黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

危惧が現実に。

2010-11-29 14:36:01 | 近況
 先に、「戦争」を弄んでいるとしか思えない北朝鮮の延秤島への砲撃(攻撃)、及び朝鮮半島を巡る「日米韓」の関係やそれに対する中国の在り方、つまり東アジアにおいては「新冷戦構造」と呼ぶべき状況になっているというようなことについて僕の考えを述べた際に、今度の出来事が「ネオ・ファシズム=ネオ・ナショナリズム」を勢いづかせるのではないか、そしてまたそれは沖縄県知事選挙に微妙な影響を与えるのではないか、と危惧を述べておいたが、沖縄県知事選挙の結果を伝える今朝のテレビ・ニュース(フジテレビ)を見ていたら、危惧していたことが現実となってしまったことを知らされた。
 それに拠れば、北朝鮮の延秤島屁の攻撃が起こる前の調査では、100人中72人の沖縄県民が普天間基地の撤去に賛成していたが、北朝鮮の挑発行為が起こった後の調査では、72人中18人(25パーセント)の人が、「こんな東アジアの状況では、米軍が沖縄何駐留するのも仕方がないのではないか」と思うようになったというのである。この25パーセントの人が全て選挙以前には普天間基地の辺野古沖移設に賛成していた(その後、県内移設に反対するようになった)仲井真候補に投票したとは思わないが、この間ずっと普天間基地の県内・県外移設に反対してきた、つまり沖縄の米軍基地負担に反対し続けてきた伊波候補に、北朝鮮の韓国への攻撃が「不利」に働いたことは、確かだったのではないか。仲井真候補33万5700票余り、伊波候補29万7000票余り、その差は約3万8700票ほど、もし北朝鮮の挑発行動がなかったら伊波候補が沖縄県知事になっていたかも知れない、と思ったのは、僕だけか。
 伊波候補を応援する沖縄の友人たちの「無念」を思うと、何ともやりきれないが、それでも「沖縄振興策」の続行を政府に願う仲井真知事が「普天間基地の県内移設はない」としてきた「公約」をひっくり返さないことを願うばかりである。
 しかし、今度の沖縄知事選挙の結果でもう一つ見えてきたことは、もちろん人は霞を食っては生きていけないのだが、「米軍基地撤去」に象徴されるような「理念=理想」よりは、沖縄振興策という「カネ=経済」の方に重きを置く人が依然としてこの国の社会では多数を占めている、という現実である。
 そこで考えたのは、このような現実が未だに優先している社会にあって、果たして「文学」はどのような意味を付与されているのか、ということである。言葉を換えれば、一人の批評家としてこのような現実にいかにして「NO=異議」を申し立て続けることができるか、またそのような「異議申し立て」を行っている文学者(作品)をどのように押し出していけるか、いよいよ正念場にきているのではないか、と思わざるを得なかったということである。
 来年の早い時期に、村上春樹の『1Q84』を批判した130枚あまりの文章とこれまで書いてきた「辻井喬の文学」や「立松和平の文学」「小檜山博論」などを集めた「現代作家論」が上梓されることになっているが、それらは果たしてこの現実に「異議申し立てる」批評になっているか、判断は読者の皆さんがしてくださるのだろうが、僕自身も上梓を楽しみにしている。