チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

警察小説大全集

2009年05月05日 00時00分00秒 | 読書
 本誌は「小説新潮」平成16年3月臨時増刊号。以前に高村薫の評論を読むために購入し、購入時に当該評論は読んだものの、それ以外は読まないまま放り出してあったもの。
 まずは当のその高村薫「警察小説を解剖する」を再読するも、内容が、日本の警察小説に視野が限定されていることにいささか違和感を持った。なんとなく警察小説が「特殊日本的な要因によって自生したジャンル」であるかのように読めるものだったからだ。
 そうだろうか? 警察小説というジャンルも、他のミステリのサブジャンルと同じく、海外作品の影響のもとに出てきたものではなかったか? 警察小説を論ずるならば、まずはそこから始めなければ片手落ちなのではないかと思ったのだ。
 とはいえ本稿は、そもそも毎年名張市で開催されている乱歩便乗企画「なぞがたり名張」という講演会での講演の筆録なので、そもそも時間が限られた講演から起こした文章に、順を追った精密な論述を期待するのが間違っているといわれればそうかもしれない。

 私自身は、警察小説というジャンルについて次のように理解している。
 1)すなわち黄金期の本格ミステリでは頭脳明晰な警部や刑事が輩出した。けれども彼らは、その個人的な能力によって犯罪をあばいたのであって、その小説世界では、警察組織というものはまさしくあってなきがごとき存在であった(名探偵としての名警部)。

 2)ところが犯罪を裁く警察組織そのものの中に、犯罪が巣食っている場合がある現実が次第に見えてくる。その状況に対応したのがハードボイルド(私立探偵)小説だった。その小説世界には悪徳警官という存在が可視化する。つまりアウトサイダー(制外者)たる私立探偵を設定することで、とはすなわち視点を警察機構外に置くことで、悪徳警官を捉えることが可能になったのだ。とはいえ私立探偵が告発するのは、往々にして悪徳警官個人であった。私立探偵には組織としての警察機構内部の犯罪は視えないのである。

 3)私立探偵小説では、視点が外部にある関係上内部の組織犯罪はとらえきれない。そこで警察小説が登場する余地が生じる。警察小説で組織に立ち向かう警官は、内部に身をおくアウトサイダーといえ、その設定は私立探偵小説の弱点を補うものである。と書けばみなさんピンと来るでしょう。そう、内部に在るアウトサイダー(アウトサイダー・インサイド=制度内制外者)とは、とりもなおさず眉村卓の説く《インサイダー文学論》そのものであるわけです。 結局(ある種の)警察小説は、いわばミステリにおける「インサイダー論」の立場に立つものといえる。

 組織が組織であることにより不可避的に発生させざるを得ない犯罪があります。とりわけ警察機構は犯罪を取り締まる組織であるからその矛盾はより先鋭化する。犯罪組織としての警察機構の中で、警官が目の前の「悪」に立ち向かいつつ、背後の「悪」にも目をつぶらない、巻かれてしまわない、いわゆる制度内制外者としての《インサイダー》として活動するありさまを描く小説こそ、真の警察小説と呼べるのではないか――と「演繹的」に考えているのですがね(なお、警察機構以外での組織犯罪をあつかうのが「社会派推理小説」や「企業小説」となります)。

 ということで、以下順番に読んでいこう。

横山秀夫「暗箱」
 リアリティ溢れる重い秀作。ただインサイダー小説的な警察小説ではない。主人公の警察官のとった行動は、組織の一員であることが契機になってはいるが、基本的に警察小説ではなく「警官小説」というべき。

逢坂剛「昔なじみ」
 雑誌小説特有の頽落した作物で、いわゆる小説のための小説というべきものであり、これはつまらなかった。

井家上隆幸「警察小説を歩くための完全ガイド」
 本稿によれば「警察小説」には二つのパターン、ひとつは「名探偵としての名警官」、もうひとつは「警察の集団的な捜査活動を踏襲するチームプレーもの」があるということで、なんだ、私が考えていることなんぞハナから周知であったということか。
 で、後者の例として「87分署」が挙げられるのだが、公安に対する反権力意識という意味では「マルティン・ベック」シリーズを読むほうがいいみたい。それにしてもこれだけずらりとガイドされると、逆に引いてしまうのも事実。今さらなあ、という気にもなってきます。若いSFファンもこういう気持ちを味わっているのか知らん。

北芝健「元捜査官が読み解くリアリティー」
 タイトルどおり元捜査官によって個別作品のリアリティが検証される。本稿を読むと、どうも私の考える警察小説に一番近い日本作家は佐々木譲みたい。

今野敏「刑事調査官」
 プロット自体はリアリティある捜査活動が描かれているのだが、肝腎の「小説」が駄目。下手。いわゆる小説の剥製というべきもので、作中人物はまるで(役割を割り振られた)ゾンビのよう。女性の心理調査官(プロファイラー)という設定も浮いている。別にプロファイラーでなくても女でなくても話は一貫するのではないか。

佐々木譲「逸脱」
 その当の佐々木譲。やはり面白い。現実にあった北海道警稲葉事件の余波で、道警がまさに「お役所仕事的」配置転換をやった結果適所から適材が消えた状況を背景に、アメリカ小説的な地方都市の澱みが浮かび上がる。結末が偶発であるのは弱い。私は殺された子供の母親の復讐かと思ったのだが。それでは「小説っぽい」ということか。

柴田よしき「大根の花」
 いかにも女性作家らしい心理を読む推理が面白いのだが、これはラストがいかにも作り物めいていて(小説ぽくて)やや興ざめだった。

 ――ちょっとひと休み。ここまで読んできてつくづく「日本の警察小説は暗い話ばかりだなあ」と感じました。それに「小さい」。ちょっと満腹してきた。思うに、私は犯罪捜査が結果的に「巨悪」を暴いてしまうような、「スッキリする」大きな話を読みたいんでしょうな。

貫井徳郎「ストックホルムの埋み火」
 <ネタを割るので注意>

 最初、何でスウェーデンなんだろうと訝しく思ったのだが、なんと、あのベックさんの息子の話なのだった。それはなかなか意外感が効いてよかったんだけれど、肝腎の内容は、パズラーの造りで、しかも食傷しきっている叙述トリックだったので、がっくり。警察小説とはジャンル違い。いやまあ警官が主人公だから警官小説ではありますが。
 犯人の父親へのコンプレックスと主人公のそれを重ね合わせたのはなかなかのテクニックだが、結局のところセカイ系の話なのですね。社会性が希薄だとホラーっぽい読後感しか残らない。

戸梶圭太「闇を駆け抜けろ」
 初期の筒井を彷彿とさせるスラップスティック。ムチャクチャで、吹き出すところ多数。暗くて重い作品の間に置かれているので、丁度よい気分転換になる。

永瀬隼介「ロシアン・トラップ」
 これまた道警稲葉事件を下敷きにしたもの。警官の妻でチンピラの幼馴染と出奔した元水商売の女の視点から、組織が「必要」により生んだ悪徳警官、その部下で宮仕えの悪しき体質から上司に追随する上記妻の夫、悪徳警官が取引する日露混血のロシアン・マフィアらの入り乱れる抗争が捉えられる。その意味で(視点が外部にある点で)警察小説ではない。
 かといって犯罪小説というほど、警察に対する側に肩入れもしておらず、題材的に冒険小説に収まるのかな。
 いずれにせよ全体的にはどこかでお目にかかったシーンや人間描写等、書き飛ばしたような安直で荒っぽい筆法で、あるいは書き飛ばしたというよりも、書くのが追いつかないといった感じだったのかも。つまりそんな感じでストーリーに疾走感があり、リーダビリティは本誌ではもっとも高かった。とりあえず「枠」からはみ出した人間の「クズ」しか登場しない小説で、なぜ警察小説が息苦しく感じるのか、逆によく分かった。つまり警察小説はよくも悪しくも「四角四面」なところがその契機としてあるのですね。

白川道「誰がために」
 「教科書的」な小説。あらゆる意味で欠点というものはなく、文体も端正。つまり典型的四角四面小説。面白く感動もするが、つづけて読みたいという意欲は発動しない。

乃南アサ「とどろきセブン」
 むしろ新人警官(巡査と)の日常小説といったようなもの。興味は警察機構になく、社会問題になく、事件の謎にもなく、明るく朗らかな性格を付与された、すくすくと育った個人としての若い警官の(ある意味)成長物語。春陽堂文庫にありそうな「明朗小説」

 以上で、『警察小説大全集』(小説新潮平成16年3月臨時増刊号 04)読了。
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