ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

少女のころ

2007-03-29 | 読むこと。

         『ミーナの行進』
           小川 洋子


初めて小川洋子さんの作品を読んだのは、『博士の愛した数式』です。そのとき、ああ、こういう小説もあるのか、と新鮮な驚きを感じました。
劇的な何かが起こるわけでもない、淡々と描かれる日常の描写からは、静かで透明な気配が伝わってきました。この『ミーナの行進』も、そんな空気感が伝わってきます。

主人公と病弱で美しいいとこミーナの少女時代が、芦屋のお屋敷を舞台に懐かしく綴られています。そこからは、壊れそうにはかない気配が漂う一方で、生命力に溢れたカバのポチ子によってユーモラスも感じられます。そのポチ子の背に乗って小学校へ通うミーナには、牧歌的な雰囲気と、そうでもしないと小学校にも通えないミーナのはかなさと、両方を感じてしまいます。

そう、この物語で感じたのは、両極にいる一対のもの。
裕福な家庭のミーナと、父が亡くなり母の事情でその家庭にあずけられた朋子。
病弱なミーナに、健康的な朋子。
本好きのミーナが恋心を抱くのは、父の会社の清涼飲料水を配達するお兄さんで、ミーナに頼まれ図書館に本を借りに行く朋子が憧れるのは、図書館のカウンターにいるとっくりを着た青年。
ミーナという少女の中にも、マッチ箱に描かれた絵から物語を紡ぐ繊細な面と、男子バレーボールに夢中になる活発な面があります。
そういう意外な設定がおもしろく、気になりだすと、お手伝いの米田さんとドイツ人のローザおばあさまなど、次々と見つかります(いや、これはストーリーとあまり関係ありません)。でも、この両極の一対を描くことで、両者をそれぞれより印象深いものにしているような気がしました。

この作品についてよく言われるように、私のような世代が読むととても懐かしく感じられます。テレビアニメ「ミュンヘンへの道」(私も男子バレーが好きで、毎週観てました)や、ジャコビニ彗星(これはあまり覚えてないけど)など、時代設定にまつわるエピソードの使い方がとてもうまく描かれています。
芦屋という土地柄のせいか、関西弁もおっとりとしてて、古き良き時代を感じさせられました。

ミーナが綴るマッチ箱のお話や、めったに家に帰ってこない叔父様が、家に帰ってくると壊れたものを修理する話、孤独な叔母様の活字の間違いをみつけるために本を読む趣味(?)など、どのエピソードも独特の雰囲気を醸し出しています。現実にありそうで、すべておとぎ話のようで・・・。

病弱なミーナが、いつか死んでしまうのでは、とはらはらしながら読んでいたのですが(どこか死の気配が漂っていて)、結末は意外なものでした。ちょっと、拍子抜けしたくらい。これも、現実を生きる中年女性を描くことによって、はかない少女時代をより鮮明に描き出そうとしているのでしょうか。

カラーの挿絵がとても素敵で、この作品の独特な雰囲気をより印象的なものにしています。
少女時代の、大切な宝箱のような1冊でした。
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リトルジャマー

2007-03-26 | 日々のこと。

きのう、「小樽からのラブ・レター」という企画展を見に行ってきました。
私の住む町とフェリーで結ばれているいる小樽の、ガラス工芸やオルゴールが展示販売されているのです。

ガラス工芸では、切子のガラス食器やステンドグラスのランプなど、ため息の出るような美しさ(お値段を見てもため息が・・・)。
最近お皿をしょっちゅう割って(今朝もやってしまった・・・)、子どもに心配されてる私にはとても手が出ません
目の保養だけさせていただきました(笑)。

その企画展があったレンガ造りの市政記念館で、↑こんなの見つけました。
ジャズを演奏するフィギュアです。
それがまた、演奏によって人形がちゃんと動くんです~
ピアノの高音であればピアノマンの右手が、低音であれば左手。
おまけに微妙に首も揺れるんですよね~。

子どもと3人、このフィギュアがすっかり気に入って、3人で交互に携帯で写真を撮るやら、動画を撮るやらして騒いでしまいました
次女なんて、また見に来た~い、だって。

それにしても、数曲聴いたのに、トランペットを吹くフィギュアが一度も動かなかったのはなぜでしょう?
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老いて、生きる

2007-03-25 | 読むこと。

 『母のいる場所 シルバーヴィラ向山物語』
                久田 恵


1月に近くに住む義父が脳梗塞で入院。退院したものの要介護4になりました。いつかはこんな日が来るとわかっていながら、ずっと目をそむけていた問題に直面し、正直とまどうことばかりです。

まだ独身のころ、祖母が当時のいわゆる痴呆症になり、短い期間でしたが母と介護をしたことがあります。そのころはもちろん介護保険もなく、何もかも母とふたり手探りで悪戦苦闘の日々でした。
そのとき、老人介護の本を何冊か読みましたが、どれも老人施設の悲惨な状況を書いたものばかりでした。今回も、介護サービスのことを知りたくて図書館で何冊か本を借りましたが、介護の現場の悲惨なレポートで、読むのもつらくなるようなものばかり・・・。

その中で、この『母のいる場所 シルバーヴィラ向山物語』は、父親と一緒に母親の介護をし続けてきた作者が、自分の心の葛藤や、母親が入居した有料老人ホームの個性的な入居者のことなどが温かい目で書かれていて、年をとるということ、自分の生き方、死に方まであれこれ考えさせられました。

作者の母親は脳血栓で倒れ、リハビリで歩けるようになったこともあるものの、年とともにだんだん寝たきりという状態になってしまわれたのでした。シングルマザーだった作者と、会社人間だった父親との10年にわたる在宅介護は、いろんな問題を抱え、けっしてスムーズだったわけではありません。父親が高齢になったことや、作者自身仕事と介護に追われる日々に限界を感じて、やむにやまれず母親を老人ホームに入居させる決心をされたのでした。

そこは、恋愛OK、お酒も外泊も自由の「高齢者専用長期滞在ホテル」。入居者のことを一番に考えてる経営者にヘルパーさんたち。まだ介護保険が導入される前の話ですが、こんな素敵な老人ホームがあったんだ、と驚きました。こんなところだったら年をとってひとりぼっちになっても安心だろうなあ、と思わずにはいられません。
入居者たちもそれぞれに個性的。もちろん「お分かりになる方」ばかりではなく、「お分かりにならない方」もロビーを徘徊されています。それぞれに、いろんな人生をくぐり抜けてきたお年寄りばかり。けれど、どんなお年寄りに対しても各自の自由を尊重し、お客様として接する経営者やヘルパーさんたちの態度に、ああプロなんだなあと感心させられました。

そんなヘルパーさんたちや、いろいろな入居者たちとの交流を描く中、まだ母親が動くことのできたころ、ひもを集めて自殺をはかろうとしたことがある、と書かれたところは、読んでショックを受けました。妻として母親として何一つできない自分、それどころか家族に世話されて、娘の人生さえ自分のせいで狂わそうとしている、そんな状況で生きることは、母親として耐えがたいことだったのでしょう。頭はしっかりしているのに、身体は自由に動かない、そんな状態は本人には地獄に違いないのです。
しかし、作者にとっても、父親にとっても、彼女は生きる支えでした。ふたりの介護からは、(それぞれにやり方は違って衝突することがあっても)彼女に対する愛情が滲み出ています。愛情をもって介護できるなんて、本当に羨ましいことです。いや、実際、愛情とか尊敬とか、そういうものが根底になければ、毎日毎日とてもできることではありません。けれど、実際は介護する方の心が疲れて、すりへって、心の余裕をなくしてしまうのです。

作者の場合、この老人ホームに母親を入居させたことによって、このホームに関わる人々にどれだけ救われたことでしょう。それはヘルパーさんたちによってだけではなく、様様な人生経験を経たお年寄りに寄り添うことで、作者もまた彼らに支えられてきたのでしょう。

母親が亡くなったとき、作者はこう書いています。

・・・母の死に方は私の死に方でもあったのだ。老いることも、死ぬことも生半可ではない。どれほど困難なことなのか。家族がいようといまいと、かたわらに誰がいようといまいと、結局は孤独な一人の戦いで、誰もがそれを自力で乗り切らねばならない。
だから、「人が死ぬということは、こういうことなのよ」と母はこの日、私にしかと教えてくれたのだ。

誰もが避けることのできない老い、そして死。それが個人的な問題だけではなく、超高齢化社会に突入していく中で、社会的な問題になっていこうとしています。
どんなふうに老いるのか、老いたらどうなるのか、そしてどんなふうに死んでいくのか、せめてまだ自分の頭で考えられるうちに、考えておかなければ、と思います。
 
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慌ただしい春

2007-03-23 | 日々のこと。


3月だというのに寒い日が続いていましたが、きょうは久しぶりに暖かな日差し。
気がつけば、しばらくブログの更新もしていませんでした

次女の高校入学の準備や買い物(あっという間に万札が・・・)、義父の介護の雑事と、私にしてはめずらしく毎日くるくると動き回っています。
おまけに春休みに入った長女は、文化祭の劇の脚本を書くため、すきを狙ってパソコンの前に座っているし。

今週に入ってようやくゆっくりパソコンの前に座れました。
読んだ本のレビューも書きたいのですが、なかなか時間がとれません。
しばらくこんな調子で過ぎていきそうな春です。
ぼちぼち、おつきあい下さいませ・・・

日々の慌ただしさに関係なく、アネモネ、パンジー、ヴィオラ、椿、沈丁花、クリスマスローズと、我が家のプランターは春の盛りを迎えようとしています。
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お彼岸

2007-03-18 | 食べること。



寒い日が続き、きのうはちらほら雪が舞っていました。
お彼岸だということもすっかり忘れていて、慌ててお墓に供える花を買いにいったり、急遽おはぎをつくることにしたり。
これまで義母がすべてやってくれていたのですが、今は義父の介護でつきっきりの毎日。
私たちが、そういうことを受け継いでいかなければならない時期になったようです(遅いくらいですよね)。

お墓掃除はおとーさんに頼み、私は年末に買った小豆と頂き物のもち米があったので、子どもたちとおはぎをつくることにしました
午前中に小豆を煮て冷ましておいたので、私がもち米をまるめると、となりで次女が餡で包んでいきます。
長女はもち米の中に餡を入れ、まわりにきな粉をまぶします。
ひとりだと大変ですが、3人で分担すると思ったより早くできました。

去年初めて挑戦したときは、古い小豆で餡が少しかたかったけど、今回は甘さも控えめでとても美味しく出来上がりました。

若いころはおはぎは買うもので、まさか自分がつくるようになるとは思ってもいませんでした。
それも食べたいと言ってくれる家族がいるからで、おとーさんと二人きりになったら、たぶんつくらないだろうなあ・・・。

お酒のあてにはならないけれど、子どもたちとつくったおはぎをお腹一杯と言いながら食べてくれたおとーさん。
走っても、走らなくても、食欲はまったく変わらないようですね
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