雪の下

 定年退職した年寄りが日ごろ感じることや、ドライブ、山歩きなどで撮る風景、草花の写真を記録します。
 気の向くままに。

許せない行為

2006年04月29日 | Weblog
 1車線であるが、交差点の200mほど手前から2車線になっている道路がある。左側は直進車線、右側は右折車線で車線変更禁止になっている。私は直進側の車線を走っていた。
いつもそこは直進方向が渋滞していて、右折車線は空いている。時々空いた車線で前へ行き、途中で割り込む不心得者がいる。今日もいるのではないかと思っていた。
案の定、後ろからすいすい走ってきて私の前でウインカーも出さず、割り込んできた車がある。思わず、クラクションを鳴らしていた。家内は急ぐことがあるのだろうから許してあげたらと言う。白のクラウン、高級車である。渋滞の列におとなしく並んでいる正直者の犠牲の下に、自分だけいい目をするというその行為が許せない。私の気持ちは収まらなかった。少しくらい、非を感じろとばかりに小さなスバルR2で後ろからピタッとくっつき、にらみつけていた。その車は何事もなかったように、行ってしまったが、おそらくいつもこのように要領よく割り込みを繰り返しているのであろう。車だけでなく、人生も人の気持ちを考えない自分本位の生き方をしているのだろう。立派な車に乗っているが、心は腐っていると見た。
 もう3年も前のことになるが、この場所でまったく同じ光景に出会ったことがある。近くにパトカーがいたのであるが、そのパトカーはまったく注意をしなかったのである。私は窓を閉めたままだったのでパトカーに届くはずがないのを承知で、「この役立たず警察が」と大声で罵っていた。いつもならこんなことは言わないのだが、当時、地元の警察署に対して腹立たしい思いをした直後という伏線があったからである。
その腹立たしいことを忘れないようにしておこうと、当時作文にして保管しておいた。以下それを記す。


 4月13日、日曜日の午後3時頃、「お尋ねいたしますが、辻佳子さんという人をご存知ですか。警察官か交通指導員をされていた人で、佳という字はニン偏に土2つの佳と書きます。」との電話が入った。私に心当たりはなかった。
「病気で倒れた人の連絡先がわからず困っているのです。その人の持っているメモに、お宅の名前と電話番号が書いてあります。ひょっとしてお知り合いだと思い電話をかけさせていただきました。その人は名古屋市の熱田区に住んでいて住所はわかっているのですが・・・」という内容。
 悪戯かもしれないと思ったので、相手の名前を聞いた。小樽の辻ですといったような気がした。辻は倒れられた方と同じ姓であったので私の聞き間違いだと思っていた。
そして私はその電話は北海道警察からの問い合わせ電話だと早合点していた。心当たりがなかったので、知りませんと答え、細かい事は聞かず電話を切った。
 
 家内が帰宅したので、辻佳子さんを知っているかと聞いてみた。辻さんと言えば一人知っているが名前までは知らないという。私の家の電話番号を書いたメモを持っていたというので気になっていた。早速、家内に滋賀県の親類に尋ねてもらった。心配した通りその辻さんの名前は佳子さんであった。いきさつを説明し電話を切ったが、気になって仕方がないので、電話をくれた方を探そうと思った。警察からの問合せだと思っていたので警察に問い合わせれば何とかなると思った。近くの「愛知県M警察署」に電話し、雲をつかむような話しで申し訳ないが、と前置きしていきさつを詳しく説明した。電話をしてくれた方も連絡先がわからず困っていると聞いていたし、病気の容態も心配なことから、何とか探す手建てはないものかと丁重に懇請した。「無理ですね、相手がどうしても探したいならもう1度電話がかかってくるでしょう。待つしかありませんね。」とこちらの心配を全く汲まないつれない返事。何とかしてやろうとの気持は微塵も感じられなかった。1度知らないと返事されたところに、どうして再び電話をかけてくるものかと思ったが、電話を切った。
 私は心配で、このまま放置することができなかった。直接小樽警察署へ電話をした。2時間ほど前に北海道の警察の方からこういった電話をいただいたがその方を探せませんでしょうかと尋ねてみた。一旦電話を切って捜してみますと言いかけたが、近くに事情を知った人がいるといって代わってくれた。その人と話したがどうも要領を得ない。電話をくれた方にしては変だなと思った。小樽署の「マスダ」さんとの名前をお聞きし、当方の電話番号を言うとともに、何かわかったら連絡くださいとお願いして電話を切った。
 
 一方、滋賀県の親類の人も心配でたまらず、滋賀県警に相談されていた。
滋賀県警の「モリコシ」さんから、もう少し詳しく事情を聞かせてください、と私の家に電話が入ったのだ。モリコシさんは探す手がかりを聞いて手を打ってくれるつもりだったのだ。いきさつを話し、つい今しがた小樽署へ電話をかけたことも話すと、こちらからもう1度聞いてみるとおっしゃってくださった。

 しばらくして直接小樽の辻さんから電話が入った。警察から聞いたといって電話をくれたのだ。滋賀県警のモリコシさんと小樽署のマスダさんが最初に私の家へ電話をくれた人を探し当ててくれたのだ。警察の方だと早合点していた相手は警察の人ではなく病人をお世話してくれていた小樽の辻さんだった。
 佳子さんは葬式で名古屋から小樽に行き、その場で倒れたのだという。救急車で運ばれたが連絡先の手がかりになるものを何も持っていなかったこと、脳出血で意識がないこと、入院先が小樽脳神経外科集中治療室であること、などもわかった。小樽の辻さんは佳子さんがひとり暮しであることを知っておられたが、万一のことがあったらどうしようと困っておられたのだ。関係者が分かったことを大変喜んでおられた。
 滋賀県の親戚にも佳子さんの入院先とお世話をしてくださっている方がわかったことを連絡するとともに、佳子さんの留守宅の熱田区のマンションを探した。熱田警察署で聞いたらそのマンションはすぐわかった。隣家の人に状況を説明し、新聞、牛乳の配達状況、懇意にしている方がいないかなどを聞いた。同じマンションに部屋の鍵を預かっている親しい友達のいることもわかった。その人に事情を説明し、郵便物の処理のお願いをするとともに、何かあったら連絡するし、連絡もほしい旨依頼し、取りあえず、一件落着した。
 それにしても、警察の対応が署によってこんなにも違うものかと思った。滋賀県警と小樽署は相手側の事情を優先してくれた。しかし愛知県M署は自分側の事情を優先した。相手がいくら困っていようが、それは自分の仕事にかかわりのないことであり、病人探しなど警察の仕事でないと思ったのだろう。「愛知県M警察署」といえば中学生の恐喝事件で全国に名をはせた署だ。親からの相談を受けながら的確な対応をしなかった署である。こんな署に相談したことが間違いであったのだ。勿論これは署の違いでなく、対応した警察官の考え方、人間性によるものだということはわかっているのだが。
 私も公務を職としている身であり、問合せや相談を時々受ける。公平に気を使うことは勿論であるが、どんな時も相手の立場に立った対応をこころがけたい。
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