ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

八月の終わりに

2015-08-31 | 日々のこと。




8月も終わりに近づくと主人の誕生日です。
今年はちょうど義母がデイサービスへ行く日と重なったので、二人でランチを食べに出かけました。
先日からグリーンカレーを食べたいと言っていたのでFon Dinさんへ。

車で20分、海沿いの道を走り、山に入って下ったら海が見えてきます。
海の手前の駐車場に車を置き、少し歩くと・・・あった、あった。
普通の田舎のお家がお店になってるので見落としがちですが、今回はすぐにわかりました。
(道案内はこちら→

去年の6月に来たときエアコンがなかったので、汗かきの私はこの暑さ(この日は32度くらい?)に
辛いカレーを食べて大丈夫かなあ、と内心心配でしたが大丈夫。
海から常に涼しい風が吹き抜けていくので、とても涼しいのです。
(なので、座敷の奥より手前の席がおすすめかも)

お店の雰囲気は以前にも紹介しましたが、沖縄の歌やボサノバが流れる広い畳の間で、
美味しいカレーをいただきながらの~んびり、ま~ったり。
時間があれば2階のギャラリーを見たり、近くを散策したりしたかったけれど、義母が帰ってくるまでに
買物など用事をすまさなければならないので、名残り惜しみながら帰路につきました。

でも、ちょっとだけ海辺を散歩。








夏の終わりの海です。
ここは砂浜ではなく石ころなので、人影はなく魚を獲ってる人が数人いるばかり。
私たちは手頃な石を拾ったり、記念写真を撮ったり。





この写真、主人のお気に入りなので、記念にこっそりアップしちゃいました



一見年齢不詳の主人ですが、来年は還暦を迎えます。
長女からプレゼントされたタンタンのTシャツなんぞ着てても、けっして若くはありません(笑)

去年の心臓の手術から無事1年が経ち、先日お医者様から「もう受診しなくても大丈夫」と
お墨付きをいただいたそうです。
喉もと過ぎれば・・・で、アルコールの量がすっかり元に戻っているのは心配ですが、
仕事、畑、ランニングと、この暑いのによくまあ元気に動き回ること。
まあ独楽じゃないけど、くるくる回っている間は大丈夫かな~

また1年頑張ってもらって、来年は元気で還暦を迎えられますように!



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プチ同窓会 @倉敷

2015-08-24 | 日々のこと。





友人Hのお見舞いに、高校の時の同級生と一緒に倉敷へ行ってきました。
Hの病気を知って以来、ひとりでも倉敷までお見舞いに行こうか、行っても迷惑じゃないだろうか、
と悩んでいた矢先、私と違って行動的でフットワークの軽いYちゃんが地元にいるクラスメートに声をかけ
計画を立ててくれたのです。
ちょうど義母がショートステイの最終日だったので、帰宅後のことは主人に任せ、私も参加することができました。


地元からはK君、G君、Yちゃん、私の4人。
私は久しぶりに会うのですっかり同窓会気分で、車中の3時間おしゃべりであっという間でした。

予定より早く着いたので、せっかく倉敷まで来たのだからと近辺をちょっと散策。
「ちょっと待っててね~」と、女子(?)二人はちゃっかり雑貨屋さんでお買物(笑)
暑い中、付き合ってくれた男子二人に感謝です~


Hはちょうど抗がん剤治療が終わった後ということで、思った以上に元気そう。
H夫妻、四国から駆けつけてくれたY君、それにちょうど夫婦で小豆島を旅行中だったSちゃんが合流し、
総勢8人でランチをかこみました。
お見舞いというより、ちょっとしたプチ同窓会です。
昔の話に大笑いしたり、えっそうだったの?と驚いたり、懐かしい話が次々と出てきます。
H、K君、Y君、私の4人は中学も一緒だったので、最近ほとんど思い出すことのなかった
中学校の思い出話まで。
頭が活性化して、みんな今日1日でかなりボケ防止になったことでしょう(笑)
話は尽きなくて、場所をかえお茶を飲みながら4時ごろまで楽しく過ごしました。


行く前は、もし会って激をヤセしてたら・・・、昔みたいに話できなかったら・・・、と心配だったけど、
Hは今までとちっとも変らず元気そうで、― 元気にふるまってくれて ―
まるで普通に倉敷で同窓会をしただけ、みたいに、ばか話して大笑いして、みんなと一緒に
楽しい時間を過ごせて本当によかった。

私の高校生活は部活もせずあまり楽しくなかった、って主人や子どもたちに言ってたけれど、
こんないい友人に恵まれていたんだなー、と今になって気づきました。
H、Yちゃん、みんな、ありがとね


次の手術は難しいようで、それをできる病院に移らなければならないらしく、二人は
まだまだ大変な状況だと思います。
でも彼はなかなかしぶとい人間だし、生命力があるからきっと大丈夫。
10年前の同窓会で、次の同窓会の幹事はH夫妻ということになっていたので、
手術が終わったら連絡待ってるよ。
そのとき、また元気な顔を見せてくれると信じています 




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2015 それぞれの夏

2015-08-20 | 日々のこと。




この夏、長女が仕事を辞めました。
ちょっと特殊な職場で働いていて、めったにない経験もさせてもらったようですが、土日、祭日、盆正月休みなし。
忙しいときは10連勤なんてこともあって、3年間よくがんばったと思います。
そろそろ自分のやりたいことをしたい、そのためにはカレンダー通りの休みがほしい、ということで
今の職場を去ることにしたようです。

自分で安いアパートを見つけて自力で引っ越しもし、今は人生の夏休みとのこと。
同人誌を書き、アクセサリーをつくり、今度はまたライブ活動にも参加させてもらっているような。
彼女はどこに向かって行こうとしているのでしょうね。


ずっと引っ越して気分一新したいと言っていた次女も、新しいアパートを決めてきたようです。
まあ、こちらは帰りの遅かった営業から部署を替えてもらい、身体的には楽になったようでひと安心。
それでも、貯金して専門学校で新たな勉強をしたいという目標を持ってるよう。


迷いながらそれぞれの道を行く娘たち。
この年になってつくづく思うのは、「今しかできないこと」はその時にやっておかないと後悔するということ。
この先、思うようにいかなかったり、裏切られたり、泣いたり、落ち込んだりすることがたくさんあるだろうけれど、
それでも自分で決めたこと。
悔いのないよう、一歩踏み出してほしいと思います。

お母さんは、これからもずっと応援しているよ~


私はというと、義母がショートステイに行ってる間しばらくの夏休み。
お盆は娘二人が一緒に帰省し大忙しだったので、ゆっくりするつもりがあっという間に時間は過ぎていく。
できればスケッチの1枚くらい描いて、時間を気にせず本を読んで、この蒸し暑さとイライラを忘れたいのだけれど。
とりあえず、束の間の休息。
ゴーヤの緑に癒されます・・・


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『若冲』

2015-08-04 | 読むこと。
この暑さにめげて、一ヶ月ほど本のレビューを書きかけのままほったらかしておりました
週末アップしようとパソコンの前に座ったのだけれど・・・なんと最高気温が37.4度!
いつもなら風が通って涼しいリビングも、風がなくて湿度も高い。
今日も最高気温は36度。あ、暑いよ~~~




   ・・・     ・・・     ・・・








作者の澤田瞳子さんは『孤鷹の天』()以来のファンで、これまでに『満つる月の如し』、
『日輪の賦』(*)など主に奈良時代を舞台にした作品を読んできました。
どれも、新しい時代をつくろうとする真っ直ぐな若者を描いたものです。

で、今回その作者が若冲を取り上げたとあっては読まないわけにいきません。
図書館は予約待ちだったので、思わずAmazonでポチ。


伊藤若冲といえば、言わずと知れた江戸時代の京の絵師。
本の表紙になっている、色鮮やかで綿密に描かれた鶏の絵をご存知の方も多いのではないでしょうか。
以前、若冲と江戸絵画展()を見に行ったことがありますが、
鮮やかな色使いや図柄の斬新さに、これが江戸時代に描かれた絵!?と驚いたものです。
その若冲が、なぜあのような奇矯な描くようになったのか。
この作品では史料をもとに、作者独自の視点で若冲の人柄や人生を描いています。

また、若冲以外にも当時の京の絵師たちが登場したり、屏風祭りと言われた祇園祭や、天明の大火など
その時代の様子が丹念に描かれ、その時代の息遣いがいきいきと感じられる作品となっています。
それらの出来事が若冲の転機となるきっかけになったりと、史実とうまくリンクしているので、
どこまでが事実でどこからが作者の想像なのか、私のような素人には全くわかりません。
数少ない史料をもとに、まるで謎解きのようにピースをひとつずつ繋ぎ合わせ、若冲という人物を
作り上げていった作者の力量はすごいと思います。

作品は若冲の40代から亡くなるまでの出来事を、彼の作品と関連させた八つの連作で構成されていますが、
若冲と彼を憎む義弟の弁蔵、語り手である腹違いの妹お志乃を中心に、池大雅や与謝蕪村などの
京の絵師、ひとくせもふたくせもある幕府の役人などが登場し、ひとつひとつのエピソードが
ドラマティックに語られていきます。
そしてその中に描かれる若冲の絵の描写がこれまたすごい。
若冲の内面と、その絵を描くに至った背景が描かれているので(これは作者の想像なのでしょうが)、
ネットで絵を検索しながら、ここに出てくるのはこの絵か~、なるほど~、と感心しながら読み進めていきました。

彼がなんのために絵を描いているのか、そもそも絵とは何なのか、を、それぞれの
登場人物たちに語らせる場面はとても迫力がありました。
また、若冲の絵か真偽のわからない作品のことや、なぜ長い間忘れられていた若冲の絵が
近年ブレイクしたのかなどにも、作者なりの考えが書かれています。


「・・・絵というもんはすべからく人の世を写し、見る者の目を楽しませるもの。
けどお前の作は自分の胸の裡を吐露し、己が見たくないものから目をそむけるためのもんやろが」


そう言い放つ媼に若冲は尋ねます。
それならなぜ世の中にはこんな自分の絵を求める人がいるのかと。

「それはそいつらが、お前の絵の奇抜さや彩りの華やかさに眼を奪われ、絵のまことを見てへんからやわ」

そして二百年か三百年か後には、

「ふん、その頃にはおぬしの絵なぞ、世人より忘れ去られておろうよ。もっとも千年も時が流れ、
人が野の草花や生きることの美しさに気付かず、ただ他人を妬み、己の弱さに耽溺するばかりの世となれば、
また違うかもしれぬがのう」


なかなか手厳しいお婆さんです。
しかし、そこから若冲は千年先に残せるような絵「鳥獣花木図屏風」を描くのです。

かと思えば、元は江戸の勘定所で切れ者として働き今はおちぶれた役人が、
若冲が描いたという屏風を、義弟弁蔵が描いた贋作だと気づきこう言います。

「それがしは絵とは、人の世が如何様に移り変わっとて、一分たりとも姿を変ぜぬまま、
そこにあるものと信じておりました。」
「いかに世が推移したとて、絵は決して姿を変じませぬ。描き手である画人が没しようと、
それを描かせた大名が改易になろうと、美しき絵はただひたすらそこにあり、大勢の人々を
魅了いたしましょう。ならばその世々不滅の輝きを守ることこそが、儚く変ずる世に生きる者の
務めではございますまいか」


そして、姉を自殺に追い込んだ若冲を許さなかった義弟弁蔵も、最後には若冲の絵を認めて言うのです。

「・・・わしはやっと分かったんどす。若冲はんの絵は、わしら生きてる人の心と同じなんやないやろか、と」
「美しいがゆえに醜く、醜いがゆえに美しい、そないな人の心によう似てますのや。
そやから世間のお人はみな知らず知らず、若冲はんの絵に心惹かれはるんやないですやろか」



ふーむ・・・
もう一度、じっくり若冲の絵を見てみたくなりました。
実を言うと、この作品の若冲と、私が抱いていた若冲のイメージが全く違うのです。
それと、若冲を憎む義弟の弁蔵が、わずか4年で若冲の絵の贋作を描けるほど絵が上達するのか?
という点も違和感を感じたのですが・・・
今度図書館へ行く機会があったら、作品集を探してみよう。
この本を読んでから見たら、また違った印象を受けるかもしれませんね。


ところで、今年の芥川賞では又吉さんの『花火』ばかりが注目を浴びましたが、実はこの『若冲』も
候補にあがっていたんですよね。
歴史を専門に研究された方だけあって、その時代や人々をいきいきと描く作家さんです。
(お母さまは時代小説を書かれる澤田ふじ子さん)
歴史ものが大好きな私としては、今後もおもしろい作品をぜひ期待したいと思います!



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