黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

新規まき直し、元気です(1)――ご無沙汰していました。

2016-08-12 15:58:55 | 仕事
 前回の投稿からちょうど1ヶ月。まずは、この間の報告をします。
 参議院選挙、直後の東京都知事選挙において、ある意味「予想通り」野党統一候補が破れたわけだが、あれほど多くの人が「現状維持=現政権支持」が将来に禍根を遺すと言っていたにもかかわらず、お決まりの「争点隠し」――本音は憲法第9条第2項の「戦力保持」の条項を変えて「国防軍」の創設を、というわけだが、政権与党が参院選で前面に出していたのは「アベノミクスでふかし、成長経済を実現する、そのためには何でもする、ということで、28兆円の大型補正予算を前倒しで組み、貧困層には一人当たり13000円を給付する、などといった「馬の鼻面にニンジンをぶら下げる」ような、格差社会の進展で呻吟する庶民(国民)を体よく「騙す」ようなものであった。
 東京都知事選になると、さらに状況は悪化した様相を呈し、「女性」であることを最大の武器にして、「権力欲」剥き出しで「都政改革」などを謳い文句にの「初の女性都知事」の誕生を実現させたわけだが、当選して知事に就任した途端、自分が敵対していたのは「自民党党東京都連」であって自分が所属していた自民党出はないとばかりに安倍首相に会いに行き、選挙中は膨張するばかりの東京オリンピックの予算にメスを入れると言っておきながら、その膨張するオリンピック予算を牛耳っている森組織委員長とにこやかに握手し、お互い理解を深めたと言って、どうやら膨張し続ける予算にメスを入れるという話しも「反古」になりそうな情勢、どうなっているのか。東京都民(選挙民)は騙されたのではないか、と思わざるを得ない。
 傲慢に(偉そうに)聞こえるかも知れないが、そんな未来を見据えた「理念」も「モラル」もない政権与党の「甘い話」をちらつかせた手練手管にに易々と踊らされた国民やと民意に、半ば「絶望」し、半ば「怒り」ながら、そのように国民や都民が「愚民化」してしまった責任の一端は、「権力の暴走」を止めることができない僕ら「物書き・批評家・研究者(学者)・ジャーナリスト」にもあるのではないか、とこの間ずっと考え続けていた
 別な言い方をすれば、この1ヶ月間、頼まれて指導と審査の一端を担うことになっていた二つの大学の博士論文の「下書き」(両方とも800枚超)を、コメントをツケながら読むという作業を行い、それが終わった途端、9月末に刊行が決まった拙著『立松和平の文学―生きることは書くこと』(約810枚 アーツアンドクラフツ刊)のゲラが出るということもあって、余計に自分の文学観や世界観(社会観)を点検せざるを得ないことにもなった、ということである。
 ゲラは昨日ようやく見終わり、版元に送付し、「あとがき」も書き終わり、これであとは装幀やら価格やら販売戦略などを版元と打ち合わせするばかりになった。
 ところで、拙著の刊行が決まる過程で聞いたことなのだが、何が原因かが突き止められないまま(僕は、スマホの急速な普及やゲームの流行が原因だと思っているが)、出版不況、特に「純文学」系の作家論や評論など売り上げが大幅に下落し、そのうち「純文学」系の小説など出版されなくなる(読めなくなる)のではないか、日本の文化構造(出版文化を中心とした)も変わってこざるを得ないのではないか、と真剣に心ある人たちは議論しているという。
 これは、「歴史」や「現実」から学ばず、そのため原発再稼働を推し進めたり、アジア太平洋戦争の「敗北」から獲得した「平和憲法」を変えようとしたりしている政権与党の在り方と、どこかで通底しているのではないか。さらに言えば、そのような政権与党に対して、「目の前にぶら下がったニンジン」に騙されて支持を与えている国民にも、歴史や現実から学ばない姿勢は通底しているのではないか、と思っている。
 そんなことを考えつつ、今日から「新規まき直し」です。
 今後ともよろしく。