梅雨明けも間近になり、蒸し暑い日が続いておりますが
皆さま、 いかがお過ごしですか。
我が家はといえば、慌ただしく「お盆」の行事を終え
昨夜は、庭先で送り火を焚き
ご先祖様の乗ってきた笹の枝を川に流し
ちょっと一息ついたところです。
うちの近所では、ほとんどの家が盆棚を作り、畑で採れた野菜や庭の花をお供えします。
それに、精進料理のお膳と、「お萩」をお供えします。
粒餡と、黄粉、そして黒ゴマの三種類です。
そういえば、関東では黒ゴマではなく青のりだとか。
食べたことが無いのですが、美味しいですか?
所変われば品変わると申しますが、狭い日本の中でも色々な変わった風習がありそうですね。
その昔、江戸の町では、春は「牡丹餅」 夏の呼び名は「夜船」といい
冬の呼び名を「北窓」と言ったのはご存じの方も多いかと思います。
詳しくお知りになりたい方は、→こちらをクリックしてみてください。
本来、秋の萩の花に見立てた「お萩」は、粒餡
春の牡丹の花に見立てた「牡丹餅」は、漉し餡だったのだそうです。
その理由は、秋に収穫できる小豆を春まで保存しておくと
虫が綴ったり湿気たりして、粒餡にすると美味くないものに
なってしまったのだそうです。
そこで何度も晒して作ったのが漉し餡になったということだそうです。
保存の技術が進み、今では一年中美味しい粒餡を食べられるようになったため
いつでも「お萩」を作ることが出来るようになり
すっかり、季節感もなくなってしまいました。
そうそう、粒餡の事は半分潰すから「半殺し」
漉し餡の事を、形のないほど潰したように見えるから「皆殺し」とも呼んだそうです。・・・(怖っ!)
という訳で、お盆にお供えするのは 半殺しの夜船だったというお話でした。
この日の午後は猛烈に蒸し暑くて、頭痛が・・・
そろそろ、梅雨明けしてほしいものですね。
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お盆の準備ですか?
わが家は旧盆・・・その時しかできないだけですが(笑)
この句は検索しても出てきませんね~。
pinkyさんが詠んだものですか。
福岡で暮らした時代のことが蘇ってきます。
迎え火、送り火を家の前で焚いて、あと水かけて、掃除して・・・。
へーっ笹の枝に乗って来られるんですか!
私は小さな子に話せないなぁ~。
盆棚の写真は、私が得意のまるでネットから借りて来たものようです。
pinkyさんは子供の時から経験したしきたりを、こうしてずっと続けておられるのですね。
素晴らしいです。
お萩の話も初めて聞きました。
粒餡と、黄粉、そして黒ゴマに青のり、全部食べていましたね。
それが、お盆だったのかどうかは知りません(笑)
仏さまに備える精進料理にその膳も懐かしいです。
福岡の姉は、やってくれているかな?(笑)
もう、盆正月に帰省することもなくなりました。
さてpinky家、息子さん時代や孫の代にうまく引き継がれていくでしょうか。
当然の行事なのでしょうが、そちらのように国旗を掲揚しなくなっていく日本が広く存在するように日本の伝統が忘れ去られていくのは寂しいものです。
なんだか故郷に帰った気分にさせていただきました。
どうやら梅雨明けしたようですね。
とても暑い夏がやって来ました。
今日は「お盆のお萩は 夜船の半殺し。。。」を拝見しました。
昔からの風習を後生に伝承していくことの大切さを
ブログを拝見してつくづく感じました。
言葉の語源も知れば楽しいですし、
知っていれば心も豊かになれる気が致します。
子供の頃は彼岸には必ず母がお萩を作ってくれました。
黄粉、そして粒餡のお萩は楽しみのひとつでした。
ブログの中のお仏壇の写真を見て、
遠い昔のお盆の記憶を懐かしく思い浮かべ、
おばあさんのする仏壇の掃除を手伝いながら
戦死した叔父のことなどを聞いたことが
蘇ってきました。
もう一度あのころに戻れたら。。。
そんなことが頭の中を駆けめぐっています。
ブログを拝見して久しぶりに癒されました。
富山もお盆にお萩いえ夜船をお供えするのですね。
こちらでも8月の方が帰省しやすいので旧暦の8月に帰るところが増えていますね。
お恥ずかしいですが、これは私の作った句?です。
思い出を思い起こすときに走馬灯のようにといいますが
この盆灯篭をみていると、素敵な表現だと思います。
ところで、我が家も父母の実家も新家で
父母も祖父母も盆棚の支度したことがありませんでした。
母方の父は、娘を長男の家に嫁がせることを嫌い
だれも仏壇のある家に嫁いでいないのです。
ただ幼い頃、お盆になると祖父や祖母のおともをして
本家へお盆のお供え物を届けに行きました。
そうすると、珍しいお菓子や果物を頂くことができ
心待ちにしていたものです。
この辺りでは、13日の朝、笹の枝を持ってお墓に行き墓石をなでると
そこにご先祖様が乗ってくると言われています。
13日の午前中は、墓地の駐車場は満車状態なんですよ。
お萩はお彼岸にだけ供える家も多いようです。
昔から、あの世に帰る道中の食料として
お萩を持っていくのだと
近所のお年寄りが教えてくれました。
「お萩をお供えしないと、ご先祖さまがお腹が空いて困りんさるからね~。」とおっしゃっていました。
こうした行事を昔の風習のままに行うのも、生活の節目として
楽しんでいます。
蒸し暑い梅雨が漸く開け、やっと夏本番になりましたね。
昨日の夕方は、今年初めての日暮の鳴き声を聞きました。
夏の日の夕暮の、競い合うように鳴く日暮の声がとても好きです。
お萩に牡丹餅の由来を知ったのは、ラジオでした。
江戸の人たちは、同じ食べ物も呼び名を変えて
粋を味わう人たちだったのでしょう。
それにはちゃんと理由があって、そうしたことを知ると
時代の流れや、人々の思いを知ることが出来るような気がします。
こうしたことを、息子たちが受け継いでくれるかどうかはわかりませんが
出来るだけ続けていきたいと思っています。
幼い頃のこうした行事の思いでは、そのときには
何の意味をもたなくても、歳を重ねるにつれ
はっきりと蘇るものなのかもしれませんね。
今日も、訪問ありがとうございました。
いや、すばらしいです。
てっきり昔の俳人の作品だと思っていました。
全然使っていない「名歌名句辞典」をひっくりかえさないでよかったです
へーっ、盆棚もいろいろ工夫されて飾られているんですね。
以前のブログには茄子や胡瓜の脚つきの写真もありましたね。
おはぎのお供え故郷にもあったような気もするんですが
そのいわれまでは知りませんでした。
pinkyさんって新旧合わせ持たれた日本女性ですね。
素晴らしいです
茄子の牛やキュウリの馬、蓮の葉や、むしろ、
麻がらなども
それぞれ謂れがあるのだと思います。
お萩の謂れは、近所のおば様に教えてもらうまでは
知りませんでした。
お萩はお葬式のときにも、腸内の人たちが集まって
作っていたのですが
葬儀センターで行うようなお葬式が殆どになってしまい
こういう話を聞ける機会が減りましたね。
「半殺し」「皆殺し」のお話,とても興味深く何度も楽しませていただきました(*^-^*)
お盆も地方によって色々な風習が残っているようですね。
pinkyさんのお近くでは立派な盆棚ですね。
残念ながら新興住宅地で地蔵盆なども含めて奈良のお盆のようすを全く知りません。
京都では送り火のため,夜八時前になると市内のほとんどの民家が協力して電気を暗くしていました。今はどうなのでしょうか…
盆棚にはどういうお供え物が多いですか?他地方と違うものがあれば教えて下さい^^
盆棚の花器が色彩も形も個性的ですねステキですね☆
*庭先で送り火を焚き
*ご先祖様の乗ってきた笹の枝を川に流し
なんだか素敵ですね☆
こういった行事を大切に残されてご先祖を大切にされているpinkyさんとご家族のようすが目に浮かぶようです。
pinkyさんの方は本当に美しいですね☆空が輝いていますね☆
わたしもそちらの方の山などを家族とゆっくり二人旅してみたいです。
ご先祖さまも さぞ 喜ばれたことでしょう ね
亡くなられた家族 ご先祖を想う気持ちほど
彼らにとって嬉しいことはないと想います
おはぎ
もう随分 口にしていません
祖母が作ってくれていたようにおもいますが
その記憶さえ 薄くなっていますね
餡子は アメリカの家族の口に合わず
一人で 缶にはいった小豆を食べるぐらいです
今度みつわに行ったら和菓子を買って来たいと想います
こちらも大変な猛暑で
外に立っていられません