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素敵な景色に遇えるかも・・・

桜前線北上中~桜の植えられたわけ・・・

2010-04-14 | 四季折々のひとりごと
【川沿いに植えられた桜】

桜前線は、何処まで北上したでしょうか。
そろそろ、東北あたりですか?

夕べは、花散らしの雨でした。
道路は、薄いピンクのじゅうたんを敷き詰めたようになっています。

                                         





【川に覆いかぶさるように咲く桜:2010.4.7撮影】

ここは、木曽の入り口です。
少し山に入れば、これからGWにかけてまだまだお花見が楽しめます。

この時季になると一斉に咲く桜や、桃、杏の花など色々な花が咲き誇ます。

ところで、花見といえば桜の花を眺めることをを指すのは何故でしょう。

 その昔、奈良時代には、花といえば梅や萩のことを指したのだそうです。
それが、平安時代の貴族たちが桜を愛でては歌を詠んだことが
始まりでした。


そしてまた、農民にとって花見は豊作祈願の行事だったそうです。
春になると里へ下りてくる豊作の神様をさす「さ」と
神様のいらっしゃる場所「くら」とう言葉が合わさって
「さくら」と呼ばれるようになったともいわれています。

桜の咲き方やその色で、その年の収穫の吉凶を占ったり
桜の花の開花を籾蒔きの合図にしていました。

我が家でも、桜が満開になるとレタス等の葉物の種を蒔き
桜が散ると、大根の種を蒔き
家の中に入れてあった鉢植えを外に出します。
葉が緑になり始めると、カボチャやきゅうり、インゲンの種を蒔きます。






【桃の花も満開でした】

そして江戸時代になると、花見が庶民の間にも広がり、
酒を酌み交わす宴となっていきました。

当時、「火事と喧嘩は江戸の花」といわれたように、
大変火事の多い町でした。
その一番の原因が、放火だったのだそうです。

そんな庶民の憂さを晴らすのがよかろうと、「花見奨励の御触れ(1737)」まで発布
されたのだそうです。

三代将軍徳川家光や八代将軍吉宗は、上野や隅田河畔に桜を植え
飛鳥山を桜の名所にしました。

江戸では「染井吉野」を始めとする品種改良も盛んになり
いっそう、日本人のお花見好きに拍車がかかっていったようです。


                                         



【これも、桃?】

ところで、あの暴れん坊将軍の名で有名な吉宗さんのには
お花見に纏わるもうひとつの策略があったのだそうです。

当時、洪水の被害も多かった江戸の町の護岸工事の跡に
土手の土の崩れるのを防ぐために、広く地表に根を張る桜を植えました。
そして、花見を奨励して大勢やってくる人々によって
土が踏み固められるのを期待したのだそうです。

自分から喜んでやってくる、賃金なしの作業員を雇ったようなものですね。
まんまと、その策に江戸の人々は引っかかったわけですね~。

そういえば、江戸の花火を始めたのも確か徳川吉宗さんでした。
ひょっとしたら、これも台風を前に河岸を固めておきたかった将軍の
策略だったのかもしれません。
当時の江戸っ子がこれを知ってかしらずか・・・
もし知っていたとしても、楽しんでいるうちに
いつの間にか誰かの役に立っているなんて粋なことは
当時の江戸っ子も大喜だったに違いありません。

どこか国の、大臣も
国民が楽しんでいると思っているうちに、いつの間にか税金の無駄を減らすことになっている
なんて洒落た法案を作ってくれないものでしょうかね~。


                                         



【これも 桃??】

ご存知の方がりましたら、教えてくださいませ~!

                                         


 『花より大福~!』
 
 




              

頂き物のイチゴで・・・

「イチゴ大福」を作りました。

お花見のシーズンなので、包み方もお花のようにしてみました。





【桜と桃の競演です♪】

訪問ありがとうございました!