ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

最後の授業料

2013-09-29 | 日々のこと。



下世話な話で恐縮ですが・・・ 
先週末、次女の大学の授業料を振り込みました。
ついこの間入学したと思っていたのに、早いものでもう4年生・・・
(私は京都の大学を卒業したので、大学生は○回生というのだと思ったら、
 関東では○年生なのですねー)

そうなのです。
長女の時から6年間、ずーっと我が家の家計にずしんと重くのしかかっていた
大学の授業料。
それがようやく今回で(おそらく)最後(になるはず)・・・
ああ、なんという開放感~♪

地方に住んでいて子どもを大学に進学させたお宅はどこもそうでしょうが、
授業料と仕送りで入ったお金は右から左・・・
二人重なると大変だよ~と噂には聞いていたけど、まさにその通り。
痛感いたしました。ハイ。
特に次女は私学なので、長女と重なった2年間はやりくりに四苦八苦。
仕送り用の通帳の残額が、あれよあれよという間に減って行き
どうなることかと冷や汗ものでした。
当時長女のまわりは院へ進学する友達も多く、行ってもいいよとは言ったものの、
就職してくれたときは内心ほっ・・・

そして、長女が卒業して2年。
次女の最後の授業料の振込が完了した今は、少し肩の荷が下りたような・・・
毎日、地道にコツコツ働いてくれたお父さん、ご苦労さまでした~
・・・といっても子どもたちの小学校入学以来、学校・教育関係には
一切首を突っ込まなかった主人のこと。
実は大学の授業料も仕送りの額もほとんど知らず、机の上に置いてあった
振込用紙を見てびっくり仰天しておりました

あと残るは(年2回の授業料より負担の大きい)仕送りのみ。
それもあと半年(で終わるはず・・・)。
どうか、次女が無事卒業できますように


そして今さらながら思うのは、子育てって本当にお金がかかる、ということ。
自分が子どものときはあたりまえのように習い事や塾に行き、
4年生の大学にも進学させてもらいました。
正直言ってそのときは半強制的に決められ、「親の見栄ちゃうの」と
当時は反抗的な気持ちもないではありませんでしたが、
今思えば単純に「子どものため」という親心だったのでしょう。
あの時代、娘三人にピアノから習字そろばん、塾にも通わせ
大学にも進学させる、というのはかなり大変なことだったと今ならよ~くわかります。

経験してみてはじめてわかる親の苦労。
そして、親になるとつい忘れてしまう子どもの頃の苦労哉・・・



    :::     :::     :::



↑の写真は主人が植えたアボカドです。
料理で使った後のアボカドを、主人が何回かチャレンジした結果
なんとか芽が出てやっとここまで大きくなりました。
子ども(や奥さん)のことはほったらかしなのに、野菜や植物には
不思議とマメな主人です。
・・・確かに、植物は口うるさく言わないものね~


コメント (6)
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想像ラジオ

2013-09-21 | 読むこと。



台風が過ぎてから、ずっと気持ちのよい青空が広がっています。
今のうちにと、義母宅の布団部屋にしまいこんである布団を
ぜ~んぶ引っ張り出してきて干しました。
お日さまにあたってふかふかになった布団の気持ちいいこと!
そのかわり、くしゃみと鼻水が止まらず耳鼻科へ行くハメになってしまいましたが

こんなふうに、台風のあとも私のまわりではいつもと変わらない日常です。
しかし、近隣の市や同じ市内の中でも浸水の被害にあった地域は、いまだに
泥だらけになった家や職場の後片づけにおわれているようです。
毎年お米を分けてもらっている主人の知り合いが、実家は床上浸水したものの
かろうじて新米は無事だったと、一昨日その新米を届けてくださいました。
でも、まわりの農家では田畑が水につかったり、稲が流されたりして
農作物にも大きな被害で出ているそうです。



こんな身近で自然が猛威をふるうのを目の当たりにした今、たまたま
手にしたのがこの『想像ラジオ』でした。
新聞の書評を読んでずっと気になっていたいたのですが、先週久しぶりに行った
図書館で見つけ読み始めたところだったのです。
震災のことを描いた小説として話題になり、読まれた方も多いと思います。
軽快な語り口で読みやすく、それでいて書いてあることはとても深い。
たぶん、読んだ人それぞれに深く感じる部分があったのではないでしょうか。


津波にあった赤いヤッケの男DJアークが、杉の木のてっぺんに引っかかり
仰向けになったまま軽快なおしゃべりを放送する・・・
というちょっとありえない状況で話は始まります。

そもそもDJアークは自分の妻や息子がどうなったのかを知りたくて
「想像ラジオ」を始めたのですが、リスナーがどんどん増えていくにもかかわらず
二人からはなんの連絡もありません。
一方でリスナーからは、それぞれ自分の状況や思いが淡々と伝えられていきます。
それを読み進むうちに、どうやら彼は津波に流されて死んでしまったこと、
同じように亡くなった人たちがリスナーであること、
そして、それが生きている人たちにも届いているらしいこと、
などが読み手にもわかってきます。
そう、彼は死者の声を想像力という電波にして放送していたのです。

別の章では、その噂を聞き、自分もその声を聴きたいと願っている作家S、
「亡くなった人の声が聴こえるなんていうのは甘すぎるし、
死者を侮辱してる」と訴えるボランティアの青年、
鎮魂のイベントをしたヒロシマで、亡くなった子どもたちの声を
聴いたことがあるというカメラマンのガメさんなど、
東北にボランティアへ行った彼らがその死者の声のことを話題にします。

生者と死者の両方から語られる「想像ラジオ」。
死んでしまった人たちの思いと、生きている者たちの思いが綴られます。
ボランティアを終えて帰る途中の車内での彼らの会話は、
私たちのそれぞれの思いを代弁しているようにも思えました。


大切な人を突然失ったとき、私はどうなってしまうのだろう。
災害や事故や事件がニュースになるたび、そんなことを考えてしまいます。
泣いて、泣いて、この世に絶望して、生きる意欲を失って、
それでも生きていかなきゃいけなくて・・・
もう一度会いたい、声だけでも聴きたい、ずっとそう願いながら
どうやって立ち直っていくんだろう、と。

あるいは、逆にもし自分の命が突然奪われてしまったなら?
何で自分が!?まだやりたいことはいっぱいあるのに。
残された家族を思うとまだまだ死にたくないのに。
そんな無念や家族への思いを、誰にどうやって伝えられるのだろう。

私が自分なりに思うのは、せめて自分がこの世に存在したということを
誰かに覚えておいて欲しい、そして時々思い出して欲しい、
ということにつきます。
それが自分の生存していた証であるような気がして。
だから思うのです。
世代が変わって誰も私のことを覚えてる人がいなくなった時点で
私は本当にこの世からいなくなってしまうのだろうな、と。

この作品でSがこんなことを恋人に話します。

「生き残った人の思い出もまた、死者がいなければ成立しない。
だって誰も亡くなっていなければ、あの人が今生きていればなあなんて
思わないわけで。つまり生者と死者は持ちつ持たれつなんだよ。
決して一方的な関係じゃない。どちらかだけがあるんじゃなくて、
ふたつでひとつなんだ。」


「・・・生きている僕は亡くなった君のことをしじゅう思いながら人生を
送っていくし、亡くなっている君は生きている僕からの呼びかけをもとに
存在して、僕を通して考える。そして一緒に未来を作る。・・・」


ああ、そんなんだ・・・
でも、こんなふうにある意味前向きに考えられるようになるのは、
たくさんの涙を流し、ぽっかりとあいた心を抱いてひとりで気の遠くなるような
時間を過ごしたあとなのでしょうけれど。


この作品を読んでいて、私が何ともいえない気持ちになったのは、
死んでいく人たちの恐怖、悲しさ、そしてどうしようもない悔しさが
伝わってきたことなのですね。
何でこの人たちが死ななきゃいけなかったんだろうという
理不尽な思いをを強く感じたのです。
それはこの震災のことだけじゃないですよね。
日々、事件や事故に巻き込まれて亡くなっていく人たちがいる。
いつか、家族や、友人や、あるいは自分もそうなるかもしれない。
突然自分の命が奪われる恐怖、憤り・・・
どんなに悲しんだって、誰かを罰したって、もう二度と生き返ることの
できない人たち。
その人たちのために、一体何ができるのか・・・

大きな事件も、甚大な被害をもたらした災害も、人は忘れていきます。
その時は悲しんだとしても、直接かかわっているのでなければ
自分の生活に、自分の抱えている問題に精一杯で、過去の事件や
災害のことにまでなかなか思いをはせる余裕などないのです。
だからこそ、写真や映像や文章で訴え、残していかなければならないのでしょう。
そういう意味でも、この作品は私にとって衝撃的な1冊となりました。

忘れないために、気になった箇所をここに書き留めておこうと思います。


死者と共にこの国を作り直して行くしかないのに、
まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。
この国はどうなっちゃったんだ。


「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。
まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。
でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて
耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。
死者と共に」


今まで僕が想像力こそが電波と言ってきたのは不正解で、本当は悲しみが
電波なのかもしれないし、悲しみがマイクであり、スタジオであり、
今みんなに聴こえている僕の声そのものなのかもしれない。
つまり、悲しみがマスメディア。テレビラジオ新聞インターネットが
生きている人たちにあるなら、我々には悲しみがあるじゃないか、と。




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大雨特別警報

2013-09-16 | 日々のこと。



京都府に大雨特別警報が出ました。
8/30に運用を開始して以来、初の発表だそうです。

夜中~明け方にかけて携帯にエリアメールは届くし、市の防災放送も
流れているようですが、雨風が強くてよく聞き取れませんでした。
窓を開けて外の様子を見ても、水につかっている様子もなく・・・
が、市内に避難勧告も出たようです。

ネットで川の水位を調べたりしたけれど、気になるので
雨が小止みになるのを待って近くの川の様子を見に行きました。
普段よりかなり水量も多く、ゴーゴーと音をたてて濁流が流れていきます。
でも、土手を越すことはなさそうかな。

市内では浸水している地区もあるとのこと。
長女のいる京都市内も、桂川が氾濫のおそれがあるというし
鴨川の水位も上がっていて心配です。
JRが運転見合わせなので、長女はバスで職場に向かったようですが。

どうか大きな被害が出たりしませんように。


 *先ほど京都府の大雨特別警報は解除されたようです。










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バジルソースつくり

2013-09-12 | 食べること。



先日、主人が畑のバジルをごっそり引き抜いてきました。
今年は一株しか育たなかったようですが、それでもかなりの量。
根っこごと水につけておいたのにだんだん萎びてきたので、
あわててバジルソースをつくりました。
それでも、水につけただけで黒ずんでしまいます。
あ~あ、もっと早くつくっておけばよかった・・・

なんとかきれいな葉っぱを選り分けて、にんにくと松の実を
すりこぎですりつぶし、バジルを加えてゴリゴリ、ゴリゴリ・・・
(我が家にフードプロセッサーなるものはないので、すべて手仕事)
バジルのさわやかな香りがふわ~っと漂います。
それにオリーブオイルを混ぜ、塩麹と胡椒で味を調えてできあがり!

夕飯は早速バジルのスパゲティ
この時期だけの贅沢です。

そういえば去年はバジルがたくさんとれて、乾燥させたり
大量につくったバジルソースを冷凍したりしたっけ。
それもこれも、全部主人がやってくれました。

・・・はて、去年の夏、私は何をやっていたのでしょう
たぶん、あれやこれやでそんな余裕もなかったんだろうなあ。
今年になって状況がよくなったというわけではないけれど、
だんだん慣れてきたということでしょうね。

今日は義母の誕生日。
86歳になり、私にとって未知の領域が広がっていきます・・・
コメント (2)
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家族そろっての誕生日

2013-09-05 | 日々のこと。



8月の終わりに娘たちが帰ってきて、久しぶりに家族がそろいました。
長女の職場の休みがカレンダー通りではないので、4人集まるのは1年ぶり。
しかもそのときは京都だったから、一緒に食卓を囲むなんていつ以来だろう・・・
来年次女が就職したら、家族そろうことがもっと難しくなくなるのでしょうね。

そんな貴重な我が家の夏休みに迎えた、主人の57回目のBirthday。
ここ数年、義母と私と三人だけの静かな誕生日だったので、
娘二人に相手してもらって嬉しそうなこと!
何よりのプレゼントだったんじゃないですかねー
いい1年になりそうかな
(↑の写真は、たまたま主人の誕生日に出かけた先で見つけた睡蓮)


今回遠出はできませんでしたが、長女のリクエストで海へ。
もうほとんど人がいない、夏の終わりの海。
娘たちが小さいときから、毎年何度も訪れた海です。





久しぶりに海に来た長女は、「泳ぎた~い!」と中学生のときに買った水着で
海に入っていましたよ
京都でもプールに通っているようだけど、やはり海は気持ちよさそう。
次女もめずらしく、膝上までじゃぶじゃぶ入っていきました。

それから4人で写真を撮ったのですが、何を思ったのか娘と3人で
海をバックにあまちゃんジャ~ンプ
もとはと言えば、私が「誰が一番ジャンプできる?」と言い出したのがきっかけ。
もちろん私が一番できないのはわかっているんですけどね。
それを主人がデジカメで連写したら、私のTシャツがめくれあがってて
お腹が丸見え。ぎゃ~
もう、みんな大笑い。
恥ずかしい夏の思い出ができてしまった・・・



慌しい一週間が過ぎてやっとほっこりです。
お天気のほうも暑さが一段落したのか、先週末からこちらはずっと雨。
あの暑さが一転、ここ数日は肌寒いほどに。
あれほど暑かった夏も、そろそろ終わりでしょうか。
あまりの暑さで中断してた引っ越しの準備、そろそろ再開しなきゃ~



コメント (2)
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