チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

カルメン・ドッグ

2009年02月15日 15時22分01秒 | 読書
キャロル・エムシュウィラー『カルメン・ドッグ』畔柳和代訳(河出書房08、原著88)

 構造論的人類学によれば、人間の<世界認識>は根源的に「ウチ-ソト」「文化-自然」といった二分法的思考の上にうち建てられている。これは人間の構造そのものに由来するものでありますから、これを離れた思考形態を人間は持つことができないようです。
 「人間」の概念においてもこの原理は例外ではなく、人間は生物学的にオトコとオンナに分かれていますが認識のレベルではこれが文化と自然に対応させられ、翻ってオトコが文化であることから人間とはオトコであるとなります(これはブラウンでしたか、「地球最後の人間(man)が座っているとドアにノックの音がして……」という有名なオチも英語が内包するところのかかる原理に拠っているわけです)。

 つまり人間の伝統的な思考の形式に則って(月のリズムに従う)オンナは自然の方に分類され、また(人間以外の)動物もまた、人間(文化)との対比において自然の側に配置されることから、結局人間(オトコ)に対してオンナは動物と共に自然の側の存在として無意識に措定されているわけです。(上記些か粗雑な要約の当否についてはレヴィ=ストロースやエドマンド・リーチの論考にてご確認ください)

 かかる文化人類学的知見が本書の背後にあるのは確実で(余談ながら、文化人類学の援用は70年代以降のポストニューウェーブの女性作家の共通項だと考えています)、ある日突然人間の女は動物化していき、動物の雌は人間の女化していくという現象は、まさに人類学的思考そのものが実体化した事態であるということができます。そもそも動物と女は同じ意味を担っていたのですから。

 このように「いま在る現実」の隠れた構造をSF的に変換することで顕在化した世界設定を、本篇は舞台にしているわけで、当然その原理により、動物は完全に人間(man)とはなりません。主人公のプーチはどんどん「進化」していきますが完全に「人間」となることはできない。人間の女は動物化(退化)して行きますが、これまた完全に「動物化」してしまうわけではなく、むしろローズマリーのように崇高さを発現していきもします(ところでこの進化退化という言葉を、実際著者は用いているわけですが、こういう言い方に私は著者の西欧的思考慣性から完全には自由になっていない点を見出さないではいられないのですが、このような非徹底性も著者の特質ではあります)。

 本篇は、オトコ(=社会)に対して女(=自然)をぶつけることによって、何かが見えてくるのではないか、それを一種シミュレーション(思考実験)的に描こうとしているようです。しかしそれは男と女は同じであり、それゆえ現在の差別構造を批判するといった体の、いわゆる男女同権論的なそれではなく、男と女の(身体性も含めた)差異を認めた上でのそれであるようです。プーチはそもそもセッター犬から「進化」したわけですが、やはりいつまでたってもその「本性」は変わらないようです。

 こうして書かれた本書の結末は、オトコたちの「目覚め」によって新たな世界がひらかれようとするところで終わっていていて非常にさわやかな読後感が残ります。現実的にはこんなにたやすく人間(man)社会は変化するとは思えないのですが、著者はそもそも本篇で社会変革をめざしているわけではなく、「隠れた次元」の顕在化によるカタルシスを目的として執筆されたと考えるべきでしょう。

 SF小説としてみた場合、本篇の魅力はその独特極まる世界設定(最近の言葉で「世界観」)にあり、その濃密な魅力はちょっと他では味わえません。似ているとすればコードウェイナー・スミスの小説世界あたりでしょうか(人間化した動物が出てくるといった表層的な類似ではなくて)。決して深い奥行きがある類の小説ではなく、むしろコミック的な、ある意味安っぽいギミックな世界設定なんですが(その点もスミス的といえます)、そういう「小説世界」を楽しむ「SF」であり、その手の数あるSFの名作群と比べても、けっして見劣りしないどころか、むしろそれらの作品群を睥睨する高みに達しているとさえいえるのではないか。

 若干翻訳に不用意な(文脈にそぐわない)訳語の選択がみられてがっかりしてしまう憾みがあるのですが(註)、それを差し引いても(原作自体に漲る力によって)十分以上に楽しめる傑作です。

 (註)本篇の形式は、明らかに物語である。つまり活字で組まれているけれどもエムシュがまわりに座った聞き手に対して語り聞かせている――という意味で物語(夜話、法螺話)なんですよね。当然話し言葉なのであり、生硬な漢語はそぐわないんです。
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