昨日を そして今日をありがとう

Demain il fera jour.
遠回りして歩きましょう 
素敵な景色に遇えるかも・・・

おのぼりさんはゆく!~旧岩崎邸庭園を訪ねて~

2013-01-29 | 街,建物,美術
【旧岩崎邸庭園】

~♪母がまだ若い頃 僕の手をひいて
この坂を登る度(たび) いつもため息をついた♪~


【無縁坂】

上野恩賜公園不忍池の西、あの「グレープ」が歌っていた「無縁坂」の手前を左に折れ

暫く行くと大きなお屋敷の門が見えてきます。

そこが今回訪ねた旧岩崎邸庭園です。

三菱商事の創設者でありNHKの大河ドラマ「坂本竜馬」で香川照之さんが演じた

岩崎弥太郎の孫岩崎久彌氏の邸宅です。






【広い芝生の庭から眺めた旧岩崎邸】
~当時の暮らしはどんなものだったのでしょう…~

当時150万坪あったとされる旧岩崎邸の敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷でした。

明治時代初期に牧野弼成(旧舞鶴藩主)邸となり、その後1878年(明治11年)に三菱財閥初代の
岩崎弥太郎が牧野弼成から邸地を購入したものだそうです。

その敷地の中には、20もの建物があったそうです。

1923年(大正12年)の関東大震災の際には、屋敷地が避難所として地元住民に開放されました。

その数なんと2万人!

如何に広いお屋敷だったかが想像できます・・・いえ、そんなに広いなんて想像をはるかに超えますね!

現存する洋館、和館の一部である大広間などは、岩崎財閥3代の岩崎久弥によって1896年(明治29年)に竣工されました。

洋館は、イギリスからお雇い外国人とした来日し、日本に骨を埋めたジョサイア・コンドルの設計です。

和館は、三重県桑名の棟梁・大河喜十郎の設計施工と伝えられています。

550坪あったとされる和館が大広間の周辺を残しただけで、ほとんどが取り壊されてしまっています。

文化財的価値からすると、この取り壊された和館部分の方が、洋館より価値があったと言われています。

なんと、もったいない話だこと!

邸宅内の写真撮影は禁止でしたので、詳細をお知りになりたい方は
こちら↓で、どうぞ。


http://youtu.be/XC01zChtsEA


復元された壁紙金唐革紙の制作過程などの展示
現在の作家さんの作品なども展示されていました。



金唐革紙(きんからかわし)とは、日本最高の和紙加工技術で
ヨーロッパでも高く評価され、輸出されていたのだそうです。

この岩崎邸でも使用されていたのですが老朽化してしまっていました。
それがこのたび40年ぶりに復元されたのです。

一枚一枚手仕事で、和紙を重ねて色を付け金箔を貼るという豪華な壁紙。
この壁紙が使われている1部屋だけで1億5千万円の価値があるのだそうです!



さて、和館にある御茶席では、庭を眺めながらお抹茶(和菓子付)

コーヒー(小岩井農場製のチーズケーキ付)を頂きました。

  ・・・・岩崎家は小岩井農場の創業者のひとりです



こちらもジョサイア・コンドル設計の撞球室(ビリヤード場)です。

スイスの山小屋を模し、栗材を用いた校倉造りのようになっています。

ステンドグラスや鎧戸など、洋館も撞球場も初めての事ばかりであったと思われます。

しかしながら、当時の日本の建築技術からしてみても

これは容易い(たやすい)ことであったと伝えられているそうです。

イギリスで前途揚々たる評価を受けながら、来日し

日本人の女性と結婚、日本の政府との契約が終わった後も

日本で暮らし、浮世絵も学んだというコンドルさんは

いったいどんな方だったのでしょう。

そして明治という時代に、財閥と呼ばれた人々の
華やかな暮らしぶりに圧倒されてしまいました。

旧岩崎邸庭園パンフレット

平成の「スカイツリー」、東京で最古のお寺「浅草寺」、そして明治の財閥のお屋敷「旧岩崎邸」・・・

おのぼりさん一行の旅はまだまだ続きます。

  


浅草 Night & Day

2013-01-24 | 小さな旅の思い出

【浅草寺の本堂と御手洗場の龍を版画風に加工してみました♪】

東京の旅続編~

またまたお付き合いくださいませ~♪

 
スカイツリーから表に出ると、すっかり夕暮れになっていました。

向かった先は浅草ビューホテル

スカイツリーから近くて、浅草寺に歩いていけて
部屋からスカイツリーが見えて・・・
夜景を見ながら夕食が食べられて
母には和食、みんなは洋食が希望ということで
選んだホテルでした。


スカイツリーの見えるビュッフェでは約90種のメニューがずらり!
どれもこれも、心のこもったお料理で大満足でした!
スタッフの対応もきびきびしていて



ビュッフェには、浅草らしく「人形焼き」「雷おこし」「金平糖」もありました♪

ライトアップされたスカイツリー浅草寺に誘われて、夜の散歩に出掛けました。



夜の浅草寺は色鮮やか、まるで浮世絵の世界に迷い込んだようでした。

お神輿や太鼓、彫金、三味線、江戸切子・・・

様々な伝統の技術が今も息づいている街に

突然現れた最新の技術の塊のようなタワーは

よそ者扱いされているかと思いきや

すっかり浅草の風景の中に溶け込んでいました。







夜の仁王様は迫力満点!





営業を終えた後のお店のシャッターもいかにも浅草。



部屋からこんな景色を眺めながらのおやすみなさいでした。

Panasonic Solutions Report 01 「東京スカイツリー(R)のあかり」篇


このライトアップの陰にはこんな努力があったのね!

 

刻々と表情を変えていく朝の風景は、夜のそれとは全く違う顔をしていました!
ベッドの中から見えた朝焼け↓

朝食を取りながらの眺め



朝の浅草寺は、活気に満ち溢れていました。

原型を高村光雲が作ったとされる沙竭羅龍王像は凛々しく

焼き立てホカホカの人形焼きは美味しかった♪


↑仲見世通りの向こうに見える宝蔵門には最新の秘密がありました!        
     大提灯の底にはこんなに立派な彫刻が施されていました。↑

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推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた
檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。
これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。

この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は
出家し、自宅を寺に改めて供養した。

これが浅草寺の始まりという。~whikipedhiaより~
・・・・・・・・・・・・・・・・


幾度もの火災に遭いながらも徳川家の庇護の元、再建され
関東大震災では被害を逃れたものの、東京大空襲でほとんどが再び焼失。

有名な雷門は松下幸之助氏の寄付により再建、また仲見世通りの向こうに見える
宝蔵門は力士でありその後実業家として億万長者と呼ばれるようになった
実業家大谷米次郎氏の寄進により再建されたのだそうです。

この宝蔵門は耐震性の向上と参拝客に対する安全確保のため
平成19年(2007年)に屋根改修工事を行い
軽量さと耐食性に優れたチタン成型瓦を全国ではじめて採用したのだそうです。
使用したチタンは表面にアルミナブラスト加工を施したもので
それらをランダムに配置することで土瓦特有の
「まだら感」を再現し、瓦と変わらない外観となっています。

また、主棟・隅棟・降棟・妻降棟すべての鬼飾もチタンで製作されているのだそうです。

しかしながら、どう見ても昔ながらの瓦葺にしか見えませんでした。

江戸で最も古いお寺は最新の技術に守られ

草浅の観音さん として親しまれているのでした。





はじめまして 東京スカイツリー

2013-01-19 | 小さな旅の思い出
【版画風に加工してみました~ スカイツリー】

                     

先週の金曜日から1泊で東京に行ってきました!

きっかけは、昨年一月の母との旅行でした。

http://blog.goo.ne.jp/lavieenrose_3317/e/dcaa50d476ec7883f01e035ee35052e9

心配していた足の調子も良く、ご機嫌で帰った母が来年もどこかに行かなきゃというので

繰り返し言い続けていた「私は皇居を見たことがない!」を解消すべく

妹と私で連れて行こう!ということになったのです。

80歳になり(体力的に)本当に行けるのか、内心びくびくだったようですが

なんとか無事に帰ってまいりました!(ホッ!)

皇居に行くなら、新しくなった東京駅の見学もして・・・

二男も呼んで・・・

折角行くんだから、スカイツリーにも行かなきゃということになりました。


                     



お天気も最高♪

海が見えたとはしゃぎ(なにしろ海なし県在住なので)

「ほらほら、お母さん!富士山が!綺麗ね~!!!」 

久しぶりに見た富士山に、(こっそり)三人で大興奮!(笑)

東京駅を通過したことは何度もあっても山手線に乗るのも初めて

見るものすべて、驚きの連続のようでした。


【上野の西郷さん】

奥様が除幕式で「主人はこんなだらしない恰好で外を歩く人ではございません。」と涙されたとか・・

上野駅で二男と待ち合わせ、先ずは東京スカイツリー見学です!

 

途中、浅草の浅草寺の前を通り、客待ちの車引きのマッチョなお兄さんたち(カッコいい!を横目に・・・

見えてきました スカイツリー!

スカイツリーシャトルの天井は、こうして眺められるよう(一台おきに)ガラス張りになっています。

 

気分はもう、社会見学の小学生です。(笑)

スカイツリーの構造は、下は正三角形の断面をしていますが、上層に向かって丸みを帯びた円形へと変化しています。

断面形状が、下部・中部・上部と異なる形状で作られているのです。反り返りながら空に伸びていく柱と

外側にふくらみながら伸びていく柱で、スカイツリー独特の輪郭を作り出しています。

日本の伝統的な建築法「そり」「むくり」を巧みにデザインにとりいれているんですね。

その結果、見る場所によって、スカイツリーがねじれて見えたり、曲がって見えたりするのだそうです。

建築方法には、法隆寺五重塔の心柱と似た耐震構造を持たせているのだそうです。



途中、大きなビルに見え隠れしながら

近づくほど、あまりの高さに天辺が見えなくなります。

写真を撮るにも、地面に頬がくっつくほど体を折り曲げねばなりません。



旅行会社でまとめて取ったチケットと、WEB(二男のぶん)チケットのお蔭で

エレベーターに乗るのに少し待っただけでした。



エレベーターの内部は、江戸切子(ガラス)で表現された 夏「墨田の花火」でした。

4つのエレベーターは春夏秋冬の柄に分けられているそうです。

高いところに登るのが好きなんですよね。

こんなCMご存じですか?

エレベーター 東京スカイツリー CM


まさに、こんな気分なんです。(笑)

地上から東京スカイツリー天望デッキ 4基(分速600m、約50秒)

東京スカイツリー天望デッキから東京スカイツリー天望回廊 2基(分速240m、約30秒)

あっという間に、こんな景色が眼に飛び込んできました。


【煌めく隅田川】



肉眼では富士山も確認できました!



た・たかい!

展望回廊から見下ろすと、車が芥子粒のよう。

もう少し下がってみても



【ガラスの上に立ってみる】

きゃ~~~! 高い!  爽快~!

天望デッキの収容人数 約2,000人 天望回廊 約900人

ガラス張りの温室のような場所にこれだけの人数がいて

太陽に近い。

まるで春がやって来たよう。

冷たいコーヒーをカフェで頂き、あっという間に地上に到着しました。

東京スカイツリーについて、詳しくお知りになりたい方はこちらをどうぞ → http://www.tokyo-skytree.jp/archive/

さて、まだまだ楽しめたスカイツリーのお話はまた次回にて。




あれも京都 これも京都~大山崎山荘美術館へ~

2013-01-14 | 小さな旅の思い出
【京都 緑の館にて】

     

お正月に神戸に出掛け、その興奮も冷めやらぬうちに京都に行ってきました♪


毎年恒例の京都への初もうでと蒸気機関車館の他に

いつもと違った雰囲気の京都を味わってきました。

  

京都駅から普通列車に乗り換え、到着したのはここ「山崎」です。



目指したのは、天王山の中腹に位置し、木津・宇治・桂川の三川を望む

アサヒビール 大山崎山荘美術館でした。

駅に降り立ち左に出るとすぐにシャトルバス乗り場がありました。

ここから10分ほどの場所にあるのですが、急な坂道が続くので

バスに乗ったほうがいいよと言われ、バスに乗り込み数分

お屋敷の入り口のなるトンネル前に到着しました。

切り通しになった部分に作られた風情あるトンネルを抜け

暫く景色を楽しみながら歩くと、その山荘が見えてきます。



大正から昭和初期にかけて実業家「加賀正太郎」によって建築された

「大山崎山荘」(登録有形文化財)を本館として

建築家・安藤忠雄設計による地中館(1995年竣工)、山手館(2012年竣工)

とともに公開しています。

栄華を誇り、かの夏目漱石も滞在したことがあるそうです。

山荘は1967年に加賀の手を離れ、所有者は転々と移りました。



1990年頃、持ち主である不動産会社が山荘を取り壊し、マンションを建設する計画が持ち上がり

地元住民から強い反対運動が起こりました。

京都府から保存について協力の依頼を受けたアサヒビ-ル社は

加賀がニッカウヰスキ-の設立にも参加しておりアサヒビ-ル社と浅からぬ縁も

あることから、天王山麓の景観を保全するために山荘を

買い上げることになったのだそうです。

荒廃寸前だった山荘は、京都府、大山崎町の協力も得て

1996年に美術館として見事に蘇ったのです。


内部は残絵年ながら撮影禁止となっています。

ホームページから内部の様子をご覧になってみてください。


  アサヒビール 大山崎美術館~トップページ~ 

本館

本館内部では、民藝運動に参加した河井次郎、濱田庄司

バーナード・リーチの作品を中心に古陶磁、家具、染色作品を展示してありました。


【地中館への入り口】

地中館では印象派のクロード・モネの代表作として知られる《睡蓮》の連作を展示しています。

また、約5500坪の敷地面積を有する庭園には多くの植物が植えられ

四季それぞれの美しさを楽しめるようになっていました。

名古屋の白川公園内、科学館の前にあるバリー・フラナガンの兎も展示してありました。



大山崎山荘着工からちょうど100年を経た2012年

安藤忠雄設計による山手館「夢の箱」が竣工しました。


【テラスからは京都の町が一望できます】

地下にある美術館は、地中から飛び出たようなガラスとコンクリートでできた箱の下から入ります。

この部分が暗い地面の下へ、やわらかな太陽の光を届ける様な設計になっています。

この日はモネの睡蓮が3点展示してありました。

静かに睡蓮の浮かぶ池を眺めるにはぴったりな場所となっていました。



いつもの京都とは一味違ったモダンで優雅な世界を味わってくることができました。

次回はもうちょっと余裕をもって出かけ

ティールームで京都の景色を眺めながらケーキ(リーガロイヤホテル製を食べてきたいものですね。

あ!もちろんビールも用意されていました。^^

京都には歴史的に価値の高い建築物が多くありますが

それに比べればまだ新しいこの山荘です。

もし、バブルの頃マンションに変わってしまっていたとしたら

考えただけでも寂しい思いです。

京都府を始め地元の方々の運動のお蔭でこうしたものが長く残され

愛されていくことに価値があるのだと思います。





ちょっと嬉しい誕生日~日本の恋とユーミンと~

2013-01-11 | 音楽,ラジオ


小寒を過ぎ大寒も間近か、節分までが一年のうちで一番寒い寒の内。

凍てつくような冷たい風が頬を刺します。

それでも、このところの日差しの暖かさには春を感じますね。

春よ来い は~やく来い♪

~春よ 遠き春よ 瞼(マブタ)閉じればそこに 愛をくれし君の なつかしき声がする ...(松任谷由実:「春よ来い」より)~

そうそう、先日(1月7日)ユーミンのベストアルバムをプレゼントしてもらいました。

『恋の名曲が満開です』



いつもと同じ花束とケーキ、そしてこのCDでした。




このCM、画像も素敵です。

次から次へと収録曲を美味しいとこ取りになってます。
歌詞が出てくるのも嬉しい!

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松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (初回限定盤)(DVD付)
デビュー40周年を記念して企画されたベスト・アルバム。デビューから現在までに発表された全楽曲の中から
選び抜かれたラヴ・ソング45曲と、スペシャル・トラック1曲を加えた全46曲で構成されている。
全曲最新リマスタリングで収録。その中に、初収録となる楽曲も多数収録されている。
EMIミュージックジャパン
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殆どの曲のCDもレコードも持っているので、買おうかどうしようか迷っていました。

この間からこのユーミンのサイトのCMを何度もみて、うっとりしているのに気づいていたのですね。

ユーミンのデビューレコードが付き合うきっかけになったのです。

それからというもの、ひとつひとつの曲に思い出がてんこ盛りです!

ユーミンのデビュー40周年記念に発売されたわけですから・・・(え~~~!汗)

さてさて、今夜もこのCDを聴きながら眠ることにいたします

そうそう、息子たちからは今人気の大きなトートバッグ&メールを貰いました!

あなたたちも、素敵な恋をしてくださいね!