セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

映画鑑賞ノート:ダニエル・リー監督「三国志」

2009-02-19 14:46:24 | 文化
三国志といっても、趙雲が主役の映画。三国志というのは日本なら邪馬台国があった時代の中国で、漢王朝が滅び魏・蜀・呉に3つの国が分立して、やがて魏を乗っ取った晋王朝に中国が統一されるまでの歴史を、晋王朝になってから作成された正史(公式歴史書)を「三国志」であり、それを大衆向けの小説としてずっとのちの時代にできたのが「三国志演義」なのである。ふつうは「三国志」とは「三国志演義」のことを言う。正史の「三国志」では晋王朝の作成ということもあり「魏」が正統なのだが、「三国志演義」では、後世の大義名分論の影響か劉備の蜀(蜀漢)が正統で、ストーリーの中心は劉備(蜀の皇帝)・関羽・張飛の義兄弟の契りを結んだ3人と、劉備を助ける天才軍師の孔明だ。これらが主役級。趙雲は準主役か脇役といったところだ。でもダニエル・リー監督はあえて趙雲を主役とした。渋いね~。というのは日本では趙雲の人気が高く、孔明についで2番目ぐらいだが、中国では孔明はともかく、関羽・張飛のほうが人気あるという記憶がある。あ!僕は、中国とも日本の一般的な好みとはちがって、趙雲も好きだけど、1番は魏延、2番目は徐庶、3番目に趙雲というところ。魏延は孔明との関係で悪役とされている。とくに中国では毛沢東が使ったように悪人の代名詞となっている。しかし三国志を読めば天才軍師であるはずの孔明が過ちをくりかえし、魏延が正しかったことが判るはずなのだが。なお魏延のファンは日本では意外に多い。

だが、この映画の特色は趙雲が主役ということではない。老将となった趙雲が、味方の孔明から欺かれて捨て駒にされ死んでゆく(場面的には死を予感させるが史実どうり死んではいないかもしれない)という三国志の枠をはみでた物語だ。なお「三国志演義」でも囮となっているが、それは本人も知っていることで、そこでは死んでいない。だからこの映画では孔明も悪役だ。ちなみに孔明のその作戦も失敗している。後世の歴史家には孔明は名政治家かもしれないが軍事ではだめだという評価をする者もいる。映画では敵の魏の司令官はなんと女性で曹操の孫娘ということになっている。もちろんこれは映画だけの創作。しかしこの女性も非情な人で、部下の将軍を偽りの演技で使い捨てにする。フム…ここらあたりがこの映画のテーマなのかな。

最初の場面で驚いたのは、趙雲が無名の青年で劉備の軍の兵士に応募するとい場面だ。あれ!これはおかしいね。だって三国志の常識では、趙雲と劉備が最初にあったのは、趙雲が公孫瓉の下で青年将校だった時なのだ。ちなみに公孫瓉というのは群雄の一人で劉備とは同じ師についた学友でもあったので、劉備が公孫瓉を頼っていたときのときのことだ。すこし三国史を読んだ人なら知っているはずなのだが、あえて設定を変えたのかな。

次におどろいたのは、兜だ。趙雲といえばゲームでもわかるように銀色の特徴のある兜をつけている。ところがこの映画では一応銀色で装飾もあるのだが、楽器のシンバルのような真中が上に盛り上がり周りにひさしのついたもの。第一次世界大戦のアメリカ軍の鉄兜みたいだ。これが劉備軍のみんながつけている。対する魏の軍は、これも装飾があるがドイツ軍の鉄兜に近い。なお両軍の衣装はちょっと見ると、第一次大戦時のトレンチコートにも見えるので、ふと第一次欧州大戦の場面に見えることがある。ちなみにウェブサイトで検索すると、2007年5月にこの映画のポスターがパリで発表されたとき、中国人の間から日本の侍の兜みたいでおかしいという意見が多く出たそうである。日本の戦国時代では鉄砲伝来以後、鉄砲玉を跳ね返すように形が変化している。確かに魏軍の鉄兜をみると日本の武将の鉄兜にも似ている。