名古屋市緑区の近くで、鎌倉街道の昔の様子の残る数少ない場所の一つに豊明市の二村山がある。
鎌倉街道は800年以上前の道で、1601年に東海道が整備されたことにより利用が減った。
江戸時代にはすでにどこが鎌倉街道だったかが明確ではなくなっていた。
元々は京鎌倉往還と呼ばれ、鎌倉街道と呼ばれるのは江戸末期から明治初めと言われている。
二村山は標高72m、歌や紀行文に描かれている景勝地。
源頼朝や北条秦時、西行など優れた歌人の詠んだ和歌が多く残る。
昔の姿を留める鎌倉街道の一部
よそに見し 小笹の上の白露を たもとにかくる 二村の山 頼朝
み仏は 大同二年 ススキかな 井上士朗
山頂に近い地蔵堂に安置されている三体の地蔵。
左 807年の刻、 中 1738年の刻、 座像 1766年の刻
首切り地蔵 (三体の内、左側)
背面に「大同二年」(807)の刻銘がある。
旅人が、熊坂長範に襲われたとき地蔵尊が身代わりとなって切られ、首から上が欠落したという伝説が生まれた。
「袈裟切地蔵」 1679年の刻あり
胴体が斜めに斬られ上半身と下半身が別々になった地蔵尊。
峠の地蔵尊の伝説をもとに建立されたものとも言われ、落雷で折れたともいわれている。
二むらや 三河に出る 秋の月 岳輅