ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

その後のこと <2>

2008-07-24 | 介護
まだまだ毎日暑い日が続いています。
もう、ほんと、充分なんですけど~(泣)

昨日の最高気温は38.6度でした。
私の住むところでは、観測史上初、なんだそうです。

ピンボケですが、これ、室内の温度計。



わかるでしょうか?
36度のところをさしてます。
2階の階段の横の、我が家では一番風通しのいい場所でこの温度!

この暑さ、当分続くそうです   やれやれ・・・。



  ・・   ・・   ・・ 



義父が亡くなってから、初めて経験した葬儀のことを書きましたが、
その次に大変だったのがさまざまな手続きでした。
特に世帯主が亡くなった場合には、あれもこれも名義変更しなければなりません。
これを、まだ悲しみも癒えない、年老いた義母がするのは無理です。
戸籍謄本や印鑑証明が必要だったり、
たくさん書類を書かなければいけなかったり。
それで、ほとんど主人と私でやったわけですが、
気のついたことを簡単に書き留めておきます。



<手続き>
お葬式が終わって、やれやれ・・・と思う間もなく、
めんどうな名義変更などの手続きが必要になってきます。


・預貯金
話には聞いていましたが、義父が亡くなると
すぐに義父名義の預貯金はすべてストップしてしまいました。
凍結された預貯金を引き出すには、亡くなった人の戸籍謄本や
相続人全員の印鑑証明などをそろえなければいけません。
それも金融機関によって違うので、郵便局、銀行、信用金庫と、
それぞれ行って説明を聞き、書類をもらいました。
(改製原戸籍といって、義父が生まれた場所の
 古い戸籍を提出させられたところもありました)

葬儀には、お布施や車代、ちょっとした食事代など、
現金が必要になってきます。
我が家では、義母があらかじめ用意しておいてくれたので助かりました。
金融機関がどの時点でストップするのかわかりませんが、
できるだけ早くお金をおろしに行くとか、
ある程度準備しておくとか、考えておいた方がいいかもしれません。

また、できれば預貯金や保険の一覧表などを前もって作ってもらっておけば、
その後の手続きがかなりラクなんですけどね~
通帳探しからするのは大変だと思います。

それ以外にも、公共料金の引き落としに、火災保険、年金など
世帯主が亡くなると名義変更の手続きも速やかにしなければいけません。
義父はもう年だったので生命保険には入っていませんでしたが、
加入していたら保険会社に保険金を請求する必要があるでしょう。
手続きの前に、まず戸籍謄本や印鑑証明など、
どんな書類が必要になるか調べておいて、まとめて用意したらいいと思います。


・準確定申告
義父は不動産所得があり、毎年確定申告をしていました。
亡くなると、今年に入ってから亡くなる日までの分の
準確定申告を四ヶ月以内に提出しなければなりません。
我が家の場合は、義父の確定申告を以前から私がやっていたので、
このあたりは問題がありませんでした。
ただ、四十九日や他の手続きなど忙しいときなので
期限の4ヶ月まであっという間です。
慣れないと手間取るので、早めにとりかかり、
これまでの控えがあればそれを参考にしたらいいと思います。


・相続税
財産家の方はもちろん(笑)、たくさん土地を持ってる、とか、
都会に土地や家を持っておられる場合には、
相続税がかかってくることがあります。
(基礎控除額は5000万+法廷相続人ひとりにつき1000万
 法廷相続人がふたりなら課税価格が7000万以上で、相続税の申告・納税が必要になってきます)
うちは関係ない、なんて思っていたら、
自宅の土地だけでけっこうな資産価値があった、という場合もあるらしいですよ~
土地の価格は固定資産税の評価額ではなく、
路線価を調べて計算する必要があります。
(固定資産税の評価額よりこちらの方が高くなるので注意)
相続税の申告・納税は10ヶ月以内です。

・登記
土地や建物を相続した場合、相続人の名義に登記を変更しなければいけません。
意外だったのですが、これには期限がないのです。
実は我が家もまだ。
期限がないとつい後回しになってしまうんですね~
よく、故人の名義のまま、という話も聞きますが、
次の相続のとき大変なので、やはり早めにするほうがよさそうです。
主人が自分でやる!と言い続けているので、任せています。
でも、いつになるんだろう・・・。



我が家は両親宅とはすぐ近くなので、普段の生活のことはだいたいわかります。
たとえばどこの金融機関に貯金をしているかとか、
どこの火災保険にはいっているか、などなど。

しかし、これが実家となるとまた話は別。
貴重品がどこにあるのかも知らなかったし、
預貯金のことも保険のこともわかりません。
義父のことがあったあと、一度確認しておきました。

たとえばお正月など兄弟・姉妹が一同に集まったとき、
宴会だけで終わらず、みんなでそういうことを
確認するのもいいかもしれませんね。
わしゃ、まだ死なんぞー!と言う、
元気なお父さんもいるかもしれませんが(笑)

親が亡くなったとき、残された家族は精神的なダメージだけでなく、
そういう煩雑な雑事に追われて心身ともに参ってしまいます。
そんな負担を少しでも軽くできるよう、心積もりをしてほしいし、
私自身考えておかなければいけないなあ、と思います。

とりあえず、おじいちゃん、おばあちゃんの時代の着物とか、
もう使わない古い食器とか、そういう類のものは
親の代で処分してほしい、と切に願います・・・





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その後のこと <1>

2008-07-15 | 介護
これまで、義父の介護のことをあれこれ書き綴ってきました。

そして、今回初めて親の死というものを経験し、
人ひとり、この世からいなくなるということは、
ほんとうになんて大変なことなのだろう、ということを
今さらながら痛感しました。

ほとんど予備知識もなく、何がなんだかわからないままに、
葬儀屋さんの言われるとおり行ったわけですが、
驚いたこと、大変だったことを、反省も含めて書き記しておこうと思います。



<取調べ!?>
義母から聞いたところによると、朝、薬を飲ませようと席をはずしてる間に
義父の意識がなくなっていたそうです。
主人と私は義母の電話ですぐにかけつけ、
確かにいつもと様子が違うので慌てて救急車を呼びました。

室内で心臓マッサージを繰り返されたあと、義父はストレッチャーで救急車の中へ。
救急車が来たものだから、近所の方も心配して家の前に出てこられていました。
その中に、近くの交番のおまわりさんの姿があったので、
あれ、何で?と一瞬不審に思いましたが、こちらもそれどころではありません。
救急車には義母と主人が乗り、私は家の戸締りをし、
とりあえず洗い物や、放り出したままの洗濯物を干してから病院へ向かいました。

義父は救急治療室へ運ばれ、主人は私と入れ替わりにいったん戻り、
義母と私が治療室の前でおろおろしながら待っていました。
そこへやって来られた刑事さんふたり。
義母と私と、それぞれに事細かく質問されます。
義父の意識がなく、どうなるかと心配なときに
もう、なんであれこれ質問されなきゃいけないの
と心外だったのですが、ふと、これって取調べ!?と気がついたんです。

こういう場合、救急車を呼ぶと警官が来るらしいのですね。
私のほうにつかれた刑事さんはまだ若く、
いらいらされてる様子で、何度も聞き返されます。
こっちもキレそうだったけど、悪い印象もたれても・・・と
へんなに気を回してしまい、我慢強く答えました~

途中で義父の担当の先生が来られて説明され、ようやく無罪放免。
こちらはなんとも後味悪かったのですが、確かに老人虐待とか、
介護疲れで殺人という事件が起きる昨今。
取調べされても仕方ないのでしょうけど、
何もこんなときに、と思わずにはいられませんでした。


<するべきこと>
親の死は、それでなくても気が動転してるというのに、
喪主ともなれば、次々といろんなことを決めていかなければいけません。

・死に装束
まず、病院で「ご臨終です」と言われたあと、
早速看護婦さんから、死装束はどうしましょう、と聞かれます。
義母も突然のことで、どうしていいかわからない様子。
主人のおばあちゃんのときは経帷子だったように思いますが、
義父が生前着ていた着物になりました。
湯灌も着付けも、すべて看護婦さんがしてくださいました。

・葬儀社
葬儀社は、近くにできたときに会員になっていたところがあったので、
主人がすぐ連絡を取りました。
病院に迎えに来てもらったときから、すべておまかせ、です。
枕飾りなど、一式整えていただきました。
主人の祖母のときは自宅で亡くなったので、大変だったと思います。
長女が生まれて間もなくのことだったので、私は何もしていませんが、
叔母さんたちが、ああでもない、こうでもない、ウチではこうだった、
みたいなこと言われるんですよね(特に田舎の方)。
それを思うと、一切合財葬儀屋さんに任せたほうが、
もめなくていいかな、と思いました。

・連絡
その夜は親戚や友人・知人への連絡です。
これがまた大変。
普段はしっかり者の義母ですが、さすがに頼りにならなくて、
古い住所録や年賀状を頼りにあちこちに電話をかけました。
相手もお年寄りが多いだけに連絡が取れなかったり、
また、古い親戚など、どこまで連絡すればいいかわからなかったり。
あとになって義母から、○○に連絡してなかった~、ということも聞きました

・打ち合わせ
翌日は葬儀屋さんと葬儀プランの打ち合わせです。
カタログをひろげ、さあ、どれにいたしましょう、ということですね。
正直言って違和感を覚えましたが、これを決めないことには先に進めません。
このへんは義母の意向を聞き、希望通りにしました。
その後は会場の大きさや、お供え物、花輪など
ひとつひとつ、わからないながらも決めていかなければなりません。
会場の大きさにしても、一体どれくらいの方が来てくださるのか・・・。
そんな相談をしている最中にも、主人の携帯に仕事関係から
お悔やみの電話がかかってきます。
それを聞いて、葬儀屋さんから大きいほうの会場を薦められました。
こんな具合にアドバイスを受けながら決めていきましたが、
終わったときはどっと疲れました~

葬儀社の方は親切で、わからないところはいろいろ教えてくださいました。
葬儀は大金が動くだけに悪徳業者も多いようですが、
良心的だったのではないかと思います。
でも、お供え用に頼んだ果物の缶詰が国産ではなく、
この値段で外国産か~、とがっかり。
結局、あとでほとんどバザーに出しました。

・遺影
遺影にどの写真を使うか、これも決めるのがなかなかでした。
まず、アルバム探しからです。
義母が出してきてくれるものの、古いのばかり。
義姉とあれこれ言いながら、ときどき義母の思い出話に中断しつつも、
なんとか決めることができました。

・喪服
喪服は、結婚の際ひと揃え用意してもらってはいましたが、
翌年に祖母が亡くなったとき以来、着物は全く着ていませんでした。
必要なものはひとまとめにしてあり、○○がない~、
ということはありませんでしたが、直前になって、
半襟がついてないことに気づき、これには焦りました~
え~、どうするんだっけ!?と着付けの本を引っぱり出し、慌てて縫いました。
子どもたちの喪服は、高校生だったので制服で間に合いました。
今後は、そろそろ喪服の準備もしておかなければなあ、と思っています。



遺影にしろ、死装束にしろ、連絡先にしろ、本人の意向が聞けるものなら
聞いておいた方がいいと思います。
それで家族の負担がぐっと減るのですから。
預貯金や保険のことなども含めて聞いておいたら、
あとの手続きがずいぶんラクになります。

死んでしまえば自分の葬式には口出しすることができません。
そう思うと、こんなお葬式にしてほしい、とか、
生きているうちに考えておいて、家族に伝えておくことも必要ですね。
私もいずれ子どもたちに頼んでおかなければなあ、と思っています。
子どもの負担も軽くなるし、なにより自分自身の最後の儀式ですから。

先日も、
お父さんより先だったら、お墓に入りたくなーい。
知らないご先祖さんの中で小さくなってるの、イヤやもん。
などとワガママ言って、長女にあきれられてしまいました



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介護のこと <最後に>

2008-07-10 | 介護
義母から電話のあった翌朝、
とうとう義父は帰らぬ人となりました。
往診をお願いする病院への紹介状をもらいに行く
ちょうどその日のことでした。

連休でなければ、もっと早くなんとかなったかもしれません。
しかし、もし往診を頼んだとしても、口から食事が入らなければ、
結局管を入れて栄養を摂るしかないのです。
食べることの好きだった義父が、果たしてそれを喜んで受け入れたでしょうか。
また、受け入れたとしても、実際自宅で義母とどこまで義父を介護できたか、
正直言って自信がありません。
実際、そうやって何年も介護しておられる家庭は
たくさんあるのでしょうけれど・・・。

義父が退院して亡くなるまで、3ヶ月ほどのことでした。
しかし、わずかそれだけの期間でも、
介護する家族はあれこれ悩み、迷い、そして疲れ果てます。

介護保険制度ができて、以前のことを思えば
サービスを利用しやすくなり、家族の負担は減ったかもしれません。
しかし、介護の実情はひとりひとり違います。
本人がサービスの利用を嫌がってはどうにもしようがないし、
また、ショートステイを利用したくてもベッドがいっぱいで
利用できないということもあるのです。

それに、今問題となっているように、
せっかく希望して介護職についた若い人たちが、
給料が安いために離職していくという現状があります。
超高齢化社会になって、年老いた親たちが次々と介護が必要になったとき、
私たちはどうすればいいのでしょう。
いえ、自分たちが年老いたとき、一体どうなるのでしょう。
家族の介護では限界があるのに、介護施設は人手不足、
あるいは経営が成り立たず閉鎖、という事態を考えるとぞっとします。

また、今さらながら感じたのは、「嫁」という立場の微妙さ。
おかげで、あれこれ悩んだり、嫌になったり、落ち込んだりしました(苦笑)

しかし、結婚したときから私とは考え方が違うなあと思って、
当たり障りのない接し方しかしていなかった義父と、
時には考えの違いから大声で言い合いになったり
(ほんとになんて嫁でしょうね~・汗)、
最後には「頼りにしてる」と言ってもらったり、
ようやく本音でつきあうことができたのかもしれない、と思います。
瀬戸際になって、お互い本性が出たのかもしれませんね(笑)


もはや、他人事ではない介護の問題。
子どもたちにはこんな苦労はさせたくない、
どうせ死ぬならぽっくり逝きたいわ~
祖母を介護していたときによくつぶやいてた母の言葉を、
今この年になって、そっくりそのまま繰り返しています。

どうか、子どもたちまでこの言葉を繰り返すことがありませんように。
年老いても、ひとりになっても、
騙されたり、見捨てられたりしない
安心して老後を暮らせる社会になってほしいものです。

そして私自身、先日亡くなられたターシャ・テューダーさんのように
自立したおばあさんになれたらいいなあ、と思います。
心身の老化を止めることはできないけれど、
生き方や考え方、あるいは暮らし方で、
20年後30年後の自分が少しは変わってくるかもしれませんものね。


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介護のこと <病院で>

2008-07-03 | 介護
我が家の近くには総合病院があり、
急病のときでも救急外来で診察していただけたので、
これまでずいぶんお世話になりました。

しかし、現在医師不足が問題になっているように、
こちらでも産婦人科や整形外科が閉鎖され、
今年になってからは内科も紹介のみ、と、だんだん縮小されていきます。
頼りにしていただけに、この先どうなっていくのかとても不安です。



さて、義父が何度か入院したのもこの病院でした。
脳梗塞で退院した後も、各科の定期健診以外に
体調を崩すたびにしょっちゅう受診していました。

どの看護婦さんもとても忙しそうですが、
親切に接してくださり、いつも頭の下がる思いでした。
以前にも書きましたが、車椅子からベッドへの移動など、
ひとりでひょいっとされるんですよね。
一見、簡単そうですが、やってみるとこれがけっこう難しい。
看護婦さんの仕事を間近で見ていると、
仕事とはいえ、精神的にも体力的にも大変だなあ、と痛感します。

食欲がなくなってからは、受診のつどに点滴をしてもらいました。
しかし、体力が落ちてからは、通院に車に乗せるのさえ大変で、
義母、主人、私の3人がかりでした。
どうにも乗せられず困っているとき、介護タクシーを教えていただき、
なんとか病院へ行くことができました。

しかし、このまま通院を続けるのは、本人にとっても、
私たち家族にとってもかなりの負担です。
それで、自宅に往診していただける病院を紹介してもらったらどうだろう
ということで、一度担当の先生に相談してみることにしました。


実は、その先生というのは心臓が専門の先生。
義父がずっと看ていただいていた先生が春に移動になり、
義母が自分の担当の先生にかえてもらうよう頼んだのだそうです。
しかし、先生にしたら義父の症状は専門外なわけです。

義父が食べ物を飲み込むことが困難になってきたから
自宅でなんとかしたいと相談しても、
まず消化器科の先生に看てもらわないとなんとも言えない、
とおっしゃいます。

病院へ連れて来るのがもう大変なんです、と訴えたのですが、
先生の方も、どこが悪いのか診ないことにはどうにもできない、
家族ならおんぶしてでも連れてこなあかんやろ、とおっしゃいます。
医師には医師の見解があり、家族には家族の事情があるわけですね。

とりあえず、消化器専門の先生に予約して、
後日診ていただくことにしました。
当日、なんとか義父を病院へ連れて行き診察を受けました。
先生が言われるには、胃カメラの検査をして、
消化器に異常がなければ紹介するとのことでした。
・・・できれば、診察と検査と一度ですませてほしかったのですけど(涙)

それが5月の連休の前のこと。
連休の合間になんとか検査の予約をいれ、介護タクシーも予約しました。

しかし、当日になって、義父が車椅子にすら乗れなくなったのです。
緊張からか、身体がつっぱってしまって身体がどうにも動きません。
ベッドから車椅子に乗せるのに、タクシーの運転手さんにも
手伝ってもらいましたが、義父もパニックになっていたのでしょうか。
身体を動かすのをこわがって、ベッドの柵から手を離しません。
体力のおちた義父の、どこにこんな力があるのだろう、
と思うくらい必死で握っています。
なんとか指を1本1本離し、汗だくで車椅子に移動させたら、
今度は腰を曲げて普通に坐ることができません。
なんとかずり落ちないようにだけして、
介護タクシーで病院へと急ぎました。

この調子で胃カメラの検査ができるのだろうか、と不安だったのですが、
案の定、検査の前に飲む薬がほとんど飲めません。
検査のときは出てくださいと言われたので、義母と外で待っていました。
液体すら飲み込むことができなかったのに、
胃カメラの管は入ったのでしょうか・・・。

検査の結果、消化器に異常はないとのこと。
缶に入った栄養ドリンクを出してもらい、
往診してくださる病院の紹介状を頼んで帰りました。やれやれ。

あとになって義母から、心配だから入院させてもらえないか
先生に頼んだけれど断られた、という話を聞きました。
以前なら、一晩入院して様子をみましょうか、などと言ってもらえたのですが、
今では簡単に入院もさせてもらえないようです。


病院の紹介状は連休明けに取りに来てください、と言うことでしたが、
正直言って、この連休が持ちこたえれるか不安を感じていました。
連休には、親戚も何人かお見舞に来られました。
義父の意識はしっかりしていたので、
久しぶりに会う親戚の顔もよく覚えていてうれしそうでした。

なんとか無事連休も過ぎ、明日紹介状をもらいに行くという前の晩のこと。
義母から電話がありました。
(このころになると、夜の電話はどきっとします)
もう薬も飲み込めず苦しがっているけど、どうしよう、と
義母も涙ぐんでいます。
すぐに、主人と様子を見に行きました。

口の中に薬が残ったままで、しかも、痰がからんで苦しそうです。
薬を取り出し、痰を吸引し、わずかでも水分をとらせ・・・。
もう、それくらいしかできることはありません。
「明日、紹介状をもらってくるから、往診に来てもらえるよ」
と、励ましはするものの、この夜、初めて
もう、だめかもしれない、と思ったのでした・・・。






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介護のこと <訪問看護>

2008-06-14 | 介護
ショートステイの後、訪問看護に来ていただくことにしました。
これも以前、義父母が気に入らないと断ったことがあります。
しかし、今回は前に比べて症状も重く、よく熱も出るので
看護士さんに入ってもらったほうが安心だから、と説得しました。

実際来ていただいて、本当にありがたいと思ったのがこの訪問看護です。
はじめは体温や血圧を計ってもらい、
体調管理や介護の相談にのってもらえたら、ぐらいのつもりでした。

しかし、なかなかお風呂に入れない義父には、
身体を拭いたり、髭剃りをしたりしてくださいました。
また、お風呂に入れないかわりに、
血行が悪くむくんで紫色になった足をお湯につけ、
ていねいにもみほぐしてくださいます。
そしててきぱきと着替えをすませ、これでだいたい1時間。
時間があれば、お薬の飲み忘れがないかなどの
チェックもしていただきました。


訪問看護の方が来られるとき、なるだけ私もいるようにしました。
お湯の用意など、義母の手伝いということもありますが、
身体の動かし方、介助のしかたなど、見ていてとても勉強になるからです。

介護を経験して初めてわかったことですが、
どんなに体格が小柄でも、いざ動かそうとすると、とても力がいります。
病院で看護婦さんがひょい、と車椅子に乗せたりされるとびっくり。
コツがあるんですね。
義父を移動させる役目が多かった私は、あちこちで技を盗み見してました(笑)



入院しているころから、入れ歯の調子がわるくて
食べ物が食べにくいと言っていた義父ですが、
だんだん嚥下能力が落ち、食欲もなくなってきました。

そうなると、出るものが出なくなります。
義母は病院で浣腸薬を処方してもらっていましたが、
訪問看護のかたはその処理もしてくださいました。
そして、自力でどうにもならないときは、指で掻き出してくださるのです。

私は、苦痛で顔を歪める義父に声をかけながら、
動かないように身体を押さえつける役目です。
正直言って、見ているだけでもつらいことですが、
看護士さんは汗をかきながら一生懸命してくださいます。
仕事とはいえ、これには本当に頭が下がりました。

訪問看護に来ていただくようになって、まだ一ヶ月も経たないうちに、
食欲のなくなった義父は体力も衰えてきました。
はじめのうちは、ベッドに坐って身体を拭いてもらっていたのに、
翌週には、布団にもたれないと起きていられなくなり、
その次の週には、布団にもたれ、私が手で支えていないと
身体がずり落ちるようになってしまいました。

そして、しょっちゅう痰がからみ、ひどく苦しむようになったのです。
ある夜義母から、しんどいって言うけど、どうしようと
電話がかかってきました。
急いで駆けつけましたが、私もどうしていいかわかりません。
訪問看護の方が、夜でも電話で相談にのるとおっしゃっていたので、
すぐに連絡を取りました。

症状を伝えると、痰の吸引機を持ってきて、
咽喉の奥にからまっている痰を取り除いてくださいました。
そして、その吸入器を貸してくださり、使い方も教えていただきました。
また、看護士さんがされるのをまねて、
濡らしたガーゼを指にまきつけてとったりもしました。
「苦しい、苦しい」と言ってるのを聞くのは本当につらいものです。
しかし、吸引機のおかげで、しんどうそうなときは
主人と私で何とかできるようになりました。

訪問看護の事務所では、夜でも当番の方が待機されているようです。
そして、何かあったときすぐ対応してもらえます。
そのことが、とても大きな安心感につながりました。


在宅介護をするとき、訪問看護は本人だけでなく、
世話する家族にとっても必要だと思います。
もちろん、健康面で安心だということもあります。
しかし、それだけではありません。
お年寄りの接し方、介護の仕方を間近を見て、
こんなに一生懸命看てくださっているんだ、と
看護士の方々の熱意がこちらに伝わってくるのです。
素人の私たちには、本当に頼りになる心強い存在でした。

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