チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

毒薬

2009年05月02日 00時00分00秒 | 読書
エド・マクベイン『毒薬』井上一夫訳(ハヤカワ文庫94)

 巻末解説によれば、本篇は「シリーズでは、小品といっていいスケール」らしいのですが、なかなかどうして十分に広がりのある話でした。本篇の実質的な主人公はマリリンという強烈な印象を残す謎の美女。(当人の弁によれば)途方もない経験を重ねてきた彼女は、稀代の毒婦なのか、それともその言葉をほんとうに信じてよいのか、読者はその謎にやきもき最後まで引っ張られてしまう。まさに人気シリーズの看板に偽りなしのストーリー・テリングです。

 ところで、この「87分署」シリーズによって警察小説というジャンルは開始されたというのが定説らしいのですが、かく云うところの「警察小説」とは、ミステリ読者には今さらかも知れませんが、捜査に当る警察官が、従来の、警察機構とは無関係な個人的な才能(神のごとき名推理)によって謎を解くミステリとは違って、当の警察官が、実は警察という組織の構成員(宮仕え)であるという事実を、一種の制約として小説の構成に必須の条件として盛り込んだものといえます。
 捜査官といえどもスケジュールにしたがって3交替し、休日もとる。捜査令状を取るためには書類を作り、場合によれば却下される。そういった日常業務の一環として(当然単独ではなくチームとして)、ある事件が解決するまでの物語が語られる。すなわちハードボイルドとはまた別の意味で「リアリズム」小説であるわけです。

 ただし本篇では、捜査の過程で担当警官が被疑者と同棲してしまうのですが、まあ日本的な常識では、そういうことが発覚した段階で、その捜査官は担当を外されるのではないかと思う。でもそれではストーリーにならないからか、そのまま捜査を継続するのは、リアリズムとしては画竜点睛を欠いているようにも思いましたけれども(^^;

 で、そういうリアリズム小説である警察小説は、必然的に捜査主体の存立背景たる警察組織自体の腐敗(悪)への目配りが(形式的に)可能となるはずで、そのような意味での警察小説を、ひとつの理念型(理想型)として捉えたいというのが、私の欲求の中にあります。残念ながら本篇はそのような両義性はなかった。本篇では、作中で刑事の3類型が示されていますが、組織自体は健全という設定です(^^;
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