ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

星が降る?

2009-10-23 | 日々のこと。
最近、にわかに耳にするようになったオリオン座流星群。

これまでも、しし座流星群、ペルセウス座流星群など、
何度か夜中に屋上に上がり、粘り強く星空を眺めたものでした。
でも、年とともに、ぬくぬくのお布団から抜け出す勇気もなくなり、
星好きの長女だけが、毛布にくるまってひとり屋上で見るようになりました。

その長女も家を出てしまい、オリオン座流星群のニュースを聞いても、
夜中は冷えるし、もういいか、なんて、はなからあきらめムード。

ところが、「今夜は星がきれいに見えるよ!」と教えてくれたのは、
意外にも次女でした。
そして、20日の明け方4時、屋上に上がっていく次女に気づいたので、
私も布団からえいやっと飛び起き、屋上へあがるドアのところから
夜空を見上げました。

満天の星。

冷え込んだ明け方の夜空は、空気もきりりと澄みきって、
星が、ガラスのかけらを撒き散らしたみたいに煌めいています。

そういえば、最近、星空を見上げることなんてなかったなあ。
・・・思いつきもしなかった。

そんなことを思いながら、ぼんやり眺めていると、
星がすぅーっと尾を引いて流れていきました。
この日は、15分ほどの間にふたつ。

その夜、11時半ごろ東の窓を開けると、ちょうど
オリオン座が見えたので眺めていたら、このときもふたつ。
3時に目覚ましをかけ、このときは南の窓から
真上のあたりを見上げていて、やっとひとつ。

残念ながら、星が降るほどの流星群を見ることはできなかったけれど、
10~30分ほどでひとつ、ふたつ見たのだから、よしとしよう。
それよりも、久しぶりに美しい星空が見ることができて、
ちょっと幸せな気分になれました。
翌朝は、少し寝過ごしてしまいましたが

星好きの長女は、ベランダから眺めていたけれど、
屋根があるから空が狭いと嘆いていたし
(南向きで、お隣は庭と畑が広がっているという
 好条件のアパートなのですが)、
次女は、来年は星なんて見えへん所に住むんやろな、
なんて淋しいこと言うし・・・。

確かに、家にいながら、夜中に家族揃って屋上で
星を眺めることができたというのは、贅沢なことだったのかもしれません。


寒いから、なんて言ってないで、たまには夜空を見上げて、
月や星を見つめることも大切ですよね。
離れていても、みんな同じ星空の下・・・と思えるから
コメント (2)
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四国遍路

2009-10-16 | 読むこと。


          『四国遍路』
           辰濃 和男


先日DVDを借りに行ったとき、隣の新古書店で
何気なくこの本を手に取りました。
ちょうど歯医者通いが始まったので、薄いし、待ち時間に読むのに
ちょうどいいと思って購入しました。

著者は、朝日新聞の元記者で、天声人語を担当されたこともある方です。
退職され、今回二回目となるお遍路ということで、単なる旅行記や
「お遍路さん体験記」というのでもなさそうでした。


別に、四国八十八ヶ所に興味があったわけではありません。
ただ、最近忙しかったし、どことなく閉塞感を感じていたので、
ぶらりとどこかへ旅に出られたらいいだろうなあ、
それが無理なら旅の本でも、くらいの気持ちでした。

主人がときどき、いつか八十八ヶ所を(走って)回りたい、
などと言っていますが、いつも聞こえないふりをしています(笑)
やれ、次はさくら道を走りたいだの、萩往還250キロに出たいだの、
好き勝手言ってますから(これも聞き流す)。
でも、そのせいで頭の隅っこに「お遍路さん」という言葉が
住み着いていたのかもしれません。


内容は、一番霊場霊山寺から八十八番霊場大窪寺まで、
ひとりで歩き遍路をしながら、著者が感じたこと、考えたことを、
歌や出会った人たちのことを交えながら書き綴ったものです。

かつて、お遍路さんをする人は、修行僧や病人、
罪を犯した人であったりしたようですが、
最近は自分の生き方と向き合うために回る
「哲学的な遍路」がふえているそうです。
それだけ社会が病んで、人々が生きづらい状況に
陥っているということでしょうか。

そして、四国を歩くことで、四国の自然や人々の暖かさに触れることで、
癒され、それぞれに何かをつかんで、日常に戻っていくのでしょう。

ひとりで1200キロの道を歩き通すということは、
そう簡単にできることではありません。
(著者は、区切り打ちといって、何回かに分けて歩かれています)
雨の日もあるし、足が痛くて歩けないときもあります。
山道に迷ったり、泊まる所がなかったり、
食べるものがなくなることだってあるのです。
だからこそ、「お接待」をしてくださる人々の暖かさが、
屋根の下で眠ることのありがたさがわかるのです。
こんな世の中に、「お接待」という風習が、
今なお受け継がれているということに驚かされました。

著者が歩き遍路で出会った人たちも、また、印象に残ります。
自分のようなものに情けをかけてくれる、そんな人の情けがつらかった
と語る小指のない元ヤクザの男性。
乳母車にすべてを積み、帰る故郷も家もなく、延々と
四国路を回り続けているおばあさん。

それぞれが、人に言えない、止むに止まれぬ事情を抱え、
歩き続ける四国遍路。
そんな人々を受け入れ、罪も悩みも包み込んでくれる四国路。
そんな四国路に魅了され、何度もお遍路をする人が多いそうです。

この本を読み終えると、主人でなくても、いつか私も・・・
という気持ちが芽生えてしまいました(笑)
歩き遍路は安易な気持ちでできることではないし、
またするべきではないと思いますが。

今では交通手段はいくらでもあるし、ツアーもあります。
しようと思えばいくらでも簡単に回れる四国八十八箇所を、
自分の足で一歩一歩大地を踏みしめ、風を感じながら、
かつてこの道を歩いた空海や山頭火に思いをはせながら
歩くというのは、この忙しい現代においては、この上なく
贅沢なことなのかもしれません。

実際歩いて回るとなると、50日はかかるというし、
その間の宿泊費、食費、四国までの交通費などを計算すると
50万円はかかるといいます。
それに、歩きやすい靴、軽いリュックなどの装備から
歩き続ける体力を考えると、普通の主婦がそうカンタンに
「ごめん。もう、限界。
 自分を見つめなおすために、明日からお遍路さんになります」
というわけにはいきませんよねー。
何より、時間とお金と体力がいるわけです。
(もちろん、家族の理解も)

毎日毎日、三度三度の食事を作り、
年老いた親や、受験生の子どもの心配をし、
日々のスケジュールをこなしながら、ふと
「このまま年老いていくのかなあ。
 自分の人生、このままでいいのかなあ」
と、家事の手を止め、思い迷いながら過ごしていく・・・。
四国まで行かなくても、それもまたひとつの修行なのでしょうか。

・・・物思う、秋です

コメント (6)
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最後の試合

2009-10-05 | 日々のこと。
先日、国体の応援に新潟へ行ってきました。

京都まで(各駅停車だったので)2時間半、
そこから夜行バスに揺られ7時間半。
覚悟はしていたものの、やはり新潟は遠かった・・・。


新潟駅から会場まで電車で行くのですが、本数が少なく、
次女のレースにぎりぎり間に合う時間に到着する予定でした。
ところが電車が7分遅れとなり、気が気ではありません。
駅から会場まで、徒歩で15分。
しかも、ゴール地点はさらに1キロ先です。
電車から降りると、すぐに主人はダッシュ
荷物を持った私は、シャトルバスを見つけたので
とりあえず乗り込みました。
すると、電車から降りた乗客が乗ったらすぐに発車し、
走ってる主人をすーっと追い越していくではありませんか
しまった!
「私は遅れてもいいから、先に行って!」なんて、言うんじゃなかった・・・

しかし、運転手さんが走っている主人に気づき、親切にも
わざわざ止まって乗せてくださったんです。よかった~
100キロ走る主人も短距離には弱く、
さすがにバスの中ではゼーゼーと肩で息をしていました

でも、おかげで橋の上から練習する次女たちの写真が撮れたそうです↓
ダッシュも無駄ではありませんでしたね~





5分ほどで会場に到着。





阿賀野川です↓
向こうに見える赤い橋が、主人が↑の写真を撮った橋。
ここまでダッシュで走るには、けっこうキツそうでしたね。





残念ながらお天気はあいにくの雨模様。
でも、準決勝ともなると観客も多く、ゴール付近は熱気があります。

私たちもなんとかレースに間に合い、主人はデジカメを持ってゴールの方へ。
私は750メートルあたりで見ることにしました。

レースの案内があり、「アテンション」「ゴー」の合図。
遠くて、まだよくわかりません。
・・・あれ、出遅れてる!?まさか 
準決勝では1位になると翌日の決勝戦へ、
2位は順位決定戦ということになります。
つまり、それ以外では今日で終わってしまうということ。

目の前を通り過ぎたときは4位。
そして、そのままゴール・・・
えー!?
せっかく苦労してここまで来たのに、これで終わり~!?
愕然とし、目の前がマックラになりました。

ゴール地点にいた主人が、こっちにやって来ます。
呆然としている私に、
「やった!明日も出れる!」
「えっ、あかんかったん違うの?」
「?」

なんと、慌てていた私は、レースの案内のアナウンスのとき、
対岸から○コースと言ってるのに、こちら側からと勘違いしていたのです。
しかも、ローイングスーツの色を勘違いしてて、
結局違う高校を応援していたのでした

新潟までわざわざ応援に来て、一体何やってんだか・・・


翌日も、次女たちは強豪相手によく頑張ってくれました。
でも、残念ながら、思うような結果は出せなかったようです。
そして、これが次女の最後の試合となりました。
ここまでくるのに、進路のことで悩んだり、体調を崩したりして、
まわりに心配や迷惑をかけてきた次女ですが、
ここまでみんなと一緒にやってきて本当によかった、と
ジャージや帽子に書かれたみんなの寄せ書きを見せながら、
嬉しそうに話してくれました。
青春やなあ・・・

次女以外の選手は、大学やあるいは企業で
今後も続けるようです。
この中から、日本を代表するような選手が出てくるのかなあ。
楽しみです。
みんなの活躍、応援しているからね!

コメント (8)
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