ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

ちょっと東京まで 

2014-10-31 | 日々のこと。
主人の入院をきっかけに、今では定期的に義母のショートステイを利用しています。
今月は土日をはさんで3泊4日でとれたので、冗談のつもりで主人に
「ちょっと東京でも行ってこようか」と言ったら・・・
なんと、実現することになったのです!
いや~、言ってみるものですね~(笑)

いろんなことが重なって、行く直前まで本当に本当に大変で・・・(長くなるので略)。
当日義母をショートに送り出してやっとほっこり・・・ではなく、やっと東京へ行く
実感が湧いたのでした。

次女が東京の大学に進学してからというもの、何度か東京へ行く機会はありました。
でも、これまでは夫婦揃って行くことはできなかったんですね。
しかも、引っ越しだの、手術だの、用事で行くばかりで、ほとんど観光なんて
したこともなく・・・
なので今回は、思いっきり「お上りさん」する計画を立てました。


特急に乗って京都へ、京都から新幹線に乗り換えて東京へ。
10時ごろ家を出て3時前にようやく東京駅に到着。
以前より短縮されたとはいえ、やっぱり東京は遠い・・・

さて、「お上りさん計画 その1」は東京駅見学。
これまで東京へ行っても東京駅で降りたことはなかったので、今回は新しくなった
駅舎を見ようと東京駅で降りました。
わざわざKITTEの屋上庭園まで上がってパチリ(今回の写真はほとんど主人)。






せっかく東京駅で降りたので日本橋界隈でも歩きたかったのだけれど、
荷物もあるし先にホテルに行ってしまおうということで新宿へ。
新宿駅ではホテルの送迎バス乗り場がわからず、あっちウロウロ、こっちウロウロ。
出口がわからず、いつも迷っちゃうんですよね。
まっ、お上りさんですから

やっとバスに乗れてやれやれと思ったら、主人が突然、
「ホテルへ行く前に、都庁で夕日を見よう」と言い出しました。
え~、来るまでは都庁の展望台に全然興味を示してなかったのにー。
ホテルは都庁の横にあるので、とりあえずチェックインだけすませ、夕日が沈む前にと
急いで都庁へ。
この週末は本当にお天気に恵まれて、とてもきれいな夕日をみることができました。






その後お腹が空いたので早めに夕飯。
ちょうどホテルの向かいのビルにワインの飲めるお店があったので、夜景を見ながら
ワインで乾杯。
が、空きっ腹にこたえたのか、ワイン2杯で頭がくらくら。
頭痛もするので、せっかくの東京の夜ですが、おとなしく横になってテレビを見て過ごしたのでした。




     ・・・     ・・・     ・・・




翌朝はすっかりよくなったので、主人と近くの新宿中央公園を散歩しました。
(ランニングすると言って準備してきた主人は、結局一度も走らず)
東京へ来ていつも思うのは、坂が多いことと、緑が多く木々の手入れがされていること。
街中でも年を経た大木が多くてびっくりします。
意外に古い木々が切られることなく守られているのですね。


さて今日の予定は「お上りさん計画その2 はとバスに乗って東京観光」です。
無事次女と合流し(実は寝坊しないか心配してました)、集合場所の品川へ。
今回の東京行きは東京ブックマークなどいろいろ調べて、結局旅行会社に頼みました。
その旅行会社のツアーに無料のはとバスがついていて、これならラクちんと
申し込んでおいたのです。

まずはお決まりの皇居へ寄ったあと六本木ヒルズへ。
ちょうどハロウィンのイベントで賑やかでした。







東京シティビューで東京の街を眺めたあと、pixiv祭で落書きを描いてみたり、
美術館で「リー・ミンウェイとその関係展」というのを見たり。







次は浅草へ。
旅行会社のはとバスは乗り降り自由だったので、ひとまずここで降りることに。
浅草寺では次女がお御籤を引こうと言うので3人ひいたら・・・
なんと3人とも「凶」
浅草寺のお御籤は凶が多いということですが、いくらなんでも3人とも凶だなんて。
明日、無事に帰れるかしら・・・







気を取り直し、仲見世通りをぶらぶら。
しかし人混みに辟易したのか、主人がスカイツリーを見て(また)突然に言いました。
「あそこまで歩いて行ってみよか~」
「えー

東京行きの準備をしたのは私です。
旅行会社のパンフレットとネットを見比べて、ホテルやプランを決めました。
もちろん主人にはどこへ行きたいか尋ねたわけですが(ディズニーランドと言うのは無視しました
その際、スカイツリーには全く興味がなさそうだったのです。
だから予定に入れなかったのに、なんで今さら!?しかも、歩いて!?
次女も「ちょっと歩くけど、大丈夫ちゃう」って・・・そんな~

我が家では、私以外はみんなB型。
なんでも前もって調べておかないと不安な私と違って、けっこう行き当たりばったりな
ところがあるんですよね。
おかげで振り回されるのはいつも0型の私・・・
私は浅草から、あわよくば根津とかそのあたりに行けたらいいな、と思っていたのに。
しかたない。そろそろ痛くなってきた足を引きずって、目指すはスカイツリー。







ようやくスカイツリーの下のソラマチに着いてひと休み。
ちょっとおみやげをみて、次はもんじゃ焼きを食べに月島へ。
初めてのもんじゃ焼きは・・・
主人曰く、関西人はやっぱりお好み焼きやなあ。
それにしてもお店はどこもいっぱい。
こればかりは食文化の違いなのでしょうね。

次の目的地は豊洲です。
このあたりの時間配分はすべて次女任せ。
次は何時にどこどこ、と言っておくと、ちゃっちゃと行き方と電車の時間を調べて
計画を立ててくれるので、東京の地理に不案内な私たちはとても助かりました。
次女が東京に住んで早や5年。
いつのまにやら、すっかり東京の人になったんだなあ。

で、今日最後のイベントは夜の隅田川クルーズです。
一番の見どころは、なんといっても船から眺めるライトアップされたスカイツリー。
寒かったけど、すっごくきれいでした。







     ・・・     ・・・     ・・・




最終日は主人の希望で、「お上りさん計画その4 ジブリ美術館」です。
もともと我が家の子どもたちは、ディズニーとジブリの映画を見て育ったようなもの。
(次女に二十歳の誕生日のお祝いに何が欲しいと尋ねたとき、
 「トトロの大きなぬいぐるみ!」と言ったときには私もびっくり。
 因みに長女のリクエストは絵本タンタン全巻でしたけどね)
それも子どもに見せてたというより、親が見たいから子どもも一緒になって見てた、
という感じだったわけです。
なので、主人が東京へ行くならジブリ美術館へ行きたいと思ったのもわかります。
ホントは私も一度は行ってみたたかったもの・・・

が、9月下旬の時点ですでにチケットは売り切れ。
一時計画が危ぶまれましたが、次女がわざわざ三鷹市民の友人に頼んで手に入れてくれたので
なんとか見に行くことができました。
最近のジブリ映画はなんだかな~と思ってた私もテンションが
わざわざ頼んで行った甲斐がありました。
どこもかしこもこだわりでいっぱい!







家族それぞれお気にいりのポイントはあったと思いますが、私が一番感動したのは
壁一面に所狭しと貼ってあったラフ画。
鉛筆でさらさらっと描いて、さっと色がついているだけなのに、
なんていうかすごく表情がよくて、動きがあって・・・アニメで見るのとは違うんです。
やはり、宮崎駿という人はすごいなあ、と、ただただ感嘆するばかりでした。

特別展示では「クルミわり人形とネズミの王様展」をやっていました。
私、このお話と「なまりの兵隊」がごっちゃになっていたので、一度ちゃんと読んでみようと
岩波少年文庫の本を買いました。
↓これ、宮崎駿さんが描かれたジブリ美術館限定のカバーなんですよ。







ジブリ美術館ですっかり時間をとってしまい、予定してた銀座へ出る時間がなくなってしました。
今回は主人も一緒なので、おみやげ以外ほとんどショッピングはあきらめていましたが、
う~ん、もう少し時間があればなあ・・


今度東京へ来るときは、美術館へ行ったり、ショッピングをしたり、
下町をぶらりと歩いてみたりしたいものです。
「ちょっと東京まで行ってくるわ」と、いつか気軽に行けるようになるかな~



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断捨離、親家片、・・・そして、途方にくれる

2014-10-23 | 日々のこと。
暑い夏の間中断していた片付けを、ぼちぼち再開しています。

というのも、去年まで住んでいた事務所兼住宅の建物の、外壁塗装や修理など、
ちょっと大がかりな工事をすることになり、その際にまだそのままになっている
私たちの荷物を義母宅に運び、ついでにいらない物を処分してすっきりしよう!
という計画なのですが・・・

これがもう、思った以上に大変で(泣)
もともと義父母が40年以上前に建てた建物です。
ほこりをかぶった古い物が、まだあっちにもこっちにもそのまま残ってるんですよね
そこに、25年間住んだ私たち家族のものがほとんど置いてあるわけです。
・・・どんな状態か想像つくと思います

去年同居するにあたって、普段の生活に必要最低限のものは運びました。
しかし、服は季節ごとに取りに行き、洗濯してはまた片付けに行く。
あれがない、これがいる、と両方の家を行ったり来たり。
このままではあまりに不便だし、もう少し居心地のいいようにしようと、
とりあえず私の嫁入り箪笥ごと持って来ることにしました。
しかし、箪笥に入りきらない服はどうする?
子どもたちのものは置いておくにしても、本は?家族のアルバムは?

今住んでいる義母の家も、同居するときかなり物を処分したとはいえ、
まだまだ物が溢れてます。
義母がいる間は、やはりそう簡単には捨てられない。
そこにまた私たちの物を持って来ようとしているわけだから、まるでパズルを
当てはめるようにあっちのものをこっちへ、ここのものをあっちへ・・・
とそう簡単にいくわけもなく。

もう、どないせえっちゅうねん

結局、物は捨てきれず、片付けられず、ただ途方にくれるばかり。トホホ・・・



最近あちこちで話題になっている親の家の片付け(略して親家片「おやかた」と
呼ぶんだそうです)。
数年前からこの問題に頭を抱えてきた私ですが、それほど多くの人がこの問題に直面し、
ひとつの社会現象として取り上げられるほどになっているとは驚きでした。

とにかく物を捨てたがらない親たち。
家の中はほとんど使うことのない物であふれ、どこに何があるかもわからず、
必要なものを探しても出てこない。
しかも、掃除も片付けもしてないからほこりだらけで不衛生。
こんな親の家を(つまりは親の生活の実態を)目の当たりにしてショックを受け、
親の老いを実感し、戸惑う子どもたち。
こういうときって、たいてい親のどちらかが亡くなって、相続とか形見分けとかで
これまで見て見ぬふりをしてきた親の家に深く関わらねばならない状況に陥ったときです。
そのとき残された方の親は、たいてい物を片付ける、処分するということが
できなくなってしまっている。
気力も体力も、そして何より片付けるという能力が衰えてしまってるんですね。
そのくせ、こちらが代わりにやろうとすると意固地になって物に執着し、
物をためこむことがいかに無駄かを説いても聞き入れようとしない。
せっかく片付けて処分しようとしたものが、また元に戻ってたときの苛立ち。
そんなことが延々続くのです。
こちらも時間のやりくりしてなんとか片付けようとしているのに、
結局時間の無駄のように思えてだんだん腹が立ってくる。
で、しまいには親と子の不毛なバトル勃発・・・
まあ、こんな感じではないでしょうか。


子どもたちには自分が経験したこんな苦労はさせたくない、元気な今のうちに
いらないもの、遺して困るものは処分しておこうと、悩みながら少しずつ仕分けしています。

先日は、出産のお祝いやおみやげでいただいたぬいぐるみ、娘たちが初めて履いた靴、
小さいときに使ってたリュックなどを写真に撮って処分しました。
その次に私の古い日記や独身時代の洋服(まだ置いてあります・汗)。
何も考えずにポイポイ捨てられたら気が楽なんだけど、独身時代に習ってた
油絵の道具などは、なかなか捨てきれるものではありません。
日記は捨てられても、描いた絵は下手でも未練が残る・・・
こんなものこそ、遺された家族は処分に困るだろうに。


そして、ふと考えてしまうのです。
働いて、欲しいものを手に入れて、でもいつかは捨てることになって。
結局、人生で必要なものって何なんだろうって。
最後に残るものは、自分の身ひとつ。
この世を去るときは、楽しい思い出がたくさんあったらそれで充分なのかも。



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『かたづの!』

2014-10-05 | 読むこと。



1年ぶりに本のレビューです。
(書きかけて下書きのままになってるレビューが、他にもいくつかあるのですが


作品は、新聞の書評を読んでからずっと気になっていた本『かたづの!』です。
作者は中島京子さん。
直木賞を受賞した『小さいおうち』が映画化され、話題になりましたね。

今回の作品は歴史小説で、主人公は八戸南部氏当主直政の妻祢々。
実在の人物です。
時代は戦国から江戸時代の初期にかけて、まだ戦いが日常的であった頃のこと。
城主である夫が突然病死、その直後幼い嫡男も変死します。
南部藩主である叔父の利直による毒殺ではないかという噂が流れるのですが、
確たる証拠がない。
残された祢々は八戸を叔父の手から守るため、当主として城を継ぎ女亭主となることを
決意します。
なんでも、江戸時代で唯一の女大名というのだからびっくり。

しかし、豊かな八戸を自分で支配したい叔父は、その後も祢々に再婚を勧めたり、
荒れ果てた遠野に国替えを命じたりと、無理難題を押し付けてきます。

「戦でいちばんたいせつなことは、やらないこと」
「二番目に重要なのは、そうね、始めたらさっさと止めること。
 いいえ、やはり二番目は負けないことです。
 勝たねばとは言わない。負けぬ、が肝要。・・・(中略)・・・
 そしてさっさと止めるのも肝心」

それを貫こうとする祢々(後に尼になって清心尼と呼ばれます)は、ともすると
すぐに戦を始めようとする家来たちをなだめ、なんとか戦わずに危機を乗り越えるため
知恵を絞ります。
まだ戦国の世で、男たちが戦に明け暮れているこの時代に、「戦わない」というのは
並大抵のことではありませんが、それを貫こうとするのは女性ならではですよね。

そんな祢々は江戸時代唯一の女大名になっただけあって、そのキャラも魅力的に
描かれています。
特に前半、彼女が若いころは賢くて真っ直ぐな感じで好感がもてます。
弟利直の庇護を求めようとする母親と祢々の会話も、女同士遠慮がなくてテンポがよく、
二人の対比がおもしろい。
また、祢々と対極にいるかのような存在の叔父利直との対決も、思わず
「祢々がんばれ~」と応援したくなります。

しかし、その祢々も八戸のため大切な娘を憎き叔父の息子に嫁がせ、
結果的にその娘を失うという非常に辛い思いを経験します。
城主として八戸のためにしたこととはいえ、結果として自害してしまった娘に
どれほど自分のしたことに悔いたことか・・・
このあたりから、祢々のきらきらしたところがなくなってしまうのは残念ですが、
もう二度と大切な人を失いたくないと腹をくくった祢々は凄味も増して、
だからこそ片角〈かたづの〉とともに不思議な力を発揮できたのでしょう。
その後も次々と襲いかかる困難に立ち向かい、年とともに強い女性になっていくのは、
同じ女性として納得できるなあ(笑)

あちこちで民族間の争いが絶えない今、こんなふうに戦わずしてうまく折り合える
知恵を持った祢々のような女性が、たくさん現れてくれると世界も変わるのにね。


そうそう、タイトルにもなっている〈かたづの〉ですが。
これは角を一本しか持たない羚羊〈カモシカ〉が遺した、その一本の角のことです。
実は、私がこの作品に興味を持ったのは、この物語がその片角〈かたづの〉の
視点で語られているからなのですね。
初めて出会ったその瞬間から祢々に惹かれた羚羊が、死んでからは切り取られた
一本の片角として不思議な力を持ち、何度か彼女の危機を救います。
その片角の視点で語られているというところがとてもユニークでしょ?

この片角、遠野では実際に明治時代まで「片角ご開帳祭」というお祭りがあり、
年に一回、片角様という神様が人間を叱るという儀式があったそうで、作者は
そこからヒントを得られたそうです。
角が語るくらいだから、河童に助けられたり、屏風からぺりかんが抜け出てきたり、
死んだ叔父が大蛇になって出てきても不思議じゃないですよね~(笑)
史実を扱いながらも異界の物が活躍することに違和感を感じないのは、
やはり「遠野」という土地柄だからなのでしょう。
そういえば、最後にちらっと現れた幼い童は座敷わらしのようでした。

この作品は、戦わないことを貫いた一人の女性の波乱万丈の物語であり、
遠野の民話に出てくる異界の物たちを描いたちょっと不思議な物語でもあります。
現実のあれやこれやに疲れたとき、こんな世界をのぞいてみてはいかがでしょう?


こちらを書いているうちに、上橋菜穂子さんの新作を見つけました。
こちらはカモシカではなく『鹿の王』。
どんな物語なのでしょうか、楽しみです♪



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗をいただいて

2014-10-01 | 食べること。



先週、主人の友人のNさんからイガつきの栗をたくさんいただきました。
イガを取るのは初めてで(いつもなら、こういうことは主人に任せてるので)、
最初は手でむこうとして痛い思いをしましたが、靴で両側を踏むと簡単にれることを発見。
何事も自分でやってみるものですねえ。

週末は主人も義母もいなかったので、3人そろった月曜日の夕飯に栗ごはん。
秋の味覚を満喫です。
時間があれば、栗の渋皮煮もつくりたいなあ。

食欲の秋。
義母と同居して体重が2~3キロ減ったけど、義母がショートステイへ行ってる間に
1キロ近くもどってしまった(笑)
気持ちもリセットできたので、義母の世話もダイエットもまたがんばろう!
・・・と思っていたのに、1日でめげてしまいました~



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする