玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

死刑は「四審制」

2008年06月27日 | 死刑制度
私はなぜ「死神騒動」にこだわっているのか。
ことさら世論に逆らいたいというひねくれた動機でも、死刑廃止論を訴えるためでもない。
とりあえず自分が考えていることをまとめてみる。

最初に言っておくと、私自身は死刑をなくしたほうがいいと思っている。
だが死刑廃止を論じたり運動するつもりはない。論争や運動によって死刑停止・廃止ができるとは信じていない。
世論の8割は死刑制度容認であり、熱心で戦闘的な支持者も少なくない。私などが死刑廃止を論じても焼け石に水だ。
日本で死刑制度への支持が低下するとしたら、何か大きな出来事によってパラダイムシフトが起きたときだろう。
かつて「土地神話」というものがあった。

土地神話:不動産用語集:不動産探しの決定版-Myhome@nifty
 90年代初頭のバブル崩壊後、いわゆる“土地神話”は消滅した。戦後の高度成長期を通じ、わが国の地価は一貫して上昇を続け、「土地を所有していればもうかる」という神話を生んだ。そのため銀行は企業などへの融資に際しては土地担保主義に傾倒。土地神話に基づいた過剰融資が不良債権発生の源となった。

現在の日本ではバブル経済のように実体のない「死刑神話」が膨らんでいる。「射殺煽り」や「死神騒動」を見てきて嫌というほど思い知らされた。バブル崩壊のような痛手を負うことなく、静かに死刑神話が消滅するようにと私は願っている。


死刑とは「一人の人間の命を合法的に確実に終わらせること」である。
人の死をつかさどるのは本来「死神の仕事」だ。
死刑の本質に「死神性」があることは疑いようがない。

「死神騒動」で死刑支持者たちのナイーブさ・現実逃避・ごまかしぶりが明らかになった。
死刑を容認して「死神性」を否定するのはあまりにも虫がよすぎる。
私は「水伝騒動」で「水伝の価値を認めよう」と言った人のことを思い出した。彼は「『科学くん』が縄張りを荒らされて怒っている」とからかい、「自分は科学の世話になっていない」とうそぶいたものである。
もちろん、現代の日本人は科学の恩恵なしに生きていけない。パソコンも携帯もエアコンもテレビも自動車も原子力発電も、科学なしにはありえない。日日の暮らしで科学の世話になりっぱなしだ。
現在の日本には死刑制度が存在し、全国民はその「恩恵」を受けている。それはつまり「死神代行の世話になっている」ということだ。
死刑制度を運用するのは誰かに「死神の仕事」をさせることに他ならない。


死刑について世間では「判決」を重く見すぎ「執行命令」を軽く見すぎているようだ。
裁判所は判決を下し死刑執行の実務は法務省に委託する。死刑執行の期限を定めたのが「六ヶ月規定」だ。だがこれは空文化しており、守らなくても法律違反にならないと裁判所が自ら認めている。

弁護士山口貴士大いに語る: 【死刑執行】「死刑執行、自動的に進むべき」 鳩山法相が提言【6ヶ月】
 参考までに東京地方裁判所平成10年3月20日事件の判決を紹介します。
 この事件は、死刑囚が死刑確定の日から6ヶ月以上経っているにもかかわらず、死刑を執行しないことが違法であると主張して、国を被告として、国家賠償請求を求めて提訴した事案について、東京地方裁判所は、「思うに、同項の趣旨は、同条1項の規定を受け、死刑という重大な刑罰の執行に慎重な上にも慎重を期すべき要請と、確定判決を適正かつ迅速に執行すべき要請とを調和する観点から、法務大臣に対し、死刑判決に対する十分な検討を行い、管下の執行関係機関に死刑執行の準備をさせるために必要な期間として、6か月という一応の期限を設定し、その期間内に死刑執行を命ずるべき職務上の義務を課したものと解される。したがって、同条2項は、それに反したからといって特に違法の問題の生じない規定、すなわち法的拘束力のない訓示規定であると解するのが相当である。」との判断を示して、死刑囚の請求を棄却しています。なお、この裁判において、国側も、刑事訴訟法472条2項は「訓示規定」であると主張していますし、この解釈について法律家の間ではあまり異論のないところだと思います。

私は法律については無知だ。「素人物怖じせず」で乱暴なことを書く。
死刑判決とは「被告人を死刑囚にする」レッテルの張替え作業である。法律の規定はともかく、実質的にそうなっている。
死刑執行は法務大臣の権限だ。法相の執行命令が出てはじめて死刑が現実のものになる。判決自体に死刑執行させる絶対的な強制力はない(例 帝銀事件 - Wikipedia
法相が署名する前に法務官僚が「間違いはないか、冤罪の可能性はゼロなのか」再調査する。普通の裁判は三審制だが、こと死刑については判決確定後にもう一度調べられる「四審制」と言っていい。この場合の「最終決定」が法務大臣による執行命令への署名である。

日本における死刑 - Wikipedia
日本の刑事裁判では一般的に三審制であるが、死刑に関しては最高裁の後の法務大臣の死刑執行の署名する前段階で、さらに法務省刑事局で検事による、さらに審査がおこなわれるため、事実上の四審制であると指摘する人もいる。


「法相は判決と法律に従っているだけなので責任を問うのはおかしい」という意見がある。
私はこういう考え方は危険なものだと思う。
法務大臣は、死刑執行を含めた日本の法務行政のトップだ。
何のためにトップがいるのか。決断し責任を負うためだ。決断も責任も不要ならそれこそ人形でも置いておけばいい。
「法律と判決に従い死刑を執行する」のも法務大臣の決断であり、そこには当然責任が生じる。
法務大臣をロボットにしてはいけない。「ベルトコンベア式」などもってのほかだ。

ひとつの思考実験をしてみる。
あってはならないことだが、死刑執行後に冤罪が明らかになったとする。
裁判官の責任はもちろんだが、執行命令に署名した法相に責任はないといえるのか。
「責任はない」と答える人もいるだろう。「判決に従っただけだ」と。
そう答えた人にたずねたい。
タイムマシンで「法相が執行命令に署名する1時間前」に行けたら、あなたは「法律」と「人命」のどちらを守りたいか。
ほとんどの人は懸命に法相を説得しようするはずだ。「この人は冤罪です、死刑にしてはいけない」と。
そのとき法相が「私は法律と判決に従うだけ」「死刑を先延ばしする権限はない」と聞く耳を持たなかったらどう感じるか。
「ああそうだな、法務大臣には決断する能力も責任を取る必要もないのだから」と納得できる人はどれくらいいるだろう。

参考記事(追記)
 眠る胡椒、走る茄子。 | 「死に神」です、「死に神」で上等です。


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31 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど、 (てんてけ)
2008-06-27 22:12:17
>>法務大臣は、死刑執行を含めた日本の法務行政のトップだ。
玄倉川さんのロジックでは、責任の連鎖がないのですね?
私は件の記事はどうでもいいと思ってますが。
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Unknown (かかか)
2008-06-27 22:19:56
つまり人が人に死を与えるのは間違っているのか?

己の欲望を満たすために人を殺した報いとしてなら死を与えられるべきです。
法務大臣が死神としての役割を積極的に果たすのは絶対に必要なことです。

死刑囚の命を大事にするのは被害にあった人のことを無視しています。
死刑囚の命を大事にするのはモラルを崩壊させます。

どうやら玄倉川氏は「死刑という形式」そのものへの盲目的な拒絶反応のみがまずあり、それに後付で理屈をこねているだけのように見えます。

再度いいますが死刑は絶対に必要です。
死刑はそれに値する犯罪を犯した人間には絶対に執行せねばなりません。

ただし、その決定をする役職につく人物を死神と呼びたいならそれは自由だと思います。

「死神というレッテルを貼ること」と「死刑が必要かどうか」が全然別のことというのは同意します。
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Unknown (Deki)
2008-06-28 02:05:22
四審制と三権分立について意見をお聞かせ願えますか?
司法(裁判)で決めた事を行政(大臣)が覆せる権利について。
行政が司法の仕事を行う事について。
⇒これが四審目ですよね?
法務大臣が密室で四審目を行う事の公平性について。

以上の事から法務大臣に求められているのは判断ではなく作業になっております。
これは日本の三権分立の原則を変えない限り、この基本を変える事ができません。

あなたは死刑廃止の為に、三権分立を廃止せよと言えますか?
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Unknown (Unknown)
2008-06-28 06:22:55
大きな出来事によるパラダイムシフトかぁ。
社民党や共産党が政権奪取する世の中にならないと無理かもね。
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合流点 (玄倉川)
2008-06-28 16:58:14
>てんてけさん
「責任の連鎖がないのですね?」
上流にさかのぼりたい人はそうしてください。
私は、法務大臣の署名こそが「死刑囚の運命が絶対的に決まる一瞬」であるという事実を指摘したのです。川に例えれば、何本もの流れがひとつになる合流点だということです。

>かかかさん
死刑是非論はよそでやってください。
これ以上続けるならコメントを承認しません。

>Dekiさん
「四審制」の是非についてはなにも言っておりません。
死刑制度の運用の実態はこうなっている、と説明しただけです。是非論と事実の問題をごたまぜにされては困ります。
「クモの足は8本だ」と指摘した人に「虫の足は6本に決まってるだろ!」と怒りをぶつけても何にもなりません。

>Unknownさん
私は外圧の可能性を想像してます。
仮に自分が死刑廃止運動をするなら(やりませんけど)チベット独立運動のように外国で支持を広げて日本政府に圧力をかけようとするでしょう。京都議定書とかクラスター爆弾廃止のように「国際的枠組みに誘い込んで追い詰める」やりかたが一番効果的だと思われます。
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Unknown (Mono)
2008-06-28 17:33:28
死刑に関する一連のエントリで一番違和感を感じたのは、
> ・ 死刑囚にとっては法務大臣こそ死神そのもの
という側面ばかり強調されていて、
・ 被害者遺族や友人にとっては死刑囚こそ死神そのもの
という側面が全く記述されてないことです。
日本の国民感情として、ただの「死神」は許せないが、「死神」に死を与える「死神」は(積極的に)許す、ということではないでしょうか。
今のTVドラマに似たのがあるのか知りませんが、一昔前に必殺仕事人とかいうTVドラマが一定の人気を博したのもそういう感情が背景にあるんだろうと思います。
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Unknown (Mono)
2008-06-28 17:47:15
すみません。ちょっと訂正・補足です。
×・ 被害者遺族や友人にとっては死刑囚こそ死神そのもの
○・ 被害者にとっては死刑囚こそ死神そのもの

それと「鳩山法相は死神」という表現に反発する感情は、ただの『死神』と『「死神」に死を与える「死神」』をひとくくりするように同じ表現方法で扱うな、ということだと思います。
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Unknown (Deki)
2008-06-28 18:16:55
>死刑制度の運用の実態はこうなっている、と説明しただけです。
>是非論と事実の問題をごたまぜにされては困ります。
死刑制度では法相は作業者であるのが実態です。
あなたは法相が判断をし、その先は作業者であるような事を書かれていますが、
私からすれば法相まで含めて作業者でしかありません。

さらに、法相が判断者として死神といわれるのならば、それまでの裁判官はどうなのですか?
作業者を死神と揶揄するなら刑務官はどうなのですか?
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死神の反対 (てんてけ)
2008-06-28 20:15:40
玄倉川さん、どもども。
比喩として推理小説などでは
「被害者は自分で自分の死刑執行書に署名したのです」なんてフレーズがあったり、
裁判官を指して「首吊り判事」と異名をとる裁判官がいたり、
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間違えました、すいません (てんてけ)
2008-06-28 20:16:34
コメント欄に書くのを辞めて閉じるはずが、間違えて投稿ボタンを押してしまいました。すいません。
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