ちょっと新しいエントリーで「天使編」の事を扱ったんですが、石ノ森先生ってあれだけヒーロー作っただけあって、かなり善と悪というものを突き詰めて考えていた事が分かるんですよね。

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