セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

韓流歴史ドラマ『ホ・ギュン』

2010-05-30 16:22:45 | 社会経済
毎週月曜日から金曜日の昼12時から12時55分までBS朝日の『ホ・ギュン』を見ている。正確にいうとその時間は食事や映画のため外に出ていることが多いのでビデオ録画したものを見ていることが多い。この五月から偶然見始めたので、それ以前の放送分はDVDを借りて見て最近追いついた。

主人公のホ・ギュンは16世紀末から17世紀初めの人で、韓国の人には『洪吉童(ホン・ギルドン)伝』という義賊が主人公の国民的小説の作者として知られている。でもこのドラマのテーマは文化人や小説家の伝記ではない。これは革命家の物語である。このドラマのサブタイトルは「朝鮮王朝を揺るがした男」なのである。しかし僕がサブタイトルをつけるならば「朝鮮版『何をなすべきか』」というところ。『何をなすべきか』はロシアの思想家チェルヌイシェフスキーの小説だが、ロシアの革命家レーニンにも同名の著作がある。チェルヌイシェフスキーの小説は社会の変革を目指す若い人々の物語。レーニンのそれは革命政党の組織づくりを目指したもの。このドラマにはそのどちらの要素もある。ちなみに『ホ・ギュン』では次兄を社会変革をめざした人物としてホ・ギュンもその遺志に続こうとする。これってレーニンに重なる点がある。ホ・ギュンは少数精鋭部隊で王宮を急襲しようという急進派をおさえて、根拠地で人々の中で生活して勢力を増やそうとする。うーむやはり『何をなすべきか』だ。

ちなみに雑誌に載ったこのドラマのDVDの宣伝コピーは「ホ・ジュンの生きた400年前に庶民革命を起こした風雲児がいた!」。庶民革命といったって河村市長じゃないから減税ではないよ。ホ・ジュンというのは実在の宮廷医師で別のドラマシリーズの主人公でホ・ギュンとほぼ同時代で同じ一族らしいが、このドラマには出てこない。韓流ドラマの主人公では「ホ・ジュン」の方が日本には先に有名になったからこんなコピーになったのかな。

この時代は王様でいうと宣祖(ソンジュ)から光海君(クァンヘグン)の時代だ。ちなみい「*宗」とか「*祖」と言うのは王様の死後につけられた送り名。「*君」とか「*大君」というのは王様の子息の称号で生前から呼ばれていた。「*大君」と「大」の字のつくのは正室の子供だけ。光海君は王様だったけどクーデターで失脚したから送り名がなく、歴史上では王子の時の称号で呼ばれる。えーと、そう時代だ。韓流歴史ドラマで言うと『李舜臣』『王の女』『キム尚宮』とほぼ同じ時代で、共通する登場人物も多い。

このドラマはいわゆる韓流ドラマブームの前にできた作品で、韓流ドラマファンの日本のご婦人たちには戸惑いがあるみたいだ。番組のホームページの掲示板を見ると「旦那が見ているから見ているけど、もうやめようかしら」などと書いてある。

韓流ファンのご婦人に戸惑いがある原因を考えると、
1 ドラマのトーンが全体に暗いのだ。これは朝鮮王朝の身分差別(性差別もふくむ)に苦しむ人々が描かれているからだ。もちろん他の韓流歴史ドラマにも身分差別が出てくるが、それらは主人公がそこから這い上がり富と権力を掴むというパターン。しかしこの『ホ・ギュン』では人びとが朝鮮の身分差別を呪いながら死んでいく物語だ。いわゆる恨(ハン)の感情にあふれたドラマだ。外国での放映を念頭に置いて作られた韓流ドラマではないからだ。
2 主人公(ヒーロー)とヒロインとのロマンスの要素が希薄である。このドラマにも主人公と心を通わせる女性が何人か出てくるが、ロマンスの要素は主旋律にはならない。
そんなわけで、普通の韓流ドラマファンのご婦人が期待するものとは趣が違うわけである。

ホ・ギュンを演じている俳優はチェ・ジェソンという人。この人は『李舜臣』では、李舜臣のライバルの元均という水軍の司令官で日本軍との海戦に大敗して行方不明になった人を演じた。『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』では中国の隋末唐初の李密という群雄の一人で唐に降って厚遇されたが脱走して死亡した人を演じた。どちらも一刻な性格の人みたいだ。

身分差別の撤廃を求めたといっても、ホ・ギュン自身は名家の出であり正妻の子である。父親は朝廷の高官で、このころ出現し始めた官僚の派閥の東人のリーダーであった。ちなみにこのころ士林すなわち儒学者の官僚は東人と西人の二つの派閥にわかれた。それ以前の時代は勲旧派官僚と士林派官僚とが対立していた。勲旧派官僚というのは革命とかクーデターなどで王朝や王様の擁立に功績があった者とその子孫のこと。士林派は何回かの弾圧(士禍)を被りながらも天下をとったらすぐに内部で派閥ができて権力闘争を起こすのだ。このドラマのなかでも初め東人と西人の2つだったのが、東人が南人と北人に分裂して、さらに北人が大北と少北に分かれた。だからこのドラマの最後ごろの派閥は、西人、南人、大北、小北となる。ちなみにこのドラマの終りごろは生彩がない西人はこのあとの時代に天下を取ると老論と少論に分裂する。NHKBS2の『イ・サン』では200年ぐらい後だか宮廷を牛耳る老論(ノロン)派がイ・サンの大敵だ。南人派は他のドラマで時々でてくるからずっと生き延びたみたいだ。大北、小北は消滅したのかなあ。

ホ・ギュンは小さいころから神童の誉れがたかかった。ちなみにホ・ギュンは男三人女一人の兄弟の末っ子。次兄も評判の秀才で科挙に受かるのが兄弟中1番早かった。長兄は割と平凡で科挙に受かるのは兄弟で1番の遅かったが大臣級の高官として生涯を終えたのは彼だけだ。姉は天才女流詩人でその名は明にも日本にも知られるようになるが、親により同じ派閥の家に嫁に行かされて病気で若死にをする。彼女はホ・ギュンに遺書を残すが、その中で意に沿わぬ男と結婚したこと、女に生まれたこと、朝鮮に生まれたことを呪っている。次兄は流刑になったが許されても都に帰らず、金剛山の麓で農業していたが、住民が役人に虐待されているのを救いに行く途中で落馬して死んだ。

子供のころホ・ギュンは同じ塾の生徒が、西人派の塾の生徒と学問比べをやって負けたので敵討ちにいきそこで相手のクォン・ピルを負かして親友になる。この他にホ・ギュンは詩の先生のイ・ダルを通じて知り合ったイ・ジェヨンとも親友になった。イ・ダルはこの時代随一の詩人だが庶子のため官職についていない。クォン・ピルは西人派の両班の息子で大秀才だが、直情径行の彼は派閥争いに明け暮れる朝廷を嫌って科挙の受験をしない。イ・ジェヨンは両班の側室だった母とともに捨てられた庶子で科挙の受験資格がない。しかし惚れた芸妓(キーセン)を振り向かせるために身分を偽って科挙を受けて首席で合格するが、身分詐称がばれて罪に問われる。

ホ・ギュンは6回ぐらい免職を繰り返す。言動がわざわいしたらしい。ちなみにホ・ギュンの経学の師匠はユ・ソンリュンだが、この人は文禄慶長の役で日本艦隊をうち破った李舜臣の親友で、朝廷の領議政(首相)をしていたユ・ソンリュンが李舜臣を抜擢して水軍の長にした。ところがこの李舜臣も何回も降格や免職を繰り返している。これも偶然かなあ。

このドラマの一番の悪役はイ・イチョムだ。イ・イチョムはという人物は光海君の腹心として権勢をふるい、光海君の兄の臨海君の殺害に関わったり、光海君の異母弟の殺害をしたりと悪名がたかい。この『ホ・ギュン』ではホ・ギュンを敵視し執拗に追い落とそうとする。その理由は、光海君の信任が高いホ・ギュンが自分の権力の妨げになると思うからで派閥も違う。イ・イチョムもその親玉のイ・サネも元は、ホ・ギュン一家やユ・ソンリュンと同じ東人派だったが、東人が南人と北人に分かれて以後は別の派閥となり抗争を繰り返す。

今DVDで見ている『キム尚宮』では、おなじ光海君擁立派としてホ・ギュンはよくイ・イチョムの家を訪れてイ・イチョムにアドバイスしているなど関係はわるくない。『キム尚宮』のホ・ギュンは僧侶の格好をして出歩いていることが多い。史実でもホ・ギュンは仏教に傾倒していたことがある。役所に仏像を飾って罷免されたこともあるらしい。また中国(明)で買った書物からキリスト教を知り朝鮮初のキリスト教徒になったという説もある。しかしこれらは『ホ・ギュン』には出てこない。『ホ・ギュン』ではイ・イチョムとホ・ギュンは激しく敵対している。とはいってもホ・ギュンは地方勤務か罷免による浪人の身で、しかも革命を決意して光海君がよんでも避けているので、朝廷内勢力として対立することはなく、イ・イチョムが何かにつけてホ・ギュンを陥れようと策謀する形だ。

ところでこの『ホ・ギョン』を1・2回みてから、DVDまで借りて全部見ようと思うキッカケは、ウィキペディア(インターネットの百科事典)で許筠(きょ・いん、ホ・ギュン)を見たところ、「朱子学を批判し、陽明学の『知行一致』を賞賛した」とあるからだ。陽明学が朝鮮半島の片隅に学派として根を下ろすのはもう少し後であると思うが、王陽明の思想は書籍等により少しずつ入ってきたようである。ホ・ギュンは使節について明へ行ったとき、私財をはたいて4000冊の本を買ったらしいのでその中にも陽明学の本はあったのだろう。

ドラマでは陽明学については出てこないが、ホ・ギュンが光海君と面談したとき、テレビ画面では「朝鮮の敵は日本だけではありません。王室・朝廷も敵です」といってそのころ王世子(王の後継予定者である息子)であった光海君を驚かすのだが、あとのドラマ内での第三者の噂話ではホ・ギュンは朱子学の朝鮮での2大学者の言説を「たわごと」といって非難したそうである。うん確かに陽明学だ。

ホ・ギュン自身はすべての身分差別に反対だったみたいだが、この時代の朝鮮の特徴的な身分差別は庶子の差別だ。両班の父親の子でも母が側室の庶子は科挙を受験できない。それだけではなく父を父と呼べなくて使用人と同じ扱いになるとのことだ。科挙を受験できないのはともかく、使用人と同じというのは、建前はともかくその家その家で扱いは違うのではないかと思う。だって高官の庶子のバカ息子が親の威をかりて悪さするという話がテレビドラマでいっぱい出てくるもの。

朝鮮王朝で庶子差別が始まった原因は、朝鮮王朝の創始者の太祖の腹心で権勢をふるった天才官吏チョン・ドジュンが庶子だったからといわれる。太祖の5男イ・バンウォン(太宗)が太祖が病気中にクーデターを起こした時一番目の敵にしたのはチョン・ドジュンだ。だからのちに大悪人が庶子なので庶子を官吏にしてはいけないこととなった。でもその他に、太祖が後継ぎ(王世子)に指名しチョン・ドジョンがそれを支持したのがバンウォンの異母兄弟ということも関係あるみたい。高麗朝では官吏が郷里と都にそれぞれ妻を持つ習慣があって郷妻と京妻という。イ・バンウォンは郷妻の子、王世子になったのは京妻の子だ。京妻を溺愛していた太祖は京妻の子を後継ぎに指名した。チョン・ドジョンは国の将来設計を官僚主権の国にしようとしていたので、功績があるが荒々しいイ・バンォンより少年の京妻の子の方が良いと考えて支持したのだ。長男がいたのなら問題なかったのだが、長男は前王朝の高麗王朝に忠義立てして逃亡した。イ・バンウォンは5男であるが父太祖を助けての功績も兄弟の中で一番大きいので長男がいないのなら自分と考えた。ところが太祖は京妻の子を後継ぎに指名しチョン・ドジョンもそれを支持した。そんなわけで、イ・バンウォンは京妻とその子を憎むとともに、チョン・ドジョンを憎んだわけである。イ・バンォンからみれば京妻は側室であり京妻の子は庶子だから本妻の子がいるのに後継ぎは父親の太祖が決めたことでも誤りということだろう。それで国王になったイ・バンウォン(太宗)は庶子差別を国法にしたのだと思う。

庶子差別を思想からに見れば朱子学の正閏論に原因がある。正は正しい系統、閏は正しくない系統。朱子学では正閏を明らかにすることを重視する。だから正妻の嫡子と側室の庶子は一緒にはできないことになる。日本でも朱子学的な国粋主義者は、南朝の天皇は正統だから今の天皇家は北朝だから正しくないという意識がある。

庶子差別の社会理由としては、官吏の定数が少ないので、両班の子弟でも嫡出子だけに制限したらしい。

でも庶子を使用人扱いして父母や祖先の祭祀もさせないならば、本妻に子がいない場合はその家が絶えてしまうのではないかとの疑問がでる。まして本妻を離婚できない国法があるらしい。というのはこの『ホ・ギュン』でホ・ギュンの姉が嫁ぎ先で流産したとき、嫁ぎ先の姑が「国法で離婚できないから、いっそ死んでくれた方がよかった」っていっていたぞ。でも本妻を2人にする方法があるらしい。本妻の了承があれば2人目も本妻にできその産んだ子を嫡出子にできるのだ。きっと本妻も跡取りを産めない弱みがあるから了承せざるを得ないこともあるだろう。でも1番ありそうなのが、側室の産んだ子を本妻が産んだ子とする方法だと思う。『ホ・ギュン』で側室の産んだ男の子を、正室(後妻、先妻は死亡)が自分を唯一の母親と呼ばせて、側室のいる離れに行かないようにしていた。ホ・ギュンは地方に行っていることが多いから気がついていないかもしれないが、ホ・ギュンのは母や兄嫁等がそのほうがよいと認めているのかもしれない。

ついでだけどこの後妻の人、裏表のある人で側室をいじめているひどい人ということだが、この人も封建制の犠牲者だと思う。夫のホ・ギュンはこの人を全く無視しているもの。最初はやさしくせっしていたが裏表のある性格がわかったのか今(最近放送内容)ではまったく無視している。芸妓(キーセン)あがりの側室にはホ・ギュンはやさしい。もし側室などの制度がなかったらもっと違う展開になったのではないか。ちなみに最初の奥さんはやさしい人で、キーセンが父親と一緒にこの芸妓と関係ができたから責任を取れとホ・ギュンの留守に来た時、最初の奥さんは「やむなく身を落としたかもしれないのでキーセンとさげすんではいけません。家に入れてあげてください」とホ・ギュンの母や兄に頼んだのだ。なお「キーセンがなんで責任とれって押しかけてくるのだ」と疑問がでるかもしれない。実はこのキーセンは処女だったのだ。キーセンでも男を拒否できないわけではないのだ。ホ・ギュンは酔っぱらったときにこのキーセンに手をつけてしまった。キーセンの父親は名家に入り込めば楽に暮らせると娘を無理に引っ張ってきた。娘も普通ならそんなことはいやなのだが、ホ・ギュンは心に決めた人だったので父親に従ったというわけ。先妻はやさしい人だったが、元禄慶長の役で日本軍の侵攻をさけて疎開先に行く途中身重の先妻は産まれた子を側室に託して死んだ。産まれた子もまもなく死んだ。戦後、新しい正妻がきたわけである。

僕は最近まで、朝鮮王朝は庶子差別やなどがあり、自力では解決できなかったのだから、日本の植民地支配も意味があったのかなと思っていた。しかし調べていると、庶子への科挙の受験制限もの開放も朝鮮王朝時代に行われていた。だからドラマの設定した武力革命は必ずしも必要なかったことになる。ドラマ『ホ・ギョン』では、早い段階からホ・ギュンは光海君にも朝鮮王朝にも見切りをつけて武力革命のため革命根拠地を作る計画を立てている。しかし急進派が活動資金を得るため銀商人を襲って銀を奪ったことから足がついて、史実として歴史にのこる無倫堂事件が起こった。本当のところホ・ギョンは無倫堂とは関係ないかもしれないがドラマでは同志だった。無倫堂とは両班の庶子の秘密結社。「倫」とは人の行動規範。庶子には先祖を祭る、父親を子として孝行するという人の道を行いたくてもできないので「無倫」なのである。ドラマでは無倫堂で捕まった人たちは、ホ・ギュンとのつながりを隠すため、光海君の異母弟で宣祖の嫡出子を黒幕にする光海君の側近の思惑どおりの供述を行ったわけだ。