黒古一夫BLOG

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歴史から学ぼう(9)――教育現場に「教育勅語」、安倍首相=日本会議の野望がいよいよ……

2017-04-04 09:29:44 | 仕事
 昨日の菅官房長官の「教育勅語」を教材として使ってもいいという閣議決定を伝える記者会見を聞いていて、本気で思ったのは、「こいつら馬鹿か、本当に度し難い連中だ」、というものであり、このような人物が官房長官に居座っている安倍内閣に未だ「50%」の支持を与えている国民(僕ら)への「やり場のない怒り」と「侮蔑」である。
 菅「極右」「安倍の腰巾着」官房長官は、「教育勅語」の中に書かれている「親を大切に」とか「夫婦仲良く」とかの「常識的道徳観」が書かれたものだから、今後は「教科書」で教えることになった、つまり国語や算数などの教科と同じように「評点をつける」道徳教育の教材として使うことができると力説し>、「教育勅語」の最大目的である「一旦緩急あれば(戦争などの一大事が起これば)、国家・天皇のために命を投げ出さなければならない」というについては一言も触れない点で、「嘘(虚言)や「強弁=軽口」で事態をやり過ごしてきた安倍首相や稲田防衛相と「瓜二つ」で、何とも許し難い。
 更に言えば、「教育勅語」が明治23年に発布されてからアジア太平洋戦争が終結するまで、軍国主義教育の中心を担ってきた歴史=事実をあたかも「無きが如き」とする、その歴史修正主義(改ざん主義)も、断固断罪されなければならない。
 このような菅官房長官(安倍内閣)の「教育勅語」への対応を見ていると、安倍首相らの意を体現していると思われた森友学園籠池前理事長の爆弾発言(首相夫人安倍昭恵の森元学園への寄り添い・共謀)に「裏切られた」安倍首相=日本会議が、森友学園問題を逆手にとって、「数を頼り」に一挙に年来の主張である「戦前回帰」――天皇中心の国家主義の実現、「教育勅語」はまさにその国家主義を体現するものである――を実現しようとしたことの結果なのではないか、と思われる。
 また、このことは、前にも書いたことがあるが、安倍首相が首相就任当初から唱えている「戦後レジュームからの脱却」の意味が、ここに来て明らかになってきたということでもあった。安倍首相=日本会議の言う「戦後レジュームからの脱却」は、単なる戦後の価値である「平和と民主主義」、つまり「日本国憲法」の思想を否定するだけでなく、「天皇主権」の「戦前回帰」を目指すものだったのである。
 そんな安倍自公内閣に、戦後の「平和と民主主義」に様々な恩恵を受けている国民が「50%」の支持率を与える、僕でなくとも「馬鹿か!」と言いたくなるのではないだろうか
 目先の利益より、自分の子どもや孫。ひ孫が「戦争」に狩り出されるような――「共謀罪」を成立させた後に待っているのは、中国や北朝鮮の「脅威」を前面に押し出した「徴兵制」の実施が必須となる――今日的政治状況に対して、僕らはもっともっと敏感にならなければならないのではないか、昨日のすが官房長官の記者会見を見ていて、つくづくそのように思った。