ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

今日はかぼちゃの日

2013-10-31 | 日々のこと。



秋だというのに暑かったり大きな台風がきたりと、天候に振り回されることの
多かった10月も今日で終わり。
そして今日はハロウィンですね~
子どもたちがいないと、パンプキンパイを焼くことも、仮装して写真を
撮ることもなく、ただの10月31日として過ぎていくところなのですが・・・
今年は長女からこんなプレゼントが↑

長女は忙しい日々を過ごしながら、今でも時おり書いたものを送ってくれます。
大学時代の友人たちとつくっている同人誌であったり、旅行記であったり。
そして今回は個人的にこさえた手づくり本。
いくつになってもこういうことが好きなのは親譲りか(笑)
パンプキンパイを焼く宮廷料理人とGreat Pumpkinのお話で、
おかげで忘れていたハロウィン気分になりました。

思い返せば子どもたちが小さい頃はハロウィンがまだ一般的でなかったのか、
こんな田舎町にパンプキンパイやハロウィンの飾りつけを売ってる店もなく・・・
なので、せっせと魔女のお面を作ったり、パイを焼いたものです。
それが今では、近所のスーパーの店員さんまでハロウィンの格好で(笑)

せっかくのハロウィン気分、パンプキンパイはつくらなくても、
せめて今夜はかぼちゃ料理をつくることにしましょうか。
久しぶりにパン焼き機を出してレーズンパンでも焼いて・・・

あと半月ほどで引っ越しといいながら、こんなのん気なことでいいのかしらん。
引っ越し準備からの現実逃避、といえなくもないけれど
まあ義母と一緒に住むようになったら、ワイン飲んで酔っ払ってこてん
なーんてことはできなくなるので、今のうちにしっかり飲んでおこーっと(笑)

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女は戦う 〈とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起〉

2013-10-26 | 読むこと。



この本を読んだのは、まだ残暑厳しい9月。
すでに一ヶ月以上経ってしまいました。
読み終えたときの衝撃を忘れないうちに書きあげようと思いつつ、
あれやこれやでこんなに日が経ってしまっておりました


 
      ・・・     ・・・     ・・・



この本は『閉経記』を図書館で借りたとき、ちょっと気になったので
Amazonで購入しました。
私は『閉経記』のほうを先に読みましたが、書かれたのはこの『とげ抜き 
新巣鴨地蔵縁起』の方が5~6年先になります。
つまり、寝たきりのお母さまも生きておられて、まだ小さな三女を連れ
カリフォルニア~熊本間を往復されていた当時のこと。
それだけでも、いかに大変な時期であったかがわかります。

う~ん、この本は何と言ったらいいのでしょう。
文庫本のあとがきに上野千鶴子さんが書いておられるのですが、

そして彼女は、他の誰もまねのできないまったくオリジナルな
文体に到達した。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』・・・これはひとつの達成だ。
詩でもなく散文でもなく、フィクションでもノンフィクションでもない。
「作品」というほかないものだ。


そうなんです。
書かれてある内容は確かに比呂美さん自身の話。
脳梗塞になった母親の介護とひとり暮らしの父のこと、
イギリス人のご主人のこと、心の病で大学に行けなくなった娘のこと、
飼っている犬のこと、自分の病気のことなどなど・・・

けれど、登場する娘の名は彼女の娘のものではありません。
なのでこれまで読んだエッセイのようではなく、かといって小説かというと
やはりどこか違う。
おそらく実体験であろうことを書きながら、だんだんと暗喩に満ちてきて
読み手にはどこまでが本当のことやらわからなくなってしまうのです。
しかも私の場合、だんだん自分の体験とシンクロして、覗き込んだ
深~い深~い穴の中に堕ちていくような、そんな感覚でした。

というのも、彼女の文章は古事記や宮沢賢治や中原中也や謡曲や・・・
いろんなものを取り入れて、独特の節回し・リズム感で、
何とも言えない不思議な世界を作り出しているからでしょう。

内容は容赦なく過激です。
介護する母と娘の関係や、ユダヤ系イギリス人のご主人との文化的差異から
生じる(それだけではないでしょうが)夫婦喧嘩。
どれも生々しく、ここまで書いていいの?と心配になるほどですが、
夫婦のことは途中から古事記のイザナギ、イザナミの話と重なって
ちょっとブラックでコミカルな感じもします。

一方ご両親のことは、読んでいてとてもつらくなります。
病院で寝たきりの母親と、ひとり家で暮らす父親。
そんな両親を日本に残し、夫のいるアメリカへ帰らなければならないつらさ、
心苦しさ。
アメリカへ帰ったら帰ったで、律儀に親に国際電話をかけて
何度も同じことを繰り返す親の話を聞き、これまた同じ返事を繰り返す。
このしんどさは経験したものでないとわからないかもしれませんが、
彼女はそれを続けているのです。
ひとり娘とはいえ、そこまでやれることに頭が下がりました。

次々と襲いかかる様々な困難や葛藤を、彼女は書くことによって、
書いて吐き出すことによって、これまでの壮絶ともいえる人生を
乗り越えていけたのでしょう。
こんな文章がありました。

月一回の締め切りは、まるで月経です。
・・・(中略)・・・それならば、月1回、「群像」に出す「とげ抜き」も、
おなじやりかたで迎えればよいと考えまして、終わらぬ月経を先へ先へ
つなげていくような心持ちで語りついでいくうちにふと気がついた。
 母の苦、父の苦、夫の苦。
 寂寥、不安、もどかしさ。
 わが身に降りかかる苦ですけれど、このごろ苦が苦じゃありません。
降りかかった苦はネタになると思えばこそ、見つめることに忙しく、
語ることに忙しく、語るうちに苦を忘れ、これこそ「とげ抜き」の、
お地蔵様の御利益ではないか。



親の老いや病に向き合い、文化も宗教観も食べ物も違う夫と向き合い、
それだけでも大変なときに今度は娘の危機が訪れます。
そのときの彼女の悲痛な叫び。


老いの話どころではなくなりました。子どもが危機です。
しのびないのは子どもの苦。
自分の身にふりかかる苦は。
あさましい暗闇をひとりでのたうちまわっておれば、やがて抜けていくのです。
親の身にふりかかる死の苦は。
粛々と受け止めていくしかありません。
しかし子どもの苦はちがいます。
・・・(中略)・・・
苦しむ子ども。
ほんとを申せば、見たくありません。
見てるふりをして見ないでいられるものならそうしていたい。
でも、目をそむけてはいられないのです。
子どもは「見て」「見て」と。そして「助けて」「助けて」と。
この身を投げ出してても助けてやりたい。
でも、見ててやるしかないことがあるのです。
他人は見てくれませんからせめてたらちねの
母が見よう。
子どもの苦しむありさまは。
せつなすぎて涙もでません。
・・・(略)・・・



読んでいて、こちらまで胸が痛くなります。
そして、いろんなことが重なって
泣きっつらに蜂というのは、昔の人がこの日のわたしのために
作り置きしたことばかと思えた日
彼女はとうとう声を出して泣くのです。


 あゝ怖かった怖かった。
 わたしは声に出していってみました。
 あゝ怖かった怖かった。
 たらちねの母といえども生身であります。
 むかしは小さな女の子でありました。
 怖いときは泣いてました。
 父や母や夫や王子様に、助けてもらいたいと思っておりました。
 何べんも何べんも助けてもらいました。
 父にも母にも、夫や王子様にも。
 でも今はだーれもおりません。
 父は老いて死にかけです。
 母も死にかけて寝たきりです。
 夫や王子様には、もう頼れません。
 このごろじゃすっかり垂れ乳で、根元からゆあーんよゆーんと
揺すれるほどになりまして、
 足を踏ん張り、歯をくいしばり、
 ちっとも怖くないふりをして、
 苦に、苦に、苦に、
 苦また苦に、
 立ち向かってきたんですけど、
 あゝあ、ほんとに怖かったのでございます。



ここまで読むと、もうこちらまで泣きたくなってしまいます。
そう、年を重ねた女性なら誰しも、もう誰も頼れないんだと悟って
足を踏ん張り、歯を食いしばり、怖くないふりをして生きていますよね。
今でこそ私もこうやってのほほんと、あるいはふてぶてしく生きていますが、
ある時期は私なりにしんどい時期がありまして。
比呂美さんほど壮絶な経験ではありませんが、やはり親を看ている時期というものは、
まるで孤立無援のような日々、ひとりで空回りしているような状態でした。
この本を読んでいると、自分のそんな時期が蘇ってくるのです。
普段はそんなこと意識してなかったのに、ここを読んで、
ああ比呂美さんが自分のかわりに泣いてくれたんだー
と思ってしまいましたよ。


こんなふうに、書かれてある内容は女の感情むき出しの過激さがありながら、
常につきまとうのが「死」のイメージです。
それも物理的な死というより、黄泉の国や西方浄土といった日本的あるいは
仏教的なイメージ。
そもそも題名からして地蔵縁起ですものね。
若いときからずっと闘い続けた比呂美さんも、苦のとげを抜くお地蔵様に
救いを求めたということでしょうか。

このあと、比呂美さんは般若心経の現代語訳を出されたようですが、
できるならまだまだ悟ってほしくはないですよね。
私たちの先輩として、この先老いてもなお生々しく、戦う女の姿を見せてほしいものです。





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栗をむく日 

2013-10-17 | 食べること。



親戚からたくさん栗をいただいたので、時間(とココロ)の余裕ができたら
久しぶりに渋皮煮をつくってみよう、と思いつつ・・・
その時間がなかなかとれずにいました。

天気予報で台風がくるという日、お天気も下り坂。
そうだ、この日は栗をむく日にしよう、と前の晩から水につけて準備をします。
午前中に鬼皮をむき、重曹を入れた水で茹でて何度もアク抜き。
けっこう手間がかかるので、ひまを見つけて少しずつやりました。

ちょうど主人の友達からも栗をいただいたので、こちらは栗ごはんに。
以前栗むき用のはさみが義母の家にあったはず・・・と思いながら、
探すのも面倒で午後もまたせっせと包丁で栗の皮むきです。
およそ1.2キロの栗、さすがに疲れました~


お天気がよい日はあれもこれもと気ばかり焦って、3連休も
前につんのめりそうになりながら過ぎていきました。
よくない癖だと知りながら、どうしても先先が気になってしまうのです。
けっして時間がないわけではなく(テレビも観るし、ネットで無駄に時間も過ごします)、
気持ちが先走りするから余計に時間がないような気になってしまうのかな。

そんなときは、一見無駄に思えるような手仕事をするといいのかもしれません。
無心でひたすら栗の皮をむく、というのは、意外になかなか難しい。
いろんなことが頭に浮かんでは消え、消えてはまた浮かび、そんなことの繰り返し。
それでも手を動かしてさえいれば―
はい、美味しい栗の渋皮煮のできあがり!


この秋は、「水彩画を始めよう」とか「NHKのフランス語を聞こう」とか
いろいろ考えていたけれど、引っ越しのことが気になって
結局どれも手につかないままでした。

その引っ越しも、ようやく来週工事が始まることになったので、
何とか今後の予定がたてられそう。
工事が終わり次第(たぶん来月中旬?)義母の家に移ることになりそうです。
まあ引っ越しといっても、事務所のある今の自宅はそのままなので、そこから
私たちの生活に必要なものを義母宅に持って行くだけになりそうですが。

これを機会にいらない物を処分しよう!と少しずつ断捨離を始めました。
が、時間がかかったそのわりに物が減っていないのは何故・・・





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女は戦う 〈閉経記〉

2013-10-09 | 読むこと。



夏をいまだに引きずっているような今年の秋、出かけるのが億劫になっていた私を
図書館へ駆り立てたのがこの本、伊藤比呂美さんの『閉経記』です。

『良いおっぱい 悪いおっぱい』、『おなか ほっぺ おしり』などで、
悩み多き子育ての時代のよき先輩であった伊藤比呂美さん。
彼女も私たちと同じように年を重ね、そしてあたりまえのことだけど
全く違った選択(彼女の場合、離婚・再婚)をしながら人生を歩んでこられました。
そして、この『閉経記』に至ります。

私たちの年代の女性なら、誰もが経験するであろう更年期。
若いころはなんとか突っ走ってこれた自分にも、体力の衰えや、今までにない
身体の変化を感じるようになる・・・そんな時期です。
なんとなく不安で不調なこの時期、自分に向き合うだけで精一杯なのに
親は年老いて介護を必要とする高齢者になっていく。
結婚して家族がいたらいたで、例えば子どもの問題にも頭を悩ませなくちゃいけない。
長年見て見ぬふりをしていた夫婦間の微妙なズレが気になりだして
ストレスを感じてしまう・・・
この年代の女性は、大なり小なり似たような状況にいるのではないでしょうか。


この本の帯にはこう書いてあります。

老いと戦い、
からだと戦い、
家族と戦い、
世間と戦い、
平穏な日々は
やってくるのかしら?


まさに彼女の人生は戦ってばかり。
その戦いっぷりを、エッセイの中で小気味よいほど真正面から正直に語られます。
時には「ここまで書いて大丈夫?」とこちらが心配するほど(笑)
この戦いの断片を読み、自分の気持ちを代弁してもらったり共感したりして、
私たちは元気をもらっているのかもしれません。

このエッセイの中でも、比呂美さんは自分の身体のことだけでなく
家族のこと、犬のこと、親の介護のことが書かれています。
介護といっても、彼女の場合ハンパじゃありません。
彼女がいるのはアメリカのカリフォルニア、父親が住むのは熊本。
イギリス人の夫と子どもをアメリカに残し、自分は月1回
介護のためその間を往復するわけです。
それだけでも、精神的・肉体的・経済的にどれほど大変なことか・・・
そのことを雑誌に進行形で書いておられたわけです。
書かずにはいられなかったのか、それとも苦しみながら書いておられたのか、
あるいはその両方だったのか・・・

彼女のことだから、一切きれいごとは書かず、生々しく赤裸々に
家族や介護や自分のことを書かれるわけですね。
だからこそ、その中の文章に同じ経験を持つ私たちは胸を打たれるのです。

たとえば、

 犬には言葉がない。憎まれ口は一切たたかない。口答えもしない。
説明も言い訳もない。ことばがあると思うから、気持ちを伝えたくなる。
たいてい言わなくていいことだ。言ってもしかたのないことだ。
実は、犬には期待もしていない。だから言わない。
 ことばがあるから、あたしたちは親の老いを悲しむ。


これまで老いた親に「言わなくてもいいこと、言ってもしかたのないこと」を
どれほど言ってきたことか。
その時は、言わずにはいられなかった。
何でこんなふうになってしまったの、と言わずにはいられなかった・・・
それが老いた犬なら、「おお可哀想に」と何も言わず介護できたのでしょうか。

このエッセイの途中でお父様は亡くなられます。
お母様のときから続いた遠距離介護が終わりほっとされたかと思いきや、
糸の途切れた凧のようになってしまった比呂美さん。
最後にこう書かれていました。


あたしたちは満身創痍だ。昔からいっしょにやってきた女たちも、新しく知り合った
女たちも、みんな血まみれの傷だらけ。子どもがいりゃ子どものことで、親がいりゃ親のことで、
男がいりゃ男のことで、男がいなけりゃいないということで、ぼろぼろになって疲れはてて、
それなのに朝が来れば、やおら立ち上がって仕事に出ていく。
ふだんは自分が傷ついていることなんか気づいてもない。
 女友達に声を届けたい一心で、あたしは書きつづけてきたような気がしておる。
熊本にいる。東京にいる。カリフォルニアにもベルリンにもチューリヒにもいる。
世界中に散らばっている。港港に女友達だ。まだ会っていない読者も、
ひとりびとりがみんなあたしの女友達だ。声が、届きますように。



この文章が本当に胸にずしんとこたえたのは、もう一冊彼女の本を読んだあとでした。
それは『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』。
その本についてはまた次回に・・・


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ああ、食欲の秋・・・

2013-10-03 | 食べること。



先日、主人の知り合いから連子鯛をいただきました。
主人が「鯛めしを食べた~い」と言うので、まずは鯛めしに。
切り身でなく、まるまる1匹だと見た目が豪華です。
残りは塩焼きにするつもりでしたが、1匹はアクアパッツァに。
週末でもないのに白ワインを飲んで幸せ~
親戚からは栗をたくさんいただいたので、次は栗ごはんかな。

そういえば、最近そんなに食べて(いるつもりは)ないのに痩せない。
年のせいかなあ(更年期だし・・・)。
おまけにここ数年はどんなに猛暑でも夏やせすることがなくなって、
そのまま食欲の秋に突入。
ああ、おそろしや~、おそろしや~

一方、主人の体重は着実に減りつつある様子。
久しぶりに姉たちに会って「痩せはったんとちがう?」と言われてニンマリ。
食べてる量は相変わらず多いけど、走っていたときと比べたら
真夏の暑い時でも毎日几帳面に歩いていた、その成果が出てきた?
・・・と思いきや、本人曰く
「やっぱ、ゴーヤ茶のおかげや~」
えーっ、主人が毎日せっせと作ってるゴーヤ茶に、ダイエット効果があったとは!

主人が輪切りにして干す大量のゴーヤはけっこう目を引くらしく、
ご近所の方や通りすがりの見ず知らずの人にまで
「干してどうするの?」と尋ねられます。
そのたび「主人が炒ってお茶にしてるんです。身体にもいいらしいですよ~」
なんて答えていたけど、実際何に効くのか全然知りませんでした。
で、調べてみると・・・
脂肪燃焼、血圧・血糖値を下げる、免疫力強化などなど、いいことずくめ
これは私も負けずに飲まねば!

食欲の秋にゴーヤ茶。
これでこわいものなし!
と、果たしてなるでしょうか・・・




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