まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

メメント・モリ

2016年08月03日 | 日記

図書館を出て空を見上げると
頭の上にデッカイ入道雲が湧き立っていた。
まるで爆発のようなとてつもないエネルギーを感じる雲だ。

最近、雲ばかり見上げている。
雲の動きはまさに千変万化、見ていて飽きることがない。
安っぽいドラマを見ているよりはるかに面白く
真夏の空は実にドラマチックだ。
思い切り熱い国に行ってみたいなあ、などと思う。

返却期限が過ぎた本を返しに来た。
写真家・藤原新也の「メメント・モリ」だ。
メメント・モリとはラテン語で「死を想え」という意味で
中世末期、ヨーロッパでよく使われた言葉だと言う。
インド放浪時代、藤原が撮ったこの写真集には
夥しい「死」があふれている。

ある意味では衝撃的な写真である。
しかし、ガンジス川ではこうした光景がごく日常である。

  ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。

写真につけられたキャプションは
人間などしょせんその程度の存在でしかないことを語る。
死ねば単なる「モノ」でしかないと語る。
いや、だからこそ人間は自由なのだと逆説的に訴える。



ガンジスのほとりでは死体の野焼きが行われる。
これもごく日常の光景である。

  ニンゲンの体の大部分を占める水は
  水蒸気となって空に立ち昇る。
  それは、雨の一滴となって誰かの肩に降りかかるかもしれない。
  何パーセントかの脂肪は土にしたたり
  焼け落ちた炭素は土に栄養を与えてマリーゴールドの花を咲かせ
  カリフラワーを育てるかも知れない。

年に一度はこの写真と一文が見たくて
ボロボロになった「メメント・モリ」を借りて来る。
見るたびにちょっと勇気がわく。
夏空の入道雲のようにはいかないけれど
ムクムクと元気が出て来る。

残念ながらインドには行ったことがない。
行くチャンスは何度かあったけれど
結局、ふんぎりがつかないまま、時が流れてしまった。
この年では精神的にも体力的にも無理だろうか。
でも、行ってみたいと思う。
ちゃんと真正面から「死」を見つめるために・・・