まろの公園ライフ

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映画『野火』を観る

2016年08月15日 | 日記

今日は「終戦の日」である。
だからという訳ではないのだが
塚本晋也監督の映画「野火」をDVDで観た。

大岡昇平の原作は何度か読んだ。
1959年に映画化された市川崑の「野火」も観た。
そこに何が書かれているか
原作者や監督が何を描こうとしたのかは
十分に理解しているつもりなので
戦後70年を節目に映画化されたこのリメイクを
わざわざ観ようとは思わなかった。
いや、正直言うと、今さら観たくない映画だった。



日本軍の敗色が濃厚となった第二次世界大戦末期
フィリピンのレイテ島が舞台である。
肺病を患った一等兵の田村は部隊から離脱し
野戦病院送りとなったが、食料不足を理由に入院を拒絶される。
仕方なく部隊に戻るがここでも入隊を拒否。
あてどもなくフィリピンのジャングルをさ迷うことになる。
やがてかつての兵士仲間と出会うのだが・・・

空腹と孤独と戦いながら
灼熱のジャングルをさ迷い歩く兵士たち。
戦場という異常な「極限状況」に追い込まれた男たちが
何を考え、どう行動し、何に絶望するのか・・・
カメラは彼らの「心象風景」を冷酷に執拗に追いかける。
この映画ではカニバリズム(人肉嗜食)が
重いテーマになっている。
戦争中は実際に各地の戦場であった行為ではあるが
その行為のおぞましさと罪悪感から、口を開く人は少なく
闇に葬られたまま戦後70年が流れた。

主人公の田村一等兵を演じたのは塚本監督自身である。
脚本から演出・編集だけでなく
主演までつとめるとは凄まじいまでの映画への執念である。
映画化を思い立ったのは20年前だそうだが
このご時世、そんな暗く重いテーマの映画に金を出す人はなく
資金難で何度となく挫折したと言う。
戦争の痛みを知る人がドンドン周囲からいなくなり
証言者にすら事欠く危機的状況が
映画化への執念を支えて来たと語っている。

これはいわゆる「戦争映画」ではない。
戦争の悲惨さや残酷さではなく
兵士たちが戦場で何を思い、なにを感じていたか
その心象を丁寧に救い上げている。
それが市川崑の「野火」とは根本的に違うのである。
その心象が自分の感性と重なるとき
今までになかった「戦争」の真実が伝わって来る。