チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

村上知子さんの眉村さん評伝

2023年01月07日 23時03分52秒 | 日記
村上知子さんが「かまくら春秋」1月号に寄稿された「不器用ながら」を読みました。
二回分載の前編で、後半は2月号に掲載されるとのこと。
いやこれ、短いながら、眉村さんの実質的に初めての伝記といえるのではないでしょうか。
実は私も、眉村さんの伝記を書きたいと密かに思っていて、なんとかインタビューできないかと、常々そのチャンスを伺っていたのですが、恐れ多くて(拒否光線も感じて)結局果たせませんでした。
亡くなられてからは、収集した少なくない単行本未収録の新聞等に発表の自伝的なエッセイを並べて再構成することも考えましたが、その頃にはこっちにそんな体力も気力も時間も残っていないことに気づき、断念しました。
その意味で本稿は、私がやってみたかった試みの、更に上をいくものになっていて、なぜ私がやりたかったかといえば、私には眉村さんの謎の部分があり、それを解明したいという欲求からなのですが、本稿は、著者が娘という特権的地位を濫用して(>おいm(__)m)これまで眉村さん自身はおそらくどこにも公開していなかった事実を開示してくれているからなのですね。
この短文の中だけでも、新事実が複数見つかります。
まず、眉村さんが柔道を始められたのが、祝井堅太郎さんの記憶では中高校ですでに柔道部だったという、これはそれまで唯一の証言だったわけですが(「眉村卓の異世界通信」)、実は高校卒業後に付き合い出した悦子さんの「男はやっぱり運動ができんと」という言葉に一念発起し(何という純情!)、大学生になってから始めたことが本稿でわかりました(著者に祝井記憶の訂正の意図があったと思われます)。
眉村さんが戦前の国家を背負った教師に対して否定的な気持ちを持っていたことはつとに語られていて、ところがその眉村さんが勲章や制服に興味を持ち、ナポレオンが好きだったというのが、私には矛盾的でずっともやもやしていたのですが、本稿でその両義性が納得されました(運動部と文化部に両属)。
この両義性を、眉村さんはたしか複眼の思考という言い方もされていたように記憶しているのですが、これは社員とフリーランスがその始点だったことが本稿で理解しました。内と外の両属と私は言い換えたいところですが、実際インサイダー文学論もこの範疇ですよね。パラレルワールド(≒異世界)への傾倒もこれから了解できます。
父を見て「一生懸命だな」と感じたとありますが、これ、もともとは大阪弁で言語化されたのを共通語に翻訳されたのではないかなと勝手に推測するのですが、この一生懸命というのも、これは実像としての眉村さんにたいして、なるほど!と膝を打ちました。私自身は鴨の水掻きと言語化していて、ぐぐると「水鳥は見た目には楽そうに泳いでいるが、見えない水中では足を懸命に掻いている」とあるのですが、上記の柔道でも、入部前に町道場に通ったのも、私はその一環で理解できると思います。
上記特権的地位でなければ記述できないのが、眉村さんのお父さんが漬物問屋の長男だったことやお母さんが探偵小説マニアだったことなどで、でももしかしたら後者は眉村さんが語っていたかも。
娘による伝記ですから、「一生懸命だな」という言葉も書けるわけですが、これは批評であり、その意味では本稿は評伝というべきなのかもしれません。
いや後編が待ち遠しい!
時間がなく書きっぱなしで掲載します。見当はずれがあるかもしれません。予め。
みなさまぜひ原文にあたって確かめて下さい。こちらで購入可能360円→
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コメント (1)
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