『ふたりの老女』
ヴェルマ・ウォーリス 作
子どものころから冒険小説(サバイバル物?)が好きで、『ロビンソン・クルーソー』、『スイスのロビンソン』、『十五少年漂流記』など、わくわくどきどきしながら読んだものです。
今でもその傾向はあるようで、『森へ 少女ネルの日記』、『エイラ 地上の旅人』のシリーズ、『魔女の血をひく女』など、科学のまだ発達していない時代に、あるいは排除された状況で、人はどんなふうに、どんな知恵を生かして生き抜くのか、といった作品を興味深く読みました。この先人類にどんなことが起きるかわからないし、いざというときには役に立つかもしれませんしね(笑)。
そのせいか、お正月にBOOK OFFへ行き100円コーナーで何かめぼしいものはないかな、と本棚を物色していたとき目に飛び込んできたのが「アラスカ、インディアン、知恵」の文字。手にとってみるとそれは『ふたりの老女』という題で、どうやら置き去りにされたインディアンの老女ふたりが、厳寒のアラスカで生き抜くといった内容のようでした。
老女のサバイバル!?しかも、本の帯にはアーシュラ・ル・グゥインの言葉が。これが決め手となって買うことにしました。
作者ヴェルマ・ウォーリスは、彼女自身インディアンの伝統にのっとった教育を受け、現在も昔ながらの生活をしながら執筆活動をされているそうです。この話も彼女が母親から聞いた伝説を文字にして書きとめたもので、いろいろな困難を経てようやく本になったとのことでした。
ある寒さの厳しい冬、アラスカでカリブーなどを求めて移動するインディアンの一族が、寒さと飢えのため老女ふたりを置き去りにすることを決断します。それに反対することすらできない娘と孫は、大切な斧といろんな用途に使えるヘラジカの皮を残し、一族とともに老女から去っていきます。
厳寒の大地に残された老女「チディギヤーク」と「サ」。そのままでは死を待つばかりなのですが、「どうせ死ぬなら、とことん闘って死んでやろうじゃないか」と行動を起こします。
火をおこし、ウサギの罠をつくり、かつて女狩人だったサは一匹のリスをしとめ飢えをしのぎます。これまで若い者の世話になりながら不平ばかりもらしていたふたりですが、生き抜くためかつて身につけた技と知識を思い出しながら、以前住んだことのあるキャンプ場へと移動するため厳しい旅に出ます。
疲れ果て身体中の痛みに耐えながらも、ようやくそのキャンプ場に到着し、そこでふたりだけの生活を始めるのです。厳しかった冬が去ると、狩りをし、鮭を捕り、次の冬に備えて保存食つくりに励み、ふたりでは多すぎるほどの食料を蓄えます。
一方で老女ふたりを置き去りにした一族のリーダーは、そのことを悲しみ悩み続けていました。長く苦しい旅の果てに、なんとか狩りで集団の命をつないでいたものの、前の冬のダメージが大きくて、彼らはまた苦しみに直面し絶望の淵にいたのです。そんなときリーダーは、老女を置き去りにしたキャンプ地にもどり、老女を捜し出すのですが・・・。
姥捨ては、かつて日本でもあったようです。若いころ映画で「楢山節考」を観て衝撃を受けたことがありました。
しかし死生観や文化の違いか、あるいはこのふたりの老女の個性だったのかわかりませんが、捨てられた老女たちのこの強さ、生きることへの前向きな姿勢には驚かされます。一族から見放されたことによって、彼女たちはプライドをよみがえらせ、とことん闘って死んでやろうじゃないか、と決心するのですから。
そして物語の後半で、彼女たちは死に瀕している一族に食料や毛皮を提供さえするのです。そう簡単にふたりの心がほぐれたわけではありませんが、最後には自分を見捨てた娘とも和解し、ふたりは一族の名誉ある地位を与えられ人々から尊敬されて生を全うしました。
彼女たち自身、もし見捨てられることがなければ、一族の中で若い者の世話を受け不平を言いながら死んでいったことでしょう。しかし、死を目前にした窮極の状況において、自分の中にまだ潜在していた気力や勇気がよみがえり、忘れかけていた技や知恵を発揮して、自分たちが無力な存在でないということを証明したのです。
この先、超高齢化社会に向かっていく私たちに、シンプルですがなんとも力強いメッセージを伝えてくれる作品だったと思います。
年をとっても、若いころ身につけた技や知恵は忘れない。・・・ということは、今のうちに身につけておかなければいけない、ということですね
えっ、もう遅いかも・・・