チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

大江戸神仙伝

2009年02月03日 00時00分00秒 | 読書
石川英輔『大江戸神仙伝』(評論社92、初出79)

 これって「火星のプリンセス」のパロディですよね! ちょっと意想外で、気づいたときはのけぞってしまいました(^^; と同時に<男の願望充足小説>でもある。いやまあ火星シリーズ自体が<男の願望充足小説>なので、よく考えればそれはある意味当然なんです。ただ本篇においては、ネタ元にさらに輪をかけてそれがあからさまで、私が気になったくらいですから、女性の読者はあるいは気分を害するかも知れません。でも作者にはおそらく挑発的な意図はない。いうなれば天然なんですね。そういう「態度」が基本設定に組み込まれている。指摘されてもおそらく「なぜだ?」と指摘の意味を理解できないでしょう。

 ストーリーは実に駘蕩としています。しかし駘蕩すぎて、次第にひねもすのたりのたりかなになってきて先行きすこし危ぶんだのでしたが、主人公が東京と江戸を自由に往来できる能力を授かってからは(ジョンカーターと同じ能力。この辺ちょっとご都合主義です)、俄然ストーリーは賑やかになります。両世界を往還することが可能となったことで、SFの契機の一つであるステレオグラムの効果が起動し、つまり江戸と現代を比較対照する視点が可能となり、結果として、現代文明のひずみ(と著者が考えるもの)が浮かび上がってきます。具体的には、江戸の社会が「循環型の経済社会」として措定され、その視点から現代が逆照射されるのです。

 現代と書きましたが、厳密には高度成長期のニッポンです。本書が刊行された1979年は、ちょうど高度成長のひずみが顕在化し始めていた時期なのですよね。カール・ポランニーが日本で脚光を浴びたのが70年代前半から半ば。玉野井芳郎「エコノミーとエコロジー」が1978年。そんな時代です。著者の想像した江戸は、この当時脚光を浴びたエコロジー経済学の影響があるに違いありません。

 そうはいっても、著者は江戸社会をまるごと賞賛しているわけでもありません。江戸と東京、どちらを取るかと二者選択を迫られる場面では、東京を選んだりと、かなり勝手なんですよね(^^;。江戸文化を称揚しつつも、現代文明の便利さを否定できない軟弱さは、まさに高度成長の恩恵で花開いた70年代的な態度ではないでしょうか。

 設定で面白かったのが、タイムスリップできるのは同じ月日でなければならないというところ。これってアトムに先例がありましたっけ。つまり空間移動はないので、別の月日に時間移動しちゃうと、そこに地球がなく、宇宙空間に出現してしまうという理屈です。太陽も惑星引き連れて銀河系の回転に組み込まれているのではないかと言うことはさておきましょう(笑)。そこまで突きつめればハードSFですがね(^^;

 「高度成長の20年かそこらで、まるで連鎖反応のように自然環境が荒廃したのを、便利さの代償というのは、一種のまやかしではあるまいか。本当の犯人は、10年使えるものでも、2年か3年で捨てて、新品に買換えさせないと成り立たないように作り上げてしまった社会組織そのものと、それを積極的にせよ消極的にせよ受け入れてきた私達なのだ。ああいう社会は、土地、資源、人口などが、無限に増加しない限り、早晩行き詰るに決まっているのに」(129p)
 はたして少子化と団塊世代引退で行き詰っちゃいました。

 「あの高度成長期というのは、まさに怒涛のような時代だったことがわかって来る。/その結果についての評価は、もとより私などのなし得る所ではないが、世界史上にかつて類を見なかったし、今後も二度と起こりそうにない、独特の強烈極まる平等革命だったのではないかという気がするのだ。(……)日本は、少なくとも世界でも有数の平等を達成してしまっている国だ」(184p)
 田中角栄政権(1972-1974)は実質社会主義政権だったと、先日読んだ『「小さな政府」を問いなおす』にも書いてありましたっけ。今は昔ですなあ。

 小さな政府といえば、江戸幕府は「驚異的な安上がり政府(チープガバーメント)」だったらしい。「都庁と警視庁と裁判所を兼ねたような町奉行所は、南と北が月番制であったが、正式職員は(……)僅か290人で万事取り仕切っていた。/現在の都庁職員22万人から考えると、単純計算で700~800分の1というところだ。行政範囲は広がっているが、今は、電話も自動車もある。一方、都民(庶民)の人口は、20倍程度に過ぎないのだから、驚くべき増加率ではないか」(194p)。「なぜこう安上がりに市中の治安を守れたかというと、実際の市政は、町(ちょう)役人という市民側の自治体に下請けをさせておいたからである」(195p)
 まさに今流行の「民間へのアウトソーシング」ですね(汗)。

 とまあ、ステレオグラム効果のおかげで、内容的にはむしろ70年代に萌芽した社会傾向の、究極進化型である今この時代にこそ読まれるほうがあざやかに伝わってくる部分があり、とても興味深く、面白く読まされました。
 しかし本篇は、だんぜん東京(江戸)の地理が頭に入っているほうが面白いはず。東京の人にはくっきりイメージできるであろうところが、関西在住の私にはいまひとつクリアな像が結べておらず、いささか歯がゆい小説でもありました。
コメント
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