チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

下流社会

2005年10月07日 21時11分59秒 | 読書
三浦展『下流社会 新たな階層集団の出現(光文社新書、05)

 1950年代から70年代までつづいた高度成長期は、とりもなおさず「一億総中流化」の進展(「下」から「中」への上昇)を結果した(余談ながらかかる事態が眉村SFを基礎付けている)。
 いま、この「中」が減って「上」と「下」に二極化しつつある(「中」から「下」への下降と「中」から「上」への若干の増加の同時進行)と著者は言う。そのことを著者が、自ら主催する調査会社による3種のアンケート調査をもとに、分析(解釈)したもの。

 昭和4世代(ヒトケタ世代、団塊世代、新人類世代、団塊ジュニア世代)別の分析はとても面白かった。が、調査の解析自体には恣意的なものを感じた。つまり、あとがきで著者も述べているが、「サンプル数が少なく、統計的有意性に乏しい」というのは全くそのとおりで、このレベルのアンケートならいくらでも別の解釈を考えられるように思う。

 たとえば、第5章「自分らしさを求めるのは「下流」である?」で(著者は周到にクエスチョンマークを付しているが)、団塊世代で逆の結果が出たことについて、私は著者のそれとは別の、以下の解釈を思いついた。

 この調査は2004年に実施されたものだから、団塊世代は50代であり、この年齢での「上」「中」「下」の差は、もはや生涯の「結果」としての意味があるといえる。
 すなわちこの時点で「上」(アンケート上では中の上)と自己認識する人は、疑問の余地なく社会的成功者であり、「下」(アンケート上では中の下)と自己認識する人は、必ず自らの来し方を振り返って(あのときああしていたら、と)内心忸怩たるものを覚えるものが多いだろう。

 もしそうだとすれば、「上」の人は余裕綽々と「自己実現」や「自分らしさ」に高い得点を与える「心理」的慣性を持つに違いないし、「下」の人は逆に、「自己実現」や「自分らしさ」に拘泥していたら泣きを見るぞ、という「心理」的慣性に(このようなアンケートの場では)陥ってしまいがちなのではないか。つまり今は逆の傾向である他の世代も、彼らがそれぞれ50代になったときこのアンケートをすれば、一様に団塊世代の結果と同じ結果になる可能性が強いといえるのではないか。
 以上は思いつきだけれど、アンケート結果からそのような解釈を引き出すことは可能だと思う。

 そういう不満がなきにしもあらずだが、本書は実に面白かった。
 第1章後半の「中流化モデルの無効化」あたりでのモデル計算は、まさに目を見啓かされた。ダイエーが象徴的に示すように、スーパーがなぜ90年代以降恒常的な不振に陥ったかが、この計算結果に端的に説明されている。
 ではスーパーは、今後「上」に売るノウハウを身につけ、顧客ターゲットを上方修正すべきなのか? 私はそうではないと思う。そのような社会が「好ましい社会」だとはとても思われないからで、やはり社会の現在の傾向(自走の慣性)を何とかして変えなければならない。それはやはり「総中流化」の方向でしかないように思うのだ。ただそれは、まず「下」の意識改革が前提になるはずで、疑問の余地なくそれは困難を極めるに違いない。

 少数のエリートは国富を稼ぎ出し、多くの大衆はその国富を消費し、そこそこ楽しく「歌ったり踊ったり」して暮らすことで、内需を拡大してくれればよい、というのが小泉-竹中の経済政策だ。つまり格差拡大が前提とされているのだ(265p)

 と著者は記述している。もとより二重構造(格差)を創出し、その間に生まれる位置エネルギーで回転するのが資本主義の原理であることは言うまでもない。そのように記す著者であるから、社会がこのまま進んでいくことを是としない点は私と同様で、その意味で「おわりに」で提言される「機会悪平等」論は、実に過激で理想主義的で面白い。確かにこれくらいの荒療治は必要だろうが、この荒療治自体が、実に実現性困難な提言であるのもまた事実というほかない。

 しかしながら著者が述べる「学習塾費用非課税」というのは本末転倒なのではないか。むしろ学習塾なんて商売は全面禁止にし、勉強や学習は公立の学校のみに与えられた機能としなければならない。その意味で、現在の学習塾の盛況やお受験なんてのは、そもそも公的教育の現状に対する不満、不安に起因するものなのだから、公教育主義はすべからく現場の教師の全面的見直しを伴わなければならないだろう。

 話がそれた。本書で挙げられたデータから著者は、大きくは新たな(固定的)階層社会の到来の兆しを見出した。それはそのとおりであるとしても、「下」が、コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生の意欲が低いと突き放しているように感じられる。
 しかしながら私は、彼らのアンケートの回答が、階層固定化への無意識的な反応であるようにも思われた。なぜならアンケートとは、それが事実であるかどうかではなく、回答者がどう「自己認識」しているか、を明らかにするだけだからだ。これらのデータが指し示すのは、「上」の<格差>肯定と「下」の<格差>否定の「無意識」ではないだろうか。
コメント
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