チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

そよぐかぜつむじ風

2013年08月13日 01時31分00秒 | 読書
桜井節『そよぐかぜつむじ風――八ヶ岳南麓風景抄――』(編集工房ノア 01)

 著者は詩人、5冊の詩集を上梓されています。眉村さんの中学の後輩にあたる方で《捩子》の主宰者でもあります。『《捩子》の時代――眉村卓詩集――』製作にあたって、《捩子》全巻を貸していただきました。そのご縁で、本書をご恵贈下さったのでした。
 さて、本書によりますと、著者は50歳を過ぎた1987年、生まれ育った大阪から八ヶ岳南麓「清里の森」に移り住まれました。同地に芸術文化「心耕」の拠点としてのサロン、アートファーム「自在舎」を開設し、こんにちに至っています。
 そんな著者が、移住してから13年ほどして、丁度「当地での人びとの生活ぶりもようやく見えてきた」2000年6月から翌年4月までのほぼ一年にわたって、「毎日新聞・山梨版」に連載されたのが、本書の原型です。
 八ヶ岳南麓の四季折々の自然や人の情景、さらには八ヶ岳周辺を舞台にした文学風景が(昨日当掲示板で話題になった「風立ちぬ」もこの地が舞台)、著者自身も所属する、したがって著者自身のも含む、「四季」派の詩人たちの詩篇とともに「風景譚」として綴られていきます。
 著者の住まう八ヶ岳南麓の高原からは、西は釜無川の対岸に南アルプスの山容を望見でき、南は笛吹川の盆地のかなたに富士の稜線が、そして上空には日本で二番目に星の数が多い夜空があります。すばらしい景勝地なんですね(北は当然八ヶ岳)。その風景に囲まれて著者は「一日として退屈したことはない。一度退屈してみたいと思うほどである」と書いています。
 面白いな、と思いました。というのはそのとき眉村さんがよぎったからで、眉村さんなら、このような自然に囲まれ、自然と対話するような生活にはおそらく堪えられないだろうな、と、いや、そんなんこっちから御免被りますと、屹度言うだろうな、と想像したからです。根っからの都市人で、新奇な情報を求めてやまなかった(言い方を変えれば「遅れる」ことを肯んじなかった)眉村さんと、自然に囲まれて退屈しない著者が、年次は少し違うにしろ同じ地域の同じ中学だったというのがたいへん面白く思われたのでした。
 それはさておき、本書は単なる田園風物誌ではありません。地の人間にはアプリオリに当然過ぎて見えていない問題が、「来たりもん」の目には見える場合がある。地の人びとの伝統的な思考態度が、自然破壊に加担してしまっている場合があるのを著者は憂えます。観光化の功罪。その一方で、八ヶ岳南麓が、新しい文化創造の拠点となりつつあることも報告される(新南麓文化)。それはある意味「新しい軽井沢」の誕生なのかもしれない。しかし軽井沢の文化的イメージが戦前の特権階級や資産家にその一端を担われたものであるのに対し、新南麓文化は「来たりもん」の芸術家や趣味人、学識経験者が中心になっているとのことで、その点に著者は希望を持っているようです。
 かくのごとく本書は南麓賛美の風物詩でありますがそればかりではなく、外なる視点からの現状分析であり、未来へ向けてのビジョン提案の書でもあります。大変面白かった。
 私は、甲信地方は主に中央本線-篠ノ井線のラインの西側しか知らず、八ヶ岳・南アルプス方面はまだ行ったことがありません(富士市側から車でぐるりと富士急ハイランドまで行ったことはある)。旅行してみたくなりました。沼津に友人がいるので、誘ってみようか知らん。身延線利用になるのかな(身延線もまだ乗ったことがない)。

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