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玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

タックスヘイブンを勧める総理、金持ちに矜持を説く総理

2009年11月15日 | 政治・外交
鳩山総理
「国民に税金が課されていないと聞いた。日本国民もブルネイに移住したいと考えるだろう」


麻生元総理 
(定額給付金について)「貧しい人には全世帯に渡すが、『私はそんな金をもらいたくない』という人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない。それは哲学、矜恃(きょうじ)の問題で、それを調べて細かく(所得制限を)したら手間が大変だ」


鳩山発言が今のところそれほど問題にされず、麻生発言が総スカンを食った理由が全然わからない。
麻生氏が総理だったとき「日本人は無税のブルネイに移住したいだろう」などと言えば「真面目な納税者をバカにしている」「国の財政を何だと思ってるのか」とマスコミ総がかりのバッシングを受けたのは間違いない。
逆に、鳩山氏が「大金持ちが国から小金をもらいたがるのはさもしい」と言ったとしたらどうだろう。高い支持率に配慮したマスコミが「さすが鳩山さん、これこそお金持ちの矜持ですね!さもしい金持ちは恥を知れ!」ともみ手してヨイショするんじゃなかろうか。

「誰が言ったか」を抜きにして考えてみる。
「日本国民もブルネイに移住したいと考えるだろう」という発言は「タックスヘイブンの勧め」であり国民と企業の節税・脱税志向を肯定している。火の車の財政を預かる政権与党の政治家として無責任すぎるし、ましてや総理大臣としては論外だ。
対して、「大金持ちが国に小金をタカるようなさもしい真似をするな」という発言は政治家としても金持ちとしても真っ当だ。以前にも書いたけれど、あの発言に怒った「金持ちでもなんでもない一般人」はいったいどういうつもりなのか理解しがたい。まさか「俺も10年後には年収1億円だぜ!」と信じているわけでもなかろうに。

ついでに言っておくと、ブルネイとかモナコとかいった税金のない(安い)国に移住できるのは大金持ちか特別な能力の持ち主だけだ。うなるほどの財産やあふれる才能とは縁のない一般人が夢見るなら「ああいう国に生まれたら楽なのに」くらいがせいぜいのところだ。
どうせ無理な夢を見るなら、「無税の国に移住したい」なんてセコい話じゃなくて「月に移住したい」とか「火星に移住したい」とか壮大な夢を見たいものである。独特のセンスで「宇宙人」とも呼ばれる鳩山総理の身辺にはなぜか銅臭が漂っている。


鳩山首相が軽率発言。「日本国民も無税のブルネイに移住したい」 - MSN産経ニュース
 【シンガポール=松本浩史】鳩山由紀夫首相は14日、シンガポールでブルネイのボルキア国王と会談し、個人に対し所得税が課せられていない同国の税制について、「国民に税金が課されていないと聞いた。日本国民もブルネイに移住したいと考えるだろう」と述べた。

 国民に課税している日本政府のトップとしては不適切な発言である上、首相自身は政治資金収支報告書の虚偽記載問題で、自民党の大島理森幹事長から「脱税の可能性がある」と追及を受け、「税はしっかりと払っている」と反論した経緯がある。加えて、首相自身の資産報告書などの記載漏れも発覚したばかりで、「軽率発言」とのそしりは免れそうにない。


鳩山首相の資金団体 領収書不要の人件費/毎年6000~7000万円に
 鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」(友政懇)の偽装献金疑惑が広がっていますが、支出の面でも年間6000万円を超す不自然な「人件費」の存在が注目されています。

「岡田質疑応答メモ」デマの下らなさ

2009年10月28日 | 政治・外交
岡田外相が2ちゃんねるに書き込まれたデマに対して削除要請した由。

民主党衆議院議員 岡田かつや | お知らせ

岡田外相、2chに「ねつ造」質疑応答の削除を要求 - ITmedia News
 岡田克也外相と記者による質疑応答をねつ造した文章が掲示板サイト「2ちゃんねる」(2ch)に掲載されているとして、岡田外相の事務所は10月27日、2ch管理者に対し、プロバイダ責任制限法に基づき、該当する内容の削除と投稿した人物の特定を要求したことを明らかにした。要求に応じない場合、別の法的措置を検討するとしている。


問題とされた書き込みはこれ。

オカラ「天皇は植木職人に」「民主党に恭順しろ」ミンス工作員のデマ文?それとも本物?2chに出回る。 (魚拓

デマの拡散に手を貸すつもりはないから引用はしない。
一読して鼻で笑うしかないようなつまらないデマである。なぜデマと断定できるのか、その理由は後で書く。
私は「ネタ」は好きだけれど「デマ」は嫌いだ。何がネタで何がデマかといえば、面白くて気分よく笑えるのがネタで、ただムカムカして不快にさせられるのがデマだ。実際のところ「ちょっと笑った後で不快になる」ようなネタとデマの中間のような作り話も少なくないけれど、「岡田質疑応答メモ」には笑える部分がまったくない。純粋な(というのも変だが)悪意だけのデマである。実につまらない。

私はデマは嫌いだから、もちろん削除要請した岡田外相を支持する  …という気にもならない。「好きにすれば?別に止めないから」くらいの感じだ。応援する気もことさら批判するつもりもない。
そもそも、こんなデマが作られた原因は岡田外相の「天皇陛下の国会開会式でのお言葉は見直すべき」発言にある。個人的には岡田氏の心情はある程度理解できるが、今はそれを問題にする時期なのか、やり方は適切なのかといえば「バカらしい」と言うほかない。まったくもって余計なことをしたものだ。ロボコン0点。夏休みの宿題を済ませていない子供が8月も半ば過ぎてるのについゲームに手を伸ばすように、岡田外相は普天間とかインド洋とかアフガニスタンといった難問から逃げたかったのではないか。そんな想像さえしてしまう。

名誉毀損する悪質なデマの削除を依頼するのはともかく、「投稿した人物の特定を要求」というのは穏やかではない。政権党の国会議員、それも有力閣僚である外務大臣がそこまでするのは国家権力を振りかざすようでおっかない。岡田氏は例によって真面目なだけなのだろうが、後で悪い見本になりそうだから個人責任の追及はほどほどに手控えていただきたい(デマを飛ばした2ちゃんねらーを庇う気はないけれど)。


「お言葉を見直すべき」発言と、その後の岡田外相の弁明を聞くと、どうやら岡田氏は天皇の言葉が政治的に利用される危険について鈍感というかナメているように思われる。岡田氏自身は真面目人間だから天皇の政治利用など考えたこともないのだろうが、「自分はやらないから誰もやらないだろう」と信じているとしたらナイーブ過ぎる。

皮肉なことに、「岡田質疑応答メモ」がデマだと断言できるのもそのナイーブさのおかげだ。
岡田氏は天皇を政治利用してやろうと企んで「お言葉見直し」発言をしたわけではないだろう。だが、「象徴天皇を定めた憲法施行から60年以上が経っている。天皇を政治利用しようなんて、自分はもちろん鳩山内閣・民主党政権・国会議員の誰も思っていない(だろう)」という警戒心のなさが逆に危なっかしい。
「警戒心のなさこそが危険」という実例として、2003年に毎日新聞の記者がヨルダンで空港に不発弾を持ち込む事件があった。

毎日記者の手荷物爆発 ヨルダンの空港 : イラク情勢 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 【アンマン=奥西義和】ヨルダンの首都アンマンの南郊にある「クイーン・アリア国際空港」の手荷物検査所で、1日午後6時50分(日本時間2日午前零時50分)ごろ、手荷物の中にあった金属製物体が爆発し、ヨルダン人空港職員1人が死亡、3人が負傷した。うち1人は重体。ヨルダン警察当局によると、爆発物は毎日新聞東京本社写真部の五味宏基記者(36)の所持品で、警察は五味記者を拘束し、取り調べている。
(略)
 毎日新聞によると、同記者は取り調べに対して、爆発した物体について、イラク国内の道路脇で4月11日に見つけ、記念品として持ち歩いていたと供述した。使用済みで爆発しないと判断したという。日本政府に入った連絡によると、ヨルダン当局は、爆発物が新品だった点を指摘して、「五味記者は、爆発する危険性を十分予想できたはずだ」と追及しているという。


テロリストじゃあるまいし、自分の乗る飛行機に危険な不発弾を意図して持ち込むはずがない。この場合、記者はクラスター弾の撃ち殻だと思い込んで持ち歩いていたのである。空港に行く前に「あなたは危険な不発弾を飛行機に持ち込むのか!」と咎めたら、記者氏は「不発弾を持ち込んで何が悪い」と反論するだろうか。ありえない。それは確信犯の言い分だ。
悪意のない記者氏はいかにも心外そうな顔で「いや、これは不発弾じゃなくてただの撃ち殻です、何の危険もありません」と説明するだろう。うっかり事故、過失による悲劇はこうやって起きる。まことに危なっかしい。
「岡田質疑応答メモ」がデマだと断定できるのは、天皇が政治利用される危険を甘く見ている(そして、それこそが危険な)岡田氏を、正反対の確信犯として描いているからだ。一部だけ引用しよう。


「政治的中立とか…(…間…)
 政治的中立って憲法に書いてあるんですか?マニフェストに書いてあります?皇室の将来より民意ですよ。民意は民主党支持なんです。
 民意より皇室の維持が重要なんてあり得ない。民主主義です民意が"天皇は植木職人になるべき"というのならばそうなるんでしょ」


ああ、バカバカしい!
こんなファシストのパロディみたいなセリフしか思いつかなかったのだとしたらデマの作者は岡田氏のキャラクターを理解していない。はっきり言って頭が悪い。あるいは「わざと不自然なデマを作って引っかかる連中をバカにする」つもりだったのか。だとしたら性格が悪い。どちらにしても、こんなデマを作るくらいならもうちょっと面白い話を考えてほしいものだ。

首相指名「白紙投票」論の馬鹿らしさ

2009年09月04日 | 政治・外交
「貧すれば鈍す」などというけれど、惨敗した自民党は矜持とか常識的な判断力をどんどん失っているようだ。

首相指名「白票で統一」…自民内に広がる : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 16日の衆参両院での首相指名選挙に関し、自民党内では白票を投じるよう対応を統一すべきだとの意見が広がっている。

 3日の山崎派会合では武部勤・元幹事長らが「白票を投じる。『麻生』とは書けない」と、執行部を批判した。地方組織では福島県連が4日の全国幹事長会議で、白票投票に変更するよう申し入れる予定だ。首相指名選挙で造反が続出すれば党再建の出はながくじかれる。2日の谷垣禎一・元財務相、高村正彦・前外相らベテランの会合では「党内をまとめるには白票しかない」との意見が相次いだ。

 一方、石破農相は3日の津島派の会合後、記者団に「白票はあり得ない。首相指名は議員が国民から負託された仕事だ」と訴えた。「18日告示・28日投開票」の日程を首相指名選挙前に前倒しし、新総裁に投票できるようにすることを念頭に置いた発言と見られる。町村派会長の町村信孝・前官房長官も記者団に「できればその方が良い」と前倒し論に理解を示した。


自民執行部、首相指名は「白紙投票」で調整 - asahi.com(朝日新聞社)
 自民党執行部は、16日召集の特別国会の首相指名選挙で「白票」を投じる方向で党内調整に入った。総選挙惨敗の責任を取って党総裁辞任の意向を表明した麻生首相の名前を書くことに対する強い反発に配慮した。ただ、「白票」への抵抗感も根強く、党内調整に手間取る可能性もある。

(中略)

 首相周辺は4日朝、「白紙しかない。総理も白紙だろうが何だろうがまとまればいい(との考えだ)。白紙から出直すという意思表示でいいのではないか」と語った。首相と細田博之幹事長ら党幹部の調整でも、白紙投票もやむを得ないという方向になっているという。

バカじゃなかろうか、とか小学生じゃあるまいし、という感想しか出てこない。
ひたすら見苦しくて情けない。本当にいい加減にしてほしい。

そもそも、「首相指名選挙で麻生総裁の名を書きたくない」という感覚がわからない。
いや、「なんか嫌だな」「ちょっと恥ずかしい」と感じること自体はわからなくもないのだが、保守政党の国会議員とあろうものがそれを公言したり、あまつさえ党執行部が白紙投票で統一しようとするなんてあまりにも非常識で考えられないことだ。

8月30日の選挙であなたたち自民党の候補者は「麻生内閣の存続」を訴えて選挙戦を戦ったのではないのか。
それを信じた多くの有権者が投票した。獲得議席数で惨敗したとはいえ自民党の得票率は小選挙区で38・6%(2730万票)、比例区では26・7%だ。当選した議員が「麻生と書きたくない」とゴネるのは投票してくれた有権者への裏切りではないか。
さらに言えば、自民党は保守政党をもって自らを任じているはずではないのか。
保守的というのは、既成の秩序を尊重する、伝統的倫理を守るということだろう。「空気」やらその時の感情に流されて好き勝手を言うことではない。秩序の軽視とか伝統的倫理の変革をよしとするラジカルな個人主義の党であればともかく、保守政党の議員が子供のようなわがままを叫んで恥じないというのはまったくどうかしている。保守的な政治家が「日本人なら皇室や国旗を敬うのが当然」と宣うのであれば、自分の党の代表(自民党総裁)をちゃんと尊重して範を示すべきだ。

仮に麻生総裁が「選挙で惨敗したのは自分の責任ではない、自民党総裁は辞任しない」などと開き直っていれば「ふざけるな、お前なんかに投票できるかよ」と議員が反発するのもわかる。だが実際は潔く自分の責任を認め、辞任の意向を明らかにしている。「総裁選の日程が遅すぎる、特別国会前に新総裁を選ぶべきだ」という意見には一理あるが、首相指名選挙造反の脅しでゴネるのは筋違いである。
自民党所属議員は「お疲れ様でした」と気持よく見送るのが麻生総裁と麻生内閣を支持してくれた国民に対する礼儀だろう。雪斎先生は「自民党全体で麻生総裁の切腹を「介錯」するのだと思えば済むことである」とまことにうまい言い方をしている。首相指名選挙で麻生総裁に投票して負けるのは選挙で惨敗した総決算にふさわしいけれど、白票とか総裁以外の誰かに投票という姑息なやり方はただの恥さらしだ。

「愚民」とか「B層」とか(その2)

2009年09月01日 | 政治・外交
前の記事では「選挙で負けた側の支持者が勝った側に投票した有権者を「愚民」(「B層」)呼ばわりしてバカにするのは見苦しい」と書いた。
「負け惜しみはみっともない」という感覚はとりあえず同意いただけたとして、「愚民」呼ばわりするな、というのには異論が出るだろうと思う。「バカと言う人がバカなんです」という小学校の先生めいたお説教を聞かされたら「バカにバカと言って何が悪い」と反論したくなるのが当然だ。
その通り、何も悪くない。言われた相手(バカ)の気分が悪くなるだけだ。「バカの気分を悪くしてやると胸がスッとして気持いいなあ」と感じる人はいくらでも「敵方」に味方した有権者を愚民呼ばわりすればいい。どうぞご自由に。

…これだけでは何なのでもうちょっと書いてみよう。
私が問題にしたのは「選挙の敗者が勝者(有権者の多数)をバカにすること」である。一般論として、倫理の問題として「バカをバカにするな」というよりも、「それって政治的戦術として不合理だよね」という考えに近い。選挙は支持(共感)獲得ゲームなのだから、嫌われるようなことをすればますます勝てなくなる。
ものすごく乱暴に言ってしまうと、人間を動かしているのは感情と欲望である。理性は感情と欲望をかなえるための道具にすぎない。
感情の中でも「名誉の感覚」は個人の基本的なアイデンティティに関わる敏感な部分だ。ちょっと触れられただけでも痛みに飛び上がり、怒りの炎が燃え上がる。

殺人 - Wikipedia
瑣末な揉め事(口論)のケース

殺人事件の動機で最も多いケース。
目と目が合った、肩がぶつかった、足を踏みつけた、車で追い越しをされた、パッシングをされた、順番を無視した等、一歩引いて謝れば解決できるのにそれをせず、口論をするうちに熱くなって止められなくなり殺してしまうというもの。多くが傷害致死で起訴され、ナイフのような致命傷になる武器で攻撃をした時に殺人で立件される。

この動機はその場でのものの他、後に尾を引き計画的に殺されるという事件も発生している。

殺人はさすがに極端な例だが、他者の「名誉の感覚」をみだりに傷付けるとろくなことにならないのは間違いない。
「バカにされた」と感じた人がバカにしてきた相手に好感を持つだろうか。「よくぞ忠告してくれた」と感謝するだろうか。そんなことはほとんどありそうにない。むしろ反感と不信ばかりが募る。

 (こいつは嫌な奴だ)
 (私をバカにした、私の感情を平気で・面白がって傷付けた)
 (こいつは私に悪意を持っているのだろう)
 (こいつの言うことは私を陥れるための罠だ)

一度不信感を持たれると、どれほど「正しいこと」を言ってもなかなか聞いてもらえない。腹いせのために「批判」を無視して「忠告」と反対のことをわざとやったりする。

 「あっ、バカだなあ、今の交差点で右折だろ!グズグズしないでUターンして!」

 (ムカついて)「…こっちのほうが近道なんだよ、黙ってろ!運転してるのは俺だ!」

そのまま間違った道を突き進んだ二人は山の中に迷い込んでガス欠になったりする。「バカにバカと言った人」がそのせいで「バカ」といっしょにバカな目にあう。これではどちらがバカなのかわからない。


「バカと言う人がバカなんです」と「バカにバカと言って何が悪い」の対立は、善悪(倫理)の問題として論じるよりも損得の問題として、コミュニケーション技術の話として考えたほうが便利だ。
そのときの状況や相手との関係によっては「バカにバカと言う」ことが適切で簡単なこともあるだろう。
だが、むしろ相手の感情をこじらせて悪い結果になることが多そうだ。なにしろ相手は「バカ」なのだから、感情にとらわれて不合理な判断をする傾向が強い。それがわかっていながらわざと侮辱する人も決して賢いとは言えない。
「バカ」とどうやってコミュニケーションするかという永遠の大問題について考えるとき思い出す話がある。

戦争の始まりと終わりがよくわからない
中世ヨーロッパ人の暮らし

どちらも2ちゃんねる初期の名スレだ。
「戦争の始まりと終わりがよくわからない」のスレ主は空想的平和主義者であり、「中世ヨーロッパ人の暮らし」のスレ主はファンタジーと史実を混同している。どちらも無知な「バカ」だ。「バカ」に対して軍事板住民と世界史板住人はバカにしたり親切に教えたりしながら対話を重ねる。1000に達した頃にはスレ主は学ぶ喜びを知り、専門板住民は知識を分かち合う楽しさを思い出す。
「バカをバカにして山の中に迷い込む」ナビゲーターとは対照的だ。基本的にバカな私もどちらを見習うべきなのか悩むことはない。

「愚民」とか「B層」とか

2009年08月31日 | 政治・外交
台風が接近するなかで行われた選挙も無事に終了した。まずはめでたい。
永田町には一足先に巨大台風が上陸した。民主党308議席、自民党119議席。まさかの結果というべきかマスコミの予測どおりというべきか。

当選した候補者の方々、おめでとうございます。日本のためにがんばってください。
落選した広報車の方々、おつかれさまでした。
民主党と支持者のみなさん、悲願の政権交代がかなってさぞうれしいことでしょう。お祝い申し上げます。
自民党と支持者のみなさん、選挙の勝敗は政治家の倣い、いさぎよく敗北を認めて捲土重来をめざしましょう。「勝負は時の運」とも申しますが、運や「マスコミのせい」だけでは説明できない有権者の怒りや不満を肌で感じたことと思います。石破茂氏のように、自民党政治の何が間違っていたのか、何が足りなかったのか真面目に反省してください。

前の選挙で自分が何を言っていたのか、2005年9月のログを見てみたけれどとりあえず赤面するようなことは書いてなかったので安心した。
河村たかしとかタイゾー君とか麻生太郎とか、私が「面白いキャラクターだな、応援したいな」と思った政治家はどうも世間の受けが悪いようだ。日本人はあまりにも真面目すぎる、このままでは日本はつまらない国になってしまう… などと「社会が悪い(自分は賢い)」系の慨嘆をしてもしょうがないので、「自分の好みが偏っているか応援が足りなかったのだろう」と思って無理やり自分を納得させる。

明日は投票日 - 玄倉川の岸辺
選挙の結果がどうなるかは分からないが、有権者の多くが望んだものなのだから民主主義国における「正しい」選択なのであり、それが自分の意に沿わないものだとしても天命として受け入れるしかない。すでに投票前から世論調査を見て有権者をバカ呼ばわりしているコラムニストやら「有識者」がいるが、烏滸の沙汰である。
そんなことに費やすエネルギーがあれば自分たちの敗因を分析して次回選挙の勝利のために役立てればいいのに。
いや、そもそも彼らはまだ負けてさえいないわけだが。

4年前に書いたことだが今回もそのまま使えそうだ。
私は選挙で負けた側が有権者を馬鹿にしたり罵倒したりするのが嫌いで、なんとも卑怯で恥知らずな態度だと思っている。どうやら前回選挙ではその手の負け惜しみが多かったらしい。特にアンチ小泉・自民党の人たちが「B層」なる言葉を「愚民」の言い換えとして使う例が目立った。実にくだらないことである。
思い切りおおざっぱな言い方をすれば、有権者の半分は「平均以下」に決まっている。知能や収入だけでなく、背の高さとか体重とか容姿とか学歴とか読書量とか運動能力とかどんな指標を持ってきても、たいていの場合はおおむね正規分布に沿って「半分は平均以下」になると思っておけば間違いない。
政治にマニアックな興味を持っていろんなことを言いたがる人は「自分は世の中のことが(政治家より・一般の有権者より)よくわかっている、ひとかどのものであるぞ」という意識があるはずだ。そういう人が自分の意に沿わない投票行動をした人を見るとバカみたいに思えるのは仕方がない。なにしろ政敵の支持者の半分は「平均以下」なのだから、バカにする相手には事欠かない。「あいつらはバカだ(俺は利口だ)」と吹聴したくなるのもわからなくはない。
だがそれは「地球といいながら表面の半分以上は海じゃないか!」と嘆いてみせるのとかわらない。地球表面積の70%が海であるのも、「有権者の半分は平均以下」なのも、もともとそういうものなのである。「金持ちにも貧乏人にも一票、利口者にもバカにも一票」というのが普通選挙の本質だ。「愚民」やら「B層」を諸悪の根源と決め付けて嘲笑しても何も始まらない。

投票所という神殿(その2)

2009年08月27日 | 政治・外交
麻生総理の「金がないなら結婚しないほうがいい」発言について書こうかと思ったけどとりあえずやめた。なんだかキナ臭い匂いがする。本気で怒っている人がずいぶんいるらしい。地雷原注意、くわばらくわばら。
私は結婚したいとかできるとか思ったことがないので、怒っている人たちの気持がよくわからない。「麻生さんの真意はたぶんこうだから、そんなにカッカして叩くことないんじゃないの?」などとうかつに擁護すると自分も地雷を踏んでしまいそうだ。基本的な価値観(結婚や政治的態度)について逆鱗に触れると恐ろしいことになる。
逆鱗に触れた一例として、「無駄だから選挙に行かない」と書いたブログへの批判を見てみよう。

選挙には行かない - TAKUYAONLINE
はてなブックマーク - 選挙には行かない - TAKUYAONLINE

続・選挙には行かない - TAKUYAONLINE
はてなブックマーク - 続・選挙には行かない - TAKUYAONLINE

元の記事について特に感想はない。正直言ってちゃんと読む気もしない。「あなたの理屈には興味ないけど、要するに棄権するってことですね」と思うだけだ。ところが、はてなブックマークでは批判的なコメントが山のように付いた。冷静な忠告というより感情的な拒否、ほとんど罵倒とか人格否定に近いものもある。「棄権する」と言っただけでこんなに叩かれるなんてちょっぴり気の毒に感じてしまった。ただの棄権に四の五の理屈つけて正当化したからいけないのか、真面目に投票に行く人をバカにしたのが悪いのか。批判する人の気持もわからなくはないが、これではほとんど民主主義信仰、投票の崇拝だ。
以前にも投票行為の崇拝について「ちょっと変だなあ」と思い記事を書いたことがある。

投票所という神殿 - 玄倉川の岸辺
投票率向上を呼びかけるポスターなんかに「あなたの一票が日本を変える」といった言葉が書かれているが、20年以上も生きていれば自分の「一票」が大河に加わる一滴の雨粒程度の意味しか持たないことはいやでも思い知らされる。
結果の見えない接戦ならまだしも、どの党が勝つか、誰が当選するか初めから分かっている選挙でわざわざ投票に行く動機を見つけるのは難しい。
(中略)
現代社会における「投票」の意味とは、ローマの皇帝崇拝のように「社会への服従を形式によって示す」行為じゃないかと思う。
いつも真面目に投票に行く人はアナーキストでもテロリストでもないだろう(たぶん)。己が小さな砂粒に過ぎないことをわきまえ、直接の利益がないことを承知しつつ、少なからぬ時間と労力を使って投票所に足を運ぶのはまさに「議会制民主主義」の神殿への礼拝だ。
幸いなことに現代の日本では棄権したからといって闘技場でライオンと戦わされることはないが、ブログで「投票に行く気がない」と書くと生真面目な議会制民主主義信者から批判されることになる。


二年前の記事だけれど、今読み返してもぜんぜん意見が変わってなかった。進歩してないな俺。
言いたいことはだいたい書かれているので、あらためて繰り返す必要はないだろう。戦前・戦中の日本で御真影(天皇の肖像写真)に恭しく頭を下げたように、現代日本の善良な市民はまちがっても神聖なる選挙をバカにしてはいけないのである。私も善良なる市民の端くれだから、いや中身はともかくなるべくそう見てもらえるように装っているので、もちろん「選挙って大事だよね、私もあなたもみんな投票しよう!」と言います。

信仰告白を済ませた後で、損得の面から他人の棄権について考えてみよう。
2000年の衆院選挙で当時の森喜朗総理は「無党派層は寝ていてくれればいい」と発言して大いに顰蹙を買った。民主主義のチャンピオン(擁護者)たるべき総理大臣としてあるまじき言葉なのは間違いないが、自民党総裁として党利党略を考えれば合理的である。
自分以外の有権者が「仲間・味方」であれば戦場(投票所)に駆けつけて力を貸してほしいし、「敵方」なら戦意を持たず家でおとなしくしてくれたほうが好都合だ。

「棄権する」と言った誰か(仮にA氏とする)を叩くということは、その人が自分に味方する、少なくとも刃を突き刺してくるような敵ではない、と期待しているのだと思う。でもちょっとそれは虫が良すぎる。もちろん憲法で秘密投票が保障されているから、誰に(どの党に)投票しようとA氏の勝手であり縛ることはできない。とはいえ、今行われている選挙のように情勢が一方的であれば「統計的にみて有権者の過半数は民主党支持だから、棄権を表明したA氏も民主党に入れる確率が高い」と推定するのは合理的だ。私が民主党支持者なら「歴史的選挙なのに棄権するなんてとんでもない!棄権する奴は責任感のないクズだ!」と煽る。投票を呼びかけるのは立派なことだけれど、動機としては森本首相の「無党派層は寝ていてくれればいい」と同じである。
仮に私が某カルト政党が大嫌いであり、自分の選挙区でカルト党の候補者が当落線上にいるとしよう。そのとき私はカルト党の支持者集会を見て「この人たちが全員投票してほしい」と思うだろうか。はなはだ怪しい。むしろ「集団食中毒か何かで全員棄権してくれたらいいのに」などと良からぬことを考えそうだ。そんな状況でも自分の利害を二の次にして「誰もが投票してほしい」と願うのは生真面目な民主主義信者だけだろう。

今の感覚からすれば意外に思われるだろうが、棄権が無責任ではなく意識の高さ、政治的プロテストと賞賛されたころがあった。戦後長く続いた「自民党一党独裁」時代のことである。
自民党政権は保守的なサイレントマジョリティに支えられて磐石を誇っていた。プロ野球でジャイアンツがV9を飾り、実力でも人気でも他のチームを圧倒していたのと重なる。社会党を中心とした野党勢力は「アンチ自民」のインテリ層と労組などの組織票が頼りで、投票率が低ければ低いほど有利になる状況だった。まさに「無党派層は寝ていてくれればいい」である。
まともに力勝負をしたら勝ち目がないから、野党支持者がサイレントマジョリティ(自民党支持者)に対して「選挙なんてダサい、どうせ結果は見えてるんだから、日曜日にはもっと楽しいことしようぜ!」と呼びかけるのは理にかなっている。私もおぼろげに覚えているが、悪びれずに「投票なんて行きません」と言い切る若者がカッコよく見えた時代が確かにあった。

私は民主主義の支持者として有権者の政治意識や投票率が高まることを願う。
だが個人の棄権に対して「けしからん」と怒る気にはなれない。棄権を含めた個人の自由を尊重するのも大事だ。先人が苦労して勝ち取ってくれた貴重な権利を無駄にする愚か者を吊るし上げるよりも、自分の一票をどう使うか考えたほうが前向きである。みなさん選挙に行きましょう。

そのうち何とかなるだろう

2009年08月26日 | 政治・外交
決戦は日曜日、4年ぶりの総選挙。
でもあまり何か言いたい気分にならないのはなぜだろう。

「勝負が見えてる」
どの選挙予測を見ても民主党が圧勝するらしいし、無理やりこじつけて「潮目が変わった」と言いたがる変な人も見かけない。それぞれの選挙区では好勝負とか人間ドラマが見られるのだろうが、選挙情勢全体としてはそれほど面白い見ものではない。

「スター不在」
郵政選挙は小泉選挙でもあった。小泉が動けば政治が動き選挙が動いた。
政治家としての評価、人間としての好き嫌いは人それぞれだが、特異なスター性(カリスマ)を持っていたことは誰もが認めざるをえない。今回の選挙は麻生自民党と鳩山民主党の対決で、どちらも毛並みのいいお坊ちゃま、大富豪である。キャラクターとしては麻生氏が露悪的、鳩山氏が夢想的だけれど、私には違いより似ているところが目立つ。コントラストがはっきりしないから対決の構図も盛り上がらない。天衣無縫で峻厳冷酷な小泉とひたすらまじめな岡田という前回選挙のほうがシャアとアムロみたいで絵になった。イカンザキとか太陽神とかのネタキャラ(失礼)もいたし。

「浮かれるマスコミ」
私はアマノジャクなので、スポーツイベントでも芸能ネタでも政治問題でもマスコミが盛り上げようとすればするほど冷めてしまう。前の選挙のときは「小泉嫌い、なんとか足を引っ張りたいけど小泉ネタだと視聴率が取れる」というマスコミのツンデレ的ジレンマが面白かったけれど、今回は「歴史的選挙」に手放しで浮かれているようである(最近テレビの政治報道を見ないのでよく知らないが)。往来でベタベタするバカップルみたいで嫌だ。

Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~: 勝利に酔いしれるマスコミ
選挙というものがムードに左右されるのは仕方のないことで、古くはマドンナ旋風が吹き荒れたり、新党ブームに沸いたり、むしろムードに流されない選挙はありませんでした。小泉旋風もムードで、今回もムードです。

しかし特にムード性の強い前回と今回の選挙におけるマスコミの役割は180度違います。4年前の郵政選挙では、マスコミは意志を持たない拡声器にすぎませんでした。しかし今回はマスコミの意志こそすべてであり、個々の政治家や政党など、その駒にすぎません。

今回の選挙の勝者は民主党ではありません。マスコミです。

昨日紹介した朝日新聞の天声人語は、「久しぶりに、いや初めて『歴史』に関与している感慨を覚える」と書いていましたが、恐らくこれは誇張ではなく本音です。今マスコミは、高揚感に浸っているのです。4年前の雪辱を果たし、自らのペンとカメラで民心を操り、うだつの上がらない政党に大勝利をもたらした自らの力に酔いしれているのです。

「自民党の劣化」
私は前から麻生ファンなので心情的には応援したいのだけれど、どうも「なんか違う」と感じることが多くてしらけてしまう。具体的には民主党へのネガティブキャンペーンとか右傾化(真正保守念仏)だ。国旗切り貼り問題なんてそんなにこだわるようなネタじゃなかろうに(話のマクラに使うだけならいいけど)。

なんかつまんねーなー盛り上がらないなーとぶつくさ言ってたら、生粋さんが私の思っていることをすっかり書いてくださった。

生粋の気が向いたら書く日記
 来週の選挙
 酷いアジビラ
 国民は愚民か否か

民主党はあてにならないし自民党は劣化一直線。4年ぶりの選挙なのに期待より不安のほうが強く、季節は夏なのになぜか冷たい風が吹く。本当にこれでいいのだろうか。いや、ダメだバカだと言ってもしょうがないので、とにかく今の民意とか政治とかはこういうものだと認めたうえでなんとかかんとかやっていくしかない。「ゼニのないやつぁ俺んとこへ来い 俺もないけど心配すんな みろよ青い空白い雲 そのうちなんとかなるだろう」


YouTube - だまって俺について来い ハナ肇とクレイジーキャッツ [STEREO]

「無邪気」な日の丸切り貼り

2009年08月18日 | 政治・外交
民主党が国旗を切り貼りして党旗を作ったそうだ。

日の丸党旗:民主新人の後援会が謝罪 党本部は厳重注意 - 毎日jp(毎日新聞)
 鹿児島県の民主党集会で日の丸を加工した「党旗」が掲げられた問題で、民主新人の後援会が18日、「誠に不適切だった」との謝罪文を発表した。候補には党本部から厳重注意があったという。

 この日、同県霧島市内であった出発式で新人候補は「第一声」の冒頭「事務所の不手際で支持者、関係者に多大な迷惑をかけた。岡田(克也)幹事長からも口頭で厳重注意があり、今後このようなことがないよう細心の注意を払う」と謝罪した。

 文書では、8日に同市の集会で「党旗」が掲げられた経緯を説明。支持者が日の丸を裁断し縫合して持参したものとし、「国旗の尊厳をおとしめる意図は全くなかった」と釈明している。


腹が立つというより情けなくなる。
特に疑う理由はないから、「国旗の尊厳をおとしめる意図は全くなかった」という民主党の説明はそのまま受け入れよう。だが、「意図は全くなかった」という無自覚にかえってヤバさを感じてしまうのだ。
ナショナリズムというのは国民をまとめるのに役立つけれど、同時に物の見方が狭くなったり外国嫌いに結びつきやすい危険性を秘めている。政治的・社会的に取り扱い注意の劇物だ。だが、無邪気に日の丸を切り貼りした民主党支持者も、それが壇上に大きく掲げられることに疑いを持たなかった候補者も、どちらもナショナリズムのシンボルを取り扱う注意深さに欠けていた。大まかに言って有権者の半分は平均より「右寄り」なのだ。切り貼りされた日の丸は右側の人たちを無用に怒らせ、民主党への信頼を損なうだけである。

1854年「日の丸」が日本国共通の船舶旗(日本惣船印)に選ばれたのは島津斉彬の進言によるものだそうだ。

日本の国旗 - Wikipedia
島津斉彬が進言した理由は、俗に鹿児島城内から見た桜島から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。

これは私の想像だが、鹿児島には「日の丸」に郷土の誇りを重ねて思い入れの深い人も多いのではないか。「日の丸切り貼り」は鹿児島の歴史や県民感情の点から見ても愚かなことだった。

とはいえ、新人候補の地方集会でのミスを民主党全体の問題のようにあげつらうのも大げさだ。鳩山代表は謝罪し岡田幹事長も厳重注意しているのだから、右のほうの人たちや自民党(支持者)は深追いしないほうがいい。あまりこだわると「戦前・戦中の御真影じゃあるまいし」と冷たい目で見られることになる。たかがシンボルされどシンボル。たしかに国旗の切り貼りはよろしくないが、モノをカミとして祀り上げるのも感心しない。

勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏 (その2)

2009年08月03日 | 政治・外交
前の記事で「政治的な意味においてポスター問題は城内氏の自滅と決まった」「あとはゴシップとしての興味だけ」という意味のことを書いた。だが、2ちゃんねるなどでは多くの人が新事実や戦い方によっては城内氏が巻き返す可能性があると思っているようだ。
甘い、甘すぎる。尼さんが甘酒飲みながら川越銘菓あまたまを食べるより甘い(よくわからないたとえ)。

眞鍋さんが公式ブログで「ポスターの存在に困惑している、特定の候補を応援するつもりはない」と明らかにした時点で城内氏が政治的利益を得る見込みはなくなった。あとはどれだけ素早く、いかに少ない損失で撤退できるかの問題だ。ところが城内氏は「無断使用した事実はありません」と突っ張った。キツネに化かされたとしか思えないほど無理無茶無謀だ。「ご飯にかけるのはカレーですか、ウ●コですか」と聞かれて「●ンコ!」と答えるくらいありえない。眞鍋さん本人がNO!と明言した「応援ポスター」を使い続けても恥さらしになるだけなのに。

無理やり好意的に考えれば、城内氏は経緯が全然わかってなかったのだろう。
最初の釈明記事で「眞鍋かをり氏掲載のポスターに関し、あたかも無断で使用したかのような内容の書き込みが当ブログのコメント欄などでなされております」と書くくらいだから、単なる悪い噂だと勘違いしていたのかもしれない。根も葉もない噂なら「イチャモン扱い」という対応も理解できる。
だが実際はオフィシャルブログで眞鍋さん自身が「更新前に事務所にどこまで把握しているのかを聞いて その上で自分がそういった声明を出して良いか確認」した上での発言である。仮に城内氏が状況を理解していなかったのだとしても、それは情報収集力ゼロという意味となりまったく擁護できない。「驚くべき戦略眼のなさ」あるいは「情報収集力ゼロ」どちらにしても政治家としての城内氏の価値は激減し、評判ボロボロになり、恥をさらし、有権者は呆れ、ネットで笑いものにされるのに充分だ。

「結局はポスターを撤去したんだからいいじゃないか」という支持者もいるが、甘い、甘すぎる。尼さんが甘酒(略
織田信長の金ヶ崎崩れのように鮮やかな撤退戦をすれば負け戦でも「さすが」と感心される。だが意地を張って一日を無駄にした損失はどうがんばっても取り返せない。城内氏自身のことだけならはっきり言ってどうでもいいが、眞鍋さんはレギュラー番組の出演を自粛させられる実害を被った。城内ブログのコメント欄や2ちゃんねるなどでは「ポスターを剥がすべきだ」「いや必要ない」「謝ったほうがいい」「このまま突っ張るべきだ」という議論が燃え上がり、騒ぎはどんどん大きくなる。中傷まがいの、あるいは一線を越えた批判が飛び交う。関係者の誰も得をしない騒ぎである。その責任の全ては城内氏の愚かな初期対応にある。「きまぐれな日々」kojitaken氏が厳しく批判している通りだ。

 きまぐれな日々 城内実の「国籍法」を巡る酷い発言と「ポスター騒動」の連関



今さらあがいても無駄なのだが、それが理解できない一部の(?)狂信的な城内支持者は、眞鍋さん側の落ち度を鵜の目鷹の目で探し回って槍玉にあげたり、あるいは陰謀論を言い広めたりして城内氏を支援しているつもりだ。完全に逆効果である。
仮に眞鍋さんと彼女の事務所に大きな落ち度があったとしても、いやそれどころか全責任があるとしても、城内氏が「ダメなタレントの人気に頼ろうとしたダメな候補者」と見られるばかりだ。自分で掘って自分でハマった泥沼に眞鍋さんを引きずり込むだけである。タレントとの無理心中が「信念を貫く男」を名乗る政治家にふさわしいのか。まさかそんなことはあるまい。
眞鍋さんを泥沼に引きずりこんでも城内氏が脱出するための踏み台にはならない。そのことに気付いた狂信的支持者は陰謀論に走る。泥沼は闇の力が用意した罠であり、城内氏は甘い言葉で誘われたか、あるいは無理やり突き落とされたのだと。…な、なんだってー(AA略)。
城内氏が今の窮地に陥るのに決定的なミスは3つあった。

 1 (友人でも支持者でもない)眞鍋さんを応援ポスターに起用する決定
 2 (自分の後援者である)オフィスプロペラの木村社長に交渉を丸投げし、眞鍋さんへのあいさつもしない
 3 (眞鍋さんに拒絶された)ポスターの撤去を徒に引き伸ばす

三つとも城内氏が自分自身の意志で決めたはずだ。私に言わせてもらば、三つともまったく馬鹿げた選択である。政治家として、44歳の男として、常識があれば決して選ばないやり方だと断言できる。まともな政治家を誘導してこんなことをやらせる方法など思いつかない。たぶん城内氏はよほど人並み外れているか(悪い意味で)、あるいは薬物か毒電波で闇の勢力に洗脳されているのだろう。どちらにしても議員になるにはあまりにも危なっかしい人物である。苦しまぎれの陰謀論は極端にハイリスクローリターン(ノーリターン・脳たりん?)であり、すでに充分傷ついた城内氏の評判に止めを刺すだけだ。私としてはべつに構わないけれど。
くだらない陰謀論を唱えるよりは、「選挙準備でストレスがたまり、つい判断ミスしてしまった」とか言って同情を引いたほうがマシだろう。優しい支援者がユンケルでも差し入れてくれるかもしれない。ファイト!いっぱーつ!(←それはリポビタン)


ポスター問題はもうどうにもならないとすれば、城内氏はどうすればいいか。私がアドバイスを求められたら「今は神妙な顔しておとなしくするだけ」「何かするなら自分で決めず、人生経験豊かな人に振り付けしてもらうべき」と忠告する。
城内氏が自称「信念を貫く男」でなくふつうの人だったら「眞鍋さんにちゃんと謝るべきだ」と言うだろう。だが今回のていたらくや過去の行動を見るかぎり、城内氏が世間で好感をもって受け入れられる謝罪ができる人とは思えないのだ。

 凪論:城内実氏のブログでの暴走はなぜ起こったか

慇懃無礼な、あるいは開き直りのような、おのれ可愛さが露骨に表れた謝罪をしても無意味だ。城内氏が評判を落とすだけなら結構だが、狂信的支持者が「城内先生が謝ってやったんだからありがたく思え」と眞鍋さんに強要するのは目に見えている。被害者をさらに傷付けるような謝罪は自己満足でしかない。それでは困る。
…と思っていたら、時すでに遅し! 城内氏が「謝罪」してしまった。

 眞鍋かをりポスター問題で城内氏が謝罪 「無断使用していない」 - MSN産経ニュース
 衆院選に静岡7区から無所属で出馬予定の城内実氏(44)の後援会ポスターに、タレントの眞鍋かをりさんの写真が使用された問題で、城内氏自身が3日、「眞鍋さん自身、眞鍋さんの事務所、ファンの方々にご迷惑をおかけしたことをおわびいたします」と謝罪した。

 衆院選に向けた共同インタビューの冒頭、城内氏自身が「私からお話ししたいことがあります」と切り出した。

 写真使用について城内氏側は「都内の会社を通じて了解をいただいている」としているが、眞鍋さんは自身のブログで「なぜその写真がポスターになったのか困惑している」と、自身が知らぬところで写真が使われたと抗議していた。

 城内氏はすでにポスターの大半を撤去済みとした上で、「(写真使用について)仲介した会社と眞鍋さんの事務所との間で十分に了解が得られていなかったようだ。私たちはご了解いただいたと思っており、無断使用していないと思っている」と説明。「おわびは申し上げるが、趣旨が伝わっていなかったとすれば非常に残念です」と述べた。


私たちはご了解いただいたと思っており、無断使用していないと思っている
「おわびは申し上げる、趣旨が伝わっていなかったとすれば非常に残念です」

………。
ドカドカドカドカ  ガラッ



海原雄山先生もお怒りのようです。嗚呼。

気の毒な眞鍋さん、愚かな城内氏

2009年07月30日 | 政治・外交
政治の、というより一人の愚かな政治家のせいでとばっちりを受けた眞鍋かをりさんがかわいそうだ。

無許可で?「城内実ポスター」に…眞鍋かをり猛抗議 ブログで全面否定「特定の政治家の応援はしてない」
 タレントの眞鍋かをり(28)が、次期衆院選に静岡7区から無所属で立候補を予定している城内実氏(44)の後援会ポスターに登場したことに大困惑している。眞鍋はブログで城内氏や政治との関係を全面否定しているが、これに対し、城内氏も30日朝のブログで、「掲載許可をいただいた」と猛反論。選挙戦の本番前に、思わぬ場外バトルだ。

 問題のポスターは『国家国民のために』のスローガンを挟んで、上半分に城内氏の顔写真の横に『信念を貫く』の文字。下半分には眞鍋の顔写真の横に『あたたかな政治を!』と書かれている。城内氏の後援会ポスターとして、静岡7区(浜松市北西部ほか)の関係先や事務所に掲出されていた。


 ところが、眞鍋は知らされていなかったようで29日、自身のブログで城内氏との関係を全面否定した。

 「候補者の方と私が一緒に写っている写真が使われていますが、その方とは全く関係がございません。1年ほど前に一度だけ対談でお会いしてそのときに写真を撮りましたが、なぜその写真がポスターになってしまっているのかわからず困惑しています。私は特定の政党や政治家の応援はしていません」

 眞鍋は、さらに“元祖ブログ女王”らしく、コメント欄の反響に応えて文面を「補足」した。

 「事務所にどこまで把握しているのかを聞いてその上で自分がそういった声明を出して良いか確認をしています」と、所属事務所も了解の上での“抗議”であることを強調している。

 ただ、ポスターが実際に掲出されていたことを重くみて、眞鍋は30日朝、レギュラー出演のフジテレビ系情報番組「とくダネ!」の出演を見合わせた。

 これに対し、城内氏は同日朝、自身のブログで、「当方は、ポスター作成に際し、都内在住の知人のご好意で、眞鍋かをり氏所属事務所より、ご本人の写真をお借りして、掲載許可をいただいた上でポスターを作成いたしました」と、無断使用ではないことを主張。また、同ブログでは昨年、眞鍋と対談した際の動画もアップされていた。

眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログ: ポスター掲載の件
☆お知らせ☆ ポスター掲載写真の件について « 城内実のとことん信念ブログ   (魚拓)

眞鍋さんがはっきりと「政治に関して特定の人物を応援することはありえない」と言明しているのだから、すでにポスターの価値はゼロである。
政治家の応援じゃなくて企業のCMであっても、タレントが「日立のテレビを買ってほしいとは思いません」とか「ニキビ薬のCMなんて出たくなかった、ギャラ安すぎ」などと公言したらたちまち降ろされる。良いイメージを売り込むのがCMタレントの仕事なのだから当たり前だ(毒舌を売り物にしているタレントならある程度許されるかもしれないが、眞鍋かをりはそういうタイプではない)。

ところがそれがわからない人がいる。城内実氏と一部の(?)支持者たちである。
本人が「応援していない、写真を使うのはやめてほしい」と宣言した以上、城内氏がポスターを使い続けることは「嫌がっている眞鍋さんの顔と名前を勝手に利用している」と思われるだけだ。セルフガソリンスタンドならぬセルフネガティブキャンペーンにしかならない。いわゆる自爆である。それなのになぜ城内氏陣営はポスターを回収しないのか。
どうやら「無断使用」と見られたことにこだわっているようだが、そんなことはこのさい些事である。仮に城内氏の主張するように許可を得て写真を使ったのだとしても(私は信じてないが)、「タレント本人が『応援していない』と公言した時点でポスターの価値はゼロ、長引かせても悪いイメージが広がるだけ」というとっさの判断ができないのは政治家として致命的だ。
本当にまともな契約をして写真を使ったのなら、選挙の後で眞鍋さんと所属事務所に損害賠償請求すればいい。一ヵ月後に投票日というこの時期に、チンケなプライドにこだわって自ら悪いイメージを拡大する城内氏の気が知れない。

ここまで書いたことは、城内氏に最大限好意的な見方をしたうえでの批判である。
眞鍋さんの言うように写真を無断使用したのであればまさに論外だ。単に愚かなだけでなく恥知らずと呼ぶほかない。
私は城内氏を応援するつもりはないけれど、というかはっきり言って落選してほしいと思っているが、レギュラー番組への出演を自粛させられた眞鍋かをりが気の毒なので一日も早くこのトラブルが解決することを願う。その第一歩は城内氏が直ちにポスターを回収することだ。