昨日を そして今日をありがとう

Demain il fera jour.
遠回りして歩きましょう 
素敵な景色に遇えるかも・・・

あれやこれやの鳥居前町~大人の研修旅行 最終回~

2011-06-27 | 小さな旅の思い出
【雨のおかげ横丁】

たった一泊二日の旅を6回に分けてご紹介してまいりました。
             (しつこい!長い!~笑)
やっと最終回です。

お伊勢さんにお参りを済ませ、立ち寄った場所といえば
「おはらい町」そして「おかげ横丁」でした。

お天気は雨だというのに、この賑わい!
さすが、お伊勢さんの鳥居前町です。

旅は出会いと発見の連続といいますが
ここにも、興味深いあれやこれやがありました。




~おはらい町~

おかげ参りが盛んだった江戸の昔から、お伊勢さんの鳥居前町です。
バスや自家用車でお伊勢参りをする人が増え、素通りさるように
なっていまいした。
昔栄えた町並みを今に取り戻そうと、昭和50年代から地元住民が
中心となり、街づくりを行ってきました。
20数年に及ぶその地道な努力により、おはらい町は以前の賑わいを
取り戻し、伊勢特有の切妻・妻入りの家並みが続く、お伊勢さんの
鳥居前町に相応しい町になりました。


おかめの看板のある「岩戸屋」 - 郷土料理を供する食堂と、岩戸餅や生姜糖などの
名産品を売る土産物店を併設した店舗。


伊勢の町並みは、建物の形態が切妻・妻入りであるところに特徴があります。
他の町並みが平入りであるのに対し、神宮社殿と同じにするのは畏れ多い
との理由からだそうです。



沿道には伊勢うどんや手こね寿司などの郷土料理を供する飲食店
真珠や伊勢茶などを販売する土産物店が軒を連ねています。

 



~ランチ~

ところで、あんなに朝ごはんをしっかり食べたと言うのに
お昼どきには、ちゃんとお腹が空いてきました。

前夜はフレンチ、豪華な朝食の後です。
軽めなもので済ませなくては。

ということで、やってきたのはこちら


行列の出来る伊勢うどん の店「岡田屋」さんです。

実は、私・・・
この真っ黒い汁が許せなくて・・・
こんなに黒くて美味しいはずがない・・・と
今まで頑なに拒んで来たのです。

まあ、皆が食べたいと言うなら仕方ないと渋々注文しました。



~~~これが伊勢うどんです。
真ん中のは、葱嫌いな友人の特注。
右端は玉子入りです。~~~

と・と・ところが!!

何このモチモチしてるのに、ふわっとした歯ごたえのうどんは~!
美味しい~~~!(笑)
一時間以上も掛けて茹で上げてある麺だからでしょうか。
汁も、黒い色から想像していた塩辛さは全く無く、ほんのり甘い味でした。

ただの食わず嫌いだったのでした。
今まで避けてきて、損したみたいです。



~おかげ横丁~

お腹もいっぱいになったところで、「おかげ横丁」をぶらり~

おかげ横丁とは、伊勢名物「赤福」が、内宮の門前町「おはらい町」の中ほどで
約300年間変わらず商いを続けてこれたのも、お伊勢さんの「おかげ」
という感謝の気持を持って、平成5年7月に誕生させたまちが「おかげ横丁」です。
総工費140億円(当時の赤福の年商)をかけ出来上がった横丁です。
いわゆるテーマパークではないので、入場料といったものはありません。

公式ホームページはコチラ


一番おきにいりの店 ≪山口誓子俳句館・徳力富吉郎版画館≫

1階は京都の絵所に生まれ、多色刷り版画の大第1人者として名高い徳力富吉郎先生の版画館。
赤福餅を買うと入っている栞に印刷されている版画の作者としても有名です。

 




蘇民将来孫の家と書かれた伊勢地方の注連縄飾り



見ざる言わざる聞かざるかと思いきや
「見てござる、言ってござる、聞いてござる」の飾り瓦!

伊勢は瓦の産地でもあり、凝った作りの鬼瓦や飾り瓦が使われています。


~和カフェ~

しめくくりには、和カフェでまったりと寛ぎました。


【五十鈴川カフェ】



江戸時代にお参りに来て、旅籠に泊まった人たちも
こんな風景を眺めていたのかもしれません。


【モンブラン】      【柚子風味のチーズケーキ】        【白いんげん豆入りロールケーキ




 




ケーキの後には、お団子!

そして、あれやこれやとお土産を買い込んで、帰路に着いたのでした。




帰りの近鉄特急は、おばさんグループがはしゃいでも
気兼ねの要らない個室でした。

おまけ・・・


おしまい!



最後までお付き合いしてくださって、ありがとうございました。

甘くて酸っぱいジャムはいかが?・・・『キッチンから愛を込めて』・・・

2011-06-26 | キッチンから愛を込めて
我が家の梅15kgは梅干と梅酒に変身。

そして、頂き物の梅の実4キロが、いい感じに熟してきたので

コトコト・・・・煮込んで・・・

焦げやすいので、仕上げは電子レンジで煮詰めて・・・



梅ジャムになりました。

甘くて酸っぱい、身体によさそうなジャムの出来上がり~♪

ヨーグルトに合うのです。


古代の森と受け継がれるエコ~大人の研修旅行vol.5~

2011-06-23 | 小さな旅の思い出


 普段から、「お伊勢さん」と呼ぶのが当たり前だと思っていました。
考えてみたら、まるで親しい女性…およねさんとか、おたきさんとか
地元の人ばかりでなく、そんな呼び方をする神社ってあまり無いですよね。
辞書などでは「伊勢神宮」となっていますが、正式には「神宮(じんぐう)」
という名称なのだそうです。

神宮は、女神である天照大御神を祭る皇大神宮(内宮)と
衣食住および広く産業の守り神として崇敬される豊受大神宮(外宮)からなっています。

今回で3度目になる参拝ですが、時間の関係もあって
内宮のみにお参りさせていただくことにしました。

平成25年に行われる、第62回目の式年遷宮を控え
いつもに増して活気を帯びているように思えました。
天照大御神が五十鈴川のほとりに鎮座されて2015年目と云われています。

式年とは定められた年という意味。
遷宮(せんぐう)とは、神社の正殿を造営・修理する際や
正殿を新たに建てた場合に、御神体を遷すことです。
伊勢神宮では20年に一度行われます。
あまりに遥か昔のことで、想像もつきませんが
そんな昔に決められた事が、脈々と引き継がれている
ということに感動を覚えます。

唯一神明造という建築様式をはじめとする古来の技術を
次の世代に伝える意味でも、信仰を受け継いでいくためとも云われています。

遷宮のために、古い木が切り出され
その後には、針葉樹と広葉が植林されます。
今、昔のように神宮の森の木だけで
遷宮を行えるように、神宮の森を育てているのだそうです。

神宮の木だけで賄えなくなったのは、室町時代の戦乱期に
森の手入れが行われなかったからなのだそうです。



式年遷宮を前に、宇治橋も新しく架け替えられました。
橋に使われている厚さ15cmの踏み板も、20年の間に2/3の厚さに減ってしまうのだそうです。
欄干部分は宮大工によって作られ、踏み板の隙間から雨が入り腐食しないよう
船大工によってきっちりと打ち付けられるのだそうです。

    


【宇治橋鳥居】
くぐる際には一礼をしてから通りましょう。
宇治橋に付属する鳥居で高さは約7m。
式年遷宮で解体された旧正殿の棟持柱(むなもちばしら)
が再利用されています。
外側の鳥居が外宮正殿、内側の鳥居が内宮正殿の柱が
用いられているそうです。
そして、古い鳥居は全国の神社へと払い下げられ
製材しなおされ、新しい鳥居として生まれ変わる
のだそうです。


 


【五十鈴川と御手洗場(みたらし)】
五十鈴川の清流で心身を清める場所で、手水舎の古い姿といわれています。

この場所から川上を見ると、まさに神様の住む森の雰囲気です。




 
【瀧祭神(たきまつりのかみ)】

五十鈴川の守護神をまつる場所です。昔から社殿がなく
石の祭壇だけがあり、これが神まつりの原初の姿なのではないかといわれています。

神様へのお取次ぎをしてくださる神様でもあり
自分の住所、氏名、を告げた後、神様へのお取次ぎを願います。





【内宮正宮(ないくうしょうぐう)】
皇室のご祖神であり、日の大神として崇められる
天照大神をまつりとなっています

社殿は高床式で地中に直接柱を建て
萱葺き屋根を有する唯一神明造と呼ばれるものです。

こちらでは公の願い事、そして日頃の感謝を述べる
場所なのだそうです。




 

【荒祭宮(あらまつりのみや)】
正宮の北側に鎮座し、天照大神の荒御魂をまつる内宮第一の別宮。
正宮が天照大神の穏やかな神霊である和御魂(にぎみたま)を祀るのに対し
荒祭宮は活動的、積極的な働きとされる荒御魂(あらみたま)祀られています。

個人的な願い事は、こちらで願うのだそうです。

あらら・・・
そこのおばさま方~!
真ん中は通るべからずですよ
真ん中は、神様が通られるので開けておかねばなりませんよ~!


 


【宇治橋にて】
帰り際に最後から2本目
(宇治橋の西詰北側2本目)の擬宝珠(ぎぼし)に
触れル事をわすれてはけません。

中には、橋の安全を祈って饗土橋姫(あえどはしひめ)
神社の萬度麻(まんどぬさ)が収められています。
この擬宝珠に触れて帰ると、また参拝に訪れる事ができると
言われています。
   



式年遷宮を控えた伊勢神宮を訪ねてみて
今まで持っていた考えが、間違っていたことを知りました。

すべてを新しいものに作り変えるだなんて、もったいない
何でも新しいものが好きな日本人らしい発想だわ!と思っていました。

ところが、取り壊された正殿やその他の建物の部材は
朽ちた所を切り取り、表面をかんなで削られ
また新しい材料として、鳥居としてまた、別の神社の建て替えや
家の表札としてに使われるのだそうです。

全く新しい材料と同じように見えて、20年の間にしっかり
乾燥した材料は萌えにくく変化しているのだそうです。

新しく切り出された材料から出た端材は、御札となり
取り壊された橋の材料の内、再利用できないものはお守りへと
再利用されていくのだそうですl

神宮で使われていた木材は、御利益をいただけそうで
引く手あまたなようです。

古く、古代から伝え続けてられていた文化は、使い捨て文化ではなく
究極のリユース・リデュース・リサイクルのエコな文化だったのです。
(※リユース/Reuse=再使用する・リデュース/Reduce=廃棄物を出さない
・リサイク/ルRecycle=再資源化する)

いつの世にも、訪れる人々をあたたかく迎え入れてきた神宮。

そして古代からの文化を変わることなく守り、受け継いできた神宮が
これからも生きた古代博物館であり、また新しく変わり続ける
日本人の心の故郷で有り続けますように・・・・・・・・



~神宮式年遷宮イメージソング「鎮守の里」藤井フミヤ ~




長々とお付き合い下さいまして、ありがとうございました。