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ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

京都 嵯峨野散策

2010-10-29 | 日々のこと。
保津川下りの船着場は嵐山にあります。
土曜の昼下がりとあって、渡月橋あたりは人・人・人。
この人込みの中、おじさん4名、おばさん3名、娘1名が
ぞろぞろと、さてどこへ行きましょう。

一応、お寺めぐりでも、ということで、一番近い天竜寺へ行きました。
世界遺産にも登録されている名刹です。
ここは庭が広いので、多少観光客が多くても大丈夫だろう、と
思ったのですが・・・
庭を見ながら瞑想にふけるには、ほど遠い状態でした(苦笑)
ということで、写真も撮らず。
以前来たときは広くて静かでいいなあ、と思ったのに残念です。
一番印象に残ったのは、庭のあちこちに咲いていた芙蓉の花かな。


この天竜寺を北門から出ると、そこから竹林が続きます。




このあたりが嵯峨野らしいところでしょうか。
光源氏はこういう小柴垣の向こうに若紫を見つけたんやね、
と自然にそんな話題にもなります。

次に行ったのは落柿舎
芭蕉の門人、向井去来の草庵です。
いつも通り過ぎてしまいますが、今回初めて中に入りました。




この蓑と笠は、本来庵主が在庵か不在かを表したようですが、
今は常にかけてあるそうです。
小さい庵ですが、鄙びたところがなかなかいい感じ。
残念ながら、柿はあまり生っていませんでした。
今年は不作なのかな?


この辺りに来ると訪れる人も少なくて、ようやくみんなで
庭のベンチに座ってほっこり。
岡山の友達が持ってきてくれたおまんじゅうを
分け合っていただきました(笑)
前日の寝不足がたたって、疲れがピークに達していた私も、
甘いものを補充したおかげで元気に。


ところで、この地が小倉餡の発祥地だということをご存知ですか?
この落柿舎のそばに、そのことを書いた看板が立っています。
なんでも、この小倉の里で和三郎という人が、空海が持ち帰った
小豆を栽培し、砂糖を混ぜて煮詰めて作ったのが始まりとか。
おかげで美味しいおまんじゅうを食べることができるようになったんですね。
和三郎さんに感謝です。


ここからもっと奥へ行くと、祇王寺や化野念仏寺があります。
若い頃はひっそりとした祇王寺が好きでした。
でも、最近は若い女性に人気で、観光客でいっぱいでしょう。
そろそろ日も傾いてきたので、駅に向かいます。
次はお待ちかねの宴会会場へ。

ここで1名加わって、みんなで9名。
はい、娘もちゃっかり参加です。
母親に代わって、しっかり日本酒を飲んでおりました

アルコールが入ると、もうほとんど学生時代のコンパ状態。
そこに娘がいることにも、だんだん違和感を感じなくなりました(笑)
あちこちで懐かしい話や専門的な話で盛り上がっています。
話題が村上春樹氏のことになると、娘は本好きの友人たち相手に
いっちょまえに熱く持論を語っておりました。
みんな、相手をしてくれてありがとね。


今回友人たちとは3~4年ぶりの再会となりました。
みんな外見は多少の変化(?)が見られるものの、
昔と少しも変わっていません。
ひとり勝手に先へ行く人、地図を確認しながら先頭を歩いてくれる人、
しゃべりながらぞろぞろ着いていくだけの私たち(笑)
学生のときも、こんな感じだったなあ・・・
みんな、心の中では学生気分だったのでしょうねえ。


この年になると1年1年が貴重に感じられます。
年老いた親のこととか、自分の健康のことなどが
少しずつ重くのしかかってくる年代だから。
それでも、みんな元気でまた会いましょうね。



   ・・・・・   ・・・・・   ・・・・・



この日生きていたらきっと一緒に保津川下りをし、
嵯峨野を歩いたであろう友達がいました。
彼女の突然の訃報を聞いたのが、8年前の今日のこと。
この集まりの後、思い出して少し泣きました。

みんなそれぞれ8年分年を重ね、
子どもたちは8才成長したというのに
彼女だけはあのときのまま。
彼女の時間だけは止まったまま・・・
それでも、みんなの心の中で彼女は生きているんだなあ、
と思えて少し気持ちが楽になりました。

でも、会っておしゃべりしたかったな。
最近白髪がふえちゃって、とか
年頃の女の子がいると心配やわ~、なんて
そんな他愛もないおしゃべりを
もう一度したかったな・・・


コメント (6)
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京都 保津川下り

2010-10-27 | 日々のこと。
お天気のよかった土曜日、数年ぶりに大学時代の友人達と集まり、
保津川下りをしてきました。

小さいときから、京都へいくたびにお世話になっていた山陰線。
亀岡を過ぎて深い峡谷に入ると、眼下にうねうねと深緑色をした
保津川が姿を現します。
今はほとんどトンネルばかりですが、以前は春には山桜、
秋には目を見張るばかりの紅葉、そしてほんのたまにしか
見ることができない、水墨画のような冬の雪景色と、電車の中から
見えるその季節ならではの風景を楽しんだものです。

しかし、こんなに身近にあったのに保津川下りをしたことはなく、
今回がはじめての体験。
メンバーは各地から集まった男性4名、女性3名、それに
「私も行きた~い!」とくっついてきたウチの長女。
な、なんで、久しぶりの集まりに子連れで行かなきゃなんないの~!?
と動揺しつつ、「こういうこと」が異常に好きな長女の性癖もよーく
わかっているので、一緒に連れて行くことに・・・

主人からひと言。
「興奮して落っこちんよう、しっかり捕まえときや~」
はい、充分心得ております。

子連れ参加を、友人達は暖かく迎えてくれました。
ちょうど長女の年の頃に、私はこの友人達といわゆる青春真っ只中(笑)の
濃い時間を共に過ごしたわけです。
それから約30年が経ち、こうして同じ年頃の娘を連れて一緒にいる、
というのは、なかなかフクザツな気持ちではありましたが・・・



さて、保津川下りです。
亀岡から船に乗り、嵐山まで約16キロを2時間近くかけて
保津川を下っていきます。
詳しくはこちら →(




船頭さんは前に2人、後ろに1人。
先頭にいる船頭さんが竿を巧みに操って、岩の間の狭い急流も
ほとんどぶつかることなく下っていきます。
こちらを向いて座っているおじさんが、櫂で漕ぎながら
おもしろおかしくまわりの説明をしてくれます。




向こうに見えるのは、山陰線の鉄橋。




川面がきらきら輝いてきれいです。






この日は1時間40分ほどでしたが、美しい山々に囲まれ、
急流のスリルを味わったり、気持ちのよい風を感じたり、
おもしろいおっちゃんのおしゃべりに笑ったりで、
あっという間に過ぎていきました。
(心配した長女は、水飛沫に濡れはしたものの
 落っこちることもなく無事でした・笑)

春の桜の時期や紅葉の季節は、さぞ美しいことでしょう。
時期が早かったことが少し残念でしたが、それでも
木々の緑は美しく、鵜やカイツブリなどの水鳥がのんびりと戯れ、
吹く風は心地よくて、久しぶりにリフレッシュできました。

この保津川下りは、観光客の多い京都で静かに美しい京都の自然を
満喫できる、意外な穴場かもしれませんね。
ただし、終着点の嵐山に着くと、あまりの人の多さに戸惑いを感じるかも。

その人込みの嵯峨野散策は・・・
                  次回へと続く?

コメント (2)
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孤鷹の天

2010-10-19 | 読むこと。
                  『孤鷹の天』
                  澤田 瞳子


怠け癖がついたのか、しばらくブログから遠ざかっておりました。

集中力がなくなって、本のレビューを書きかけてはやめ、
未完成の記事ばかり。
このまま、尻切れトンボでブログも終わってしまうのか・・・と思ってた矢先、
久しぶりに読み応えたっぷり、その世界にどっぷり浸ってしまった本に出会いました。
それがこの『孤鷹の天』。

たまたまネットで、「奈良を舞台にした本」の紹介で見かけた本です。
藤原仲麻呂が出てくるというので興味をひきました。
その同じ日、本屋へ行くと、普段読みたいと思う本がめったに
置いてない本屋さんに、なんとこの本があるではありませんか!
詳しい内容もわからず買うのに一瞬躊躇しましたが、
図書館で検索しても見あたらなかったので思い切って購入。
久しぶりに本の衝動買いをしました。

簡単に内容を説明すると・・・



舞台は、天平宝字4年藤原仲麻呂が権力を握っていた頃の寧楽<なら>。
主人公の高向斐麻呂<たかむくのいまろ>が、大学寮に入学が
決まったところから始まります。

大学寮というのは、律令制官人候補生としての教育を施す公設校です。
儒教を中心とした教育理念のもと、唐語や算学などの専門知識を
身につけ、任官試験を受けて優秀な官人として国家に奉仕する
人材を育成するわけです。
ここでユニークなのは、官僚として政治に参与するには出自が
重要であったこの時代において、大学寮では貴族の子弟だけでなく
庶民にも出世の機会を与えた画期的な機関だったことです。

主人公の斐麻呂も遣唐使として唐へ渡った藤原清河
(実在の人です)の娘、広子の使用人。
ひとりで父を待つ広子のために、大学寮で唐語を学び、
唐まで清河を迎えに行くという志のもと大学寮に入るわけです。

説明がやたら長くなりますが、この「大学寮」というのが
この物語の中で大きな意味を持っているのですね。
ここに集まってくる、とても個性的な学生たち。
彼らが、とっても魅力的なのですよ。

勉強はからきしダメだけど、弓の名手で熱血漢の上信<うわしな>。
頭脳明晰でクールな雄依<おより>。
算学が得意で人のよい光庭。
そんな一筋縄ではいかない彼らを教え、ずっと見守る巨勢嶋村。
そして、当時牛馬より劣る扱いをされていたの赤土。
前半は彼らを中心とした、まるで奈良時代の青春ドラマのように
話は進みます。

しかし、中盤以降、儒教を学び理想の国を目指そうとする若い彼らも、
時代の歯車に否応なく巻き込まれていきます。
いえ、自分の信じるものに従って、自ら飛び込んでいったのです・・・


もともと、この時代に興味があって読み始めたわけですが、
専門知識のない私でも、この時代天皇をめぐる激しい権力争いや
それに伴う政争があったことは知っています。
長屋王の変、藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂の変、そしてこの物語に
出てくる藤原仲麻呂の乱。

どちらが勝ち、争いに負けた方はどうなってしまったか、
歴史の事実を知っていながらこういう小説を読むわけです。
大河ドラマの「新選組!」も「龍馬伝」も、結末がわかっていて
それでも観るわけですよね。
龍馬が暗殺されるのがわかっていながら、彼が新しい日本を
つくろうと奔走しているところを観るわけですよ。
あと何ヵ月後には死んじゃうんだ、と思いながら。
つらいですよね・・・

話はそれましたが、この話もそうでした。
この本を読むまでは、藤原仲麻呂は権力に目がくらんだ悪いやつだ、
と思ってたんです。
でも、それはある一面、ある一方からの見方であって、
彼は儒教の教えを中心に国をつくろうとし、
大学寮を支援しました。
そして儒教を学ぶ大学寮の学生達も、その仲麻呂の考えは
正しいと思ったわけです。

一方で、仏教を推進する阿部上皇派が大学寮出身者を排斥するなど、
両者の対立が激しくなっていきます。
そしてついに武力対決に。
そこから命を賭け義を貫こうとする若い彼らの、
まさに血みどろの戦いが始まります。

主人公の斐麻呂は悩みます。
自分は何を主と思い、何に誠を捧げればいいのか。
この国をよくするにはどうすればよいのか。
そもそも、その国とは一体何なのか?
帝や上皇か、額に汗して国を富ます民百姓か。

そこに、影の主人公とでもいうべきの赤土が、
上皇派のおかげで良民となり、位まで授かって
再び斐麻呂の前に現れます。
しかも、赤土の妹のお腹には斐麻呂の子が・・・
対立する斐麻呂と赤土。
そして、そんな斐麻呂をずっと心配している広子。
彼らは否応なく、それぞれの戦いに身を投じていきます。

国をよくしよう、時代を変えようとする彼らの純粋な思いに、
何度涙を流したことでしょう。
今の時代の子を持つ親の身であれば、
いくら義のためとはいえ死なないで、と言いたいところです。
しかし、この時代、彼らには命よりも大事だと信じるものが
あったのでしょうね。
本の帯に「理想に殉じた若者たちの 眩しいまでのひたむきさ」
とありましたが、まさにその通り。
久しぶりに心が熱くなる作品でした。


最初に、大学寮がこの作品に大きな意味を持っていると書きました。
大学寮にいた誰もが義を貫こうとしたわけではありません。
中には立身出世のため、阿部上皇側についたものもいます。
また、自分の身を守らんがため、一見ふらふらしているような
人物もいます。
それでも、大学寮で身についた教えが、彼らから失われた
わけではありませんでした。
絶体絶命の斐麻呂を救ったのは、そんな彼らだったのですから。


こういう歴史的事実に想像を膨らませた小説の面白さは、
実在の歴史上の人物と架空の人物をうまく絡み合わせてある
ところでしょう。

へー、この人物がこの先こういう人になるのか~、
えっ、彼はこの人と実際に結婚したんだ!
なーんて発見もあり、日本史の教科書で知るだけの人物が
とっても身近に感じられました。

この作品、歴史好きの女子には絶対ウケルと思うんですけどねー(笑)


コメント (4)
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