今週の初めにメジャーでない外国映画を2本続けて観た。遅まきながらその感想を書いておく。しかし申しわけないがこれらの映画はどちらも明日金曜日までの上映なので、もし見たい方がいても見るのが難しいだろう。実はもっと前に書きたいと思ったが「東郷哲也氏の落選」がこれも旬の話題なのでそちらを優先した。
『オオカミは嘘をつく』は名古屋の栄のセンチュリーシネマで15日月曜日に見た。『神は死んだのか』は翌16日に同じく名古屋の栄の名演小劇場で見た。なぜこうなったかというと、月曜日に栄にある漢方医院に行ってその後に『オオカミは嘘をつく』を観たわけだが当初はその予定ではなかった。医者に行く前に栄に行くのだからついでに付近の映画館で観る映画はないか調べた。その条件は日ごろ車で行くミッドランドシネマ名古屋空港で上映していない映画であることと、医者に行った後で見てから午後4時までに自宅に帰れることだ。まず『神は死んだのか』が目に付いた。その哲学的内容に興味があった。しかし上映時間が医者に行く時間と重なり月曜日に行くのは不可能。しかしどうしても見たかったので火曜日に行くことにした。その他の栄付近で上映している映画も医者に行った後では4時までに帰れそうもなかった。
月曜日に医者に行ってその後に薬局に行った。医者も薬局もいつもより患者は少なかった。ひょっとすると早く解放されて映画館に行けるかもと薬を待つあいだiPhoneで映画館を調べてみるとセンチュリーシネマで『オオカミは嘘をつく』が見つかった。
『オオカミは嘘をつく』はイスラエルの刑事ドラマ(?)だ。少女が誘拐されて首の無い死体で発見された。場面は刑事が容疑者を拷問しているところに移る。しかしそこは警察署ではない。イスラエルでも警察の拷問は禁止されているのだろうから警察署内ではできないのだろう。拷問するのはどうやら刑事が容疑者を犯人だと確信しているが証拠がないためだろう。証拠がないので上司から容疑者を解放しろという命令の携帯がはいる。やむなく容疑者は刑事の車に乗せられて家まで送られる。容疑者は学校の教師だが状況証拠があるためか生徒たちからもうたがわれている。おさまらない刑事は再び容疑者を拉致し森の中においてロシアンルーレットで容疑者を脅して白状させようとする。脅して得た自白に証拠能力があるのかと思われるかもしれない。しかし少女の首の隠し場所を白状させればそれが証拠となる。刑事は容疑者が犯人である事に何の疑いも持っていない。だが容疑者は頑なに否定する。見ている僕はなぜ刑事はこんなにも確信があるのか不思議である。ところがその刑事も容疑者も二人とも少女の父親に拉致されてアラブ人地区の一軒家の地下室に連れ込まれてしまう。この家は拷問に適しているとして父親が借りた(買った)もの。この地下室で刑事は手錠で柱につながれ容疑者が少女の父親から拷問を受けるのを見ることになる。父親の目的は犯人を割り出すことではなく(これまた父親には自明のことらしい)、少女の首のありかを白状させることだ。首のないまま埋葬するわけにはいかないからだ。
父親の拷問は爪を剥ぐなど残酷なものだ。しかし容疑者は知らないと言う。観客はこんなに拷問されても言わないのだから容疑者は無実であるかもしれないと思うだろう。実際にこれほどの拷問や命の危険にさらされたら宗教とか主義に殉ずるのでないなら隠す理由がない。死ぬより刑務所の方がマシだし、同じ死ぬのでも痛くない方がいいからね。
ところがさらに新たな登場人物が出てくる。娘の父親の父親だ。彼は息子が治安の悪いアラブ人地区の家に引っ越したので様子を見に来たのだ。彼は地下室の事に気付いて息子に言う。今なら引き返せるから2人を解放したらどうかと。理性のある父親にみえる。ところが息子は拒否すると、父親はそれならガスバーナーで焼けば白状だろうと言う。その先は映画のネタバレになるから機会があったら映画館かDVD(でるかな?)で観てください。この映画で言えるのは、出てくる人間で一番まともなのは馬に乗って巡回しているアラブ人だということ。
さて翌日の火曜日に朝9時過ぎに家を飛び出して 名演小劇場の10時半からの『神は死んだのか』に向かった。映画は大学の新入生の青年がある哲学の教授の講義を選択するところから始まる。履修登録の係員はこの教授の講義はやめた方がいいと言うが、青年はその教授にすると言いはる。係員がなぜかやめた方がいいと言い、青年がその教授の講義にすると言い張るのかは不明だ。いくつか理由を推測できるがその答えは最後まで不明だ。単位が取りにくいと言うのとは全く違うからだ。また青年がその教授に固執したのは講義の内容を知っていたからとは思えない。たぶん神の見えざる手に導かれてだろう。なんちゃて。
さて青年は最初の講義にでると、教授は過去から現在の十数人の大科学者のリストを示しだ。それらは全て無神論者であった。そしてホーキングの言説を示しながら学生たちに紙に自分の名前と「神は死んだ」と書けば今学期のこの講義の単位を保証すると言った。学生たちはみんな紙に記入するが、青年は拒否する。そして自分はクリスチャンだから書けないという。教授はホーキングのような優れた科学者に異をとなえるのかと半ば怒る。青年はホーキングの言説に今は反論できないがきっと反論できるがという。それならばと教授はこれから3回の講義の時に最後の最後の30分間時間をやるから無神論を否定してみろと言う。
この映画はアメリカのいくつかの大学で講義内容について訴訟が起きているのでそれに答えるために作られたと言う。だからキリスト教的有神論のプロパガンダ映画ともいえる。そのため教授の人物の描き方が偏見に満ちているような気がする。この教授は単位で学生を釣って無神論を広めようとしているが、こんな教授はあまりいないだろう。
アメリカはキリスト教色の強い国だと思っていたが社会や地域によって様々なのだね。よくアメリカのいくつかの州では教育委員会が進化論を教えることを禁じているという。その理屈は進化論が仮説の一つにすぎない。知的デザイン説も含めて生命の起源の学説は色々あるというもの。たぶん大学での訴訟もこれに関わることだろう。
地域社会では聖書の記述が強くても、大学では進化論が優勢なのだろう。教授の同僚たちも無神論者ばかりに描かれている。しかし教授の高圧的な無神論の押し付けは粗雑だ。この映画でこの大学は一流大学ではないように描かれている。青年の彼女は同じ大学に来たが、「学年で2番の私があなたのためにこの大学にきたのよ」というセリフがあるようにトップクラスの学生はあまり行かないようだ。しかしこの大学の成績がよければロースクールに進学できるのでそう悪い大学ではなさそうだ。青年は教授の講義に不可がつけばロースクールの進学は難しくなる。
この映画では宇宙論、進化論、有神論で興味深い言説が出てくる。書き出してみよう。
《アリストテレスは宇宙に始めも終わりもなく定常なものだと言った。これが2300年間科学を支配した。しかしビッグバン学説のよって「光あれ」と一瞬に宇宙ができた聖書の記述が正しいことがわかった。2300年の間科学が間違っていて聖書が正しかった。》
《生物は長い時間をかけて進化したという。しかし宇宙の始めから現在のまで1日の時計で表すと、生物は最後の数秒間に一瞬に生まれたことになる》
これは屁理屈のようだが面白い視点だね。
教授《ホーキングが言うように「重力の法則で宇宙の自発的発生が説明できるので神など不要だ。」》これにその場で答えられなかった青年は勉強してきて、《数学者の・・・はホーキングの言説には3か所間違いがあると言っている》と答えた。その具体的内容は不明で数学者の名前は僕が覚えられなかったが、必ずしもホーキングの言説が定説とは言えないという結論らしい。
この教授は無神論者の戯画化にされている。教授の少年時代は熱心なキリスト教徒だったが、母親が病気になったとき神に祈ったが母親は死んだため、無神論者になったというもの。そして教授は言う「熱心な無神論者はみな元クリスチャンなのだ」。論戦で青年の最後のとどめのことばが「いないはずの神をあなたはなぜ憎む」というもの。
この映画の最後はやはりステレオタイプの宗教物語になっている。教授の妻はクリスチャンである。このため教授や教授の友人からバカにされる存在だ。論戦に敗れた教授は家に帰ると妻がいない。机のうえに新聞がありそれをみるとキリスト教のミュージシャンのコンサートのことが載っている。教授は表に飛び出しコンサート会場に向かう。その時車にひき逃げされる。たまたま通りかかった牧師に瀕死の状態で抱えられ「神を信じるか?」と問われ、「信じる」という。牧師は「あなたがこの周りの誰よりも早く神に会える」という。なんだこれは普通「しっかりしなさい必ず助かる」でしょ。いやはや、かくて頑なな無神論者は最後には神を信じて死にました。めでたしめでたし。
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